第18話 残火

サイレンの音が、ようやく遠ざかっていった。


夕暮れの街には、焦げた匂いだけが残っている。


ビルの外壁は黒く焼け、割れたガラスが地面に散らばっていた。


五右衛門は、その光景を黙って見つめていた。


(……おれなら…)


触れれば消えるはずだった。


(……何とかできるんじゃないかと思っていた)


だが実際は、炎は削れただけで、完全には消失しなかった。


「……」


言葉が出ない。


いつからこんなに自分に自信を持ったんだろう。


隣では、澪が腕に巻かれた包帯を見下ろしていた。


人の波に押され、転んだだけの軽い怪我。


それでも、指先は微かに震えている。


(……怖かった)


そう思うのに、

同時に、目を逸らしたくない自分がいた。


一条は少し離れた場所で、焼け跡を眺めていた。


唇を噛み、何かを考え込んでいる。


(このままじゃ……)


言葉にはならないが、胸の奥に引っかかるものがあった。


そして――

黒川園美は、一歩引いた場所に立ち、全体を見渡していた。


表情は冷静に見える。


だが、その内側では、何度も同じ光景が再生されていた。


(……判断が、早すぎた)


“視察だけ”。


“様子を見るだけ”。


そう決めたのは、自分だ。


連れてきたのも、自分。


制圧できると踏んだのも、自分。


(……甘かった)


恋能反応の強さだけを見て、


質を見誤った。


あの炎は、衝動だった。


制御されていないのではない。


――自覚したまま、解放されていた。


(……あれを、現場で初めて見せるべきじゃなかった)


園美は、強く拳を握った。


(せめて……)


(せめて、あの子たちに

恋纏オーラ”を自覚させてからにするべきだった)


言葉には出さない。


出せない。


自分の判断ミスを、彼らに背負わせるわけにはいかなかった。


「……今日は、ここまでにしましょう」


園美は、低く言った。


全員が顔を上げる。


「このまま続けても、冷静な判断はできない」


視線が、自然と五右衛門に向く。


「あなたのせいじゃない」


先に言っておくように、園美は続けた。


「今日の件は……私の責任よ」


五右衛門は、何も言えなかった。


否定したいのに、

肯定もできない。


澪が、そっと口を開く。


「……明日、どうするんですか」


「明日、放課後」


園美は即答した。


「新宿支部に集合」


それから、一瞬だけ間を置く。


「三谷さんにも、私から連絡しておくわ」


澪は、少し驚いたように目を瞬かせた。


「……来てくれますかね」


「来てくれるわ」


園美は静かに言った。


「彼女が来たいと思うなら」


その言葉に、澪は小さく頷いた。


「……うん」


解散。


誰もが、それぞれの帰り道についた。


五右衛門は、駅へ向かう途中、拳を握りしめる。


(……強くならなきゃ)


(守るって言ったのに)


胸の奥に、微かな引っかかりが残る。


(……澪のためにも)


――あれ?


その疑問は、形になる前に消えた。


澪は澪で、電車の窓に映る自分の顔を見ていた。


(……逃げない)


知ってしまった。


見てしまった。


だったら――


(強くなりたい)


ただ、それだけだった。


「一緒に――」


言いかけたが、隣には五右衛門の姿は無い。


「かっこ…よかったなあ…」



一条は、少し遅れてその場を離れた。


焼け跡に背を向けながら、無意識に手を握る。


(……足りない)


今日、自分は冷静だった。

判断もできたし、状況も見えていた。


でも――


(それだけだ)


止められなかった。

決定的なことは、何もできなかった。


五右衛門の背中を思い出す。


(あいつは、前に出てた)


自分は後ろで声を出していただけだ。


(……強くなりたい)


例えばそう、あの炎使いの女子高生のように。


一条は静かに息を吐いた。



夜。


ひとり、支部に残った園美は、端末の画面を見つめていた。


数値は、まだ完全には下がりきっていない。


「……次は、間違えない」


小さく、そう呟く。


火は消えた。


だが――

残火は、確かに残っていた。

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