No Signal
奥野みつき
No Signal
君は、いつも私じゃない人と一緒にいる。
君と私は別のクラスだけど、廊下ですれ違うとき、君は自分より背の高い女の子と一緒に歩いてた。ぼっちの私は惨めで寂しくなると同時に、やっぱり君のほうがかわいいなって思ってしまう。去年までは髪を長く伸ばして一つにまとめていたけど、いつの間にかボブにしたらしい。周りを笑顔にさせてくれる君にぴったりだ。
君と私は同じ部活に入っている。窓の外が暗くなるまで数人の部員が狭い部室で雑談してるだけのゆるい部活。テーブルをみんなで囲んではいるものの、話すメンバーは決まっている。今日も君はずっと○○ちゃんと楽しそうにおしゃべりしていた。二年の私は後輩の会話にも君たちの会話にも入れず、胸が締め付けられるようで、泣きそうで。だけど君の仲間に入れてるって自己暗示をかけてニコニコ相槌を打ってた。でも君は目の前の幸福に夢中で私のことなんてたぶん気づいてないよね。別にそれが憎いってわけじゃないよ。私は君が幸せならそれでいい。私が君に釣り合うなんて、ちっとも思ってないから。
でも君は、たまに私だけと帰ってくれることがあったよね。例えば、三週間くらい前かな。部活が終わったらそのメンバーで一緒に帰る。でも君と○○ちゃんは校門を出たら左へ、私と△△ちゃんは真っ直ぐ進まなきゃそれぞれの駅に着かない。だから私と君が一緒に帰ることは本来ならば無い。でも○○ちゃんと△△ちゃんがいないとき、私は勇気を出して君に言ってみる。一緒に帰っていい? そしたら君は笑顔で「いいよ」って言ってくれる。私は君の目指す駅に一緒に向かう。電車の乗り方を工夫すれば、私は自宅に帰ることができる。
私は最初、いかにも陽キャな君が苦手だったけど、だんだん君が陽気さを取り繕っていることが分かってきた。君は不器用で頑固で、なかなか本心を見せない。でもたまに二人きりでしゃべるとき、君は私にだけ本心を見せてくれている瞬間がある気が、する。
ああいや、違うかも。だってその証拠となる君の言葉を私は一つも思い出せないから。ごめんね。私が勘違いしてるだけだったかも。絶対そう。君は皆に優しいから、皆に魅力的に映るから。むしろ私に気を使ってくれていたのかも。そう、別に君と私は親しい仲じゃないだろう。でも私がしつこく君に話しかけていくうちに会話が増えて笑顔が増えて、君の趣味まで話してくれるようになって、私はそれだけで、すごく嬉しかったんだよ。このまま過ごしていけば本当に君にとって私はただの知人じゃなくて、友達くらいにはなれるんじゃないかって思ったりもした。
でも、それはもうできないな。
夜七時頃に帰宅してご飯とお風呂を済まして自室に籠っている。今日に限って、私は一人で家に帰ってきてしまった。今日は、部活のみんなと一緒に、帰りたかった。薄いカーテン越しに、透明で真っ暗な、冷たい夜空が流れている。私は机の前に座って部活のグループラインを開く。
『OD(*)して教室で倒れて、今日、部活に行くことができません。本当にごめんなさい』
一ヶ月前に私が送った言葉。
私は保健室でボロボロ泣きながら、まとまらない頭でこれを送ってしまった。
皆は既読だけ付けて、返信を躊躇っていた。まあ困惑していたんだろう。普通そうなるよね。私はざらざらした布団の中で口角を上げた。諦めにも近い気持ち。私はこれでようやく覚悟が決まったんだと思う。
毎朝学校に行くことを渋って両親を困らせてた。もうこれで彼らに迷惑をかけずに済む。そう思うけど、私が死んで悲しんでたらどうしようと、涙が止まらなくなることもあった。
でもグループラインの反応を見て思った。私の考えていることに何にも気づかないでリビングで「うちの娘はホントすごいなぁ」って笑ってる両親のことを思い出した。そしたら心が静かに沈んだ。ああ、人間って誰とも分かり合えないのかな。いや、もしかしたら、私がこの世界の異物なだけかもしれない。生と死の間で揺れ動いていた私の気持ちはここでやっと落ち着いたんだ。
『そうなの? 大丈夫? 部活のことは気にしないでゆっくり休んでね』
保健室のベッドを囲む緑のカーテンをぼうっと眺めていたら、スマホが鳴った。君からのメッセージだった。一番に返事をくれたのは君だったんだ。心はひび割れてもう動かないくせに、いつの間にかまた、私の頬を熱いものが伝っていた。
でも、君にもきっと分からないんだろうな。
それがすごく悲しくて、また、私の唯一喜べることだった。これだけが、私の理性を保っている。
スマホは午前一時を指していた。家はもう寝静まっている。私は棚から風邪薬の瓶を取り出してこっそり自分の部屋を出る。
明かりの点いていないリビングのソファで父が寝ている。冷蔵庫から静かに彼のビールを二本頂戴した。それから慎重に窓を開けてベランダに出る。びゅううっと音を立てながら風が窓の隙間を通る。素早く静かにそれを閉めて、私は柵に寄りかかって空を眺める。
なんてことはない、都会の淀んだ夜空だった。ぼんやりとした暗闇に細長い雲が流れている。冷たい風がパジャマと肌の間を刺すように通り抜ける。思わず震えながら、一瓶の風邪薬をビールで身体に流し込む。初めてのビール。思わず吐きそうになりながらも、ピリピリと熱い液体が喉を撫でていく感触がした。次第に心臓が無理をし始める。そして頭の中が薬に侵され意識が遠のく。身体がふらつく。自分の身体が重力に従うのと同じように、薬とアルコールに主導権をじわじわと奪われていく。この溶けだしていく感覚。今ならいける、と思った。柵をよじのぼって、外側に立つ。
「がんばれ、いける。いけるよ」
喉が震えた。胸の底が確実に冷えている。眼下にはコンクリートの道。
「ああ、やっと死ねるじゃん。やったじゃん。早く、死のうよ」
身体が軽くなって、笑みがこぼれる。なのに、涙は止まらない。
覚悟を決めた私は、目を瞑って宙に飛び出した。
落ちていく。夜空がどんどん遠くなっていく。
そのとき、頭の奥がかぁっと熱くなった。
お母さんとお父さんのことを思い出した。心の底からごめんなさいって思う。でももう私はやってしまった。取り返しがつかない。ごめんなさい。ごめんなさい。涙が空へ飛び立っていく。私はとにかく、悲しかった。
そしてもうすぐ地面だというころ。
私は君のことを思い出した。
私は君が好きだった。一緒いて、あんなに楽しかったのは君が初めて。
これは、恋だったのだろうか。
毎日毎日君のことを考えて、そのたびに胸がドキドキしてぼんやり辛い意識が、急に生き生きとし始めた。ふとしたきっかけで、胸の中がぐちゃぐちゃに、苦しくなった。でも、生きている感覚がした。ずっと水面の下からみんなを見上げていた私、いつからか自分だけ透明になった私が、一瞬だけ、みんなと同じ感覚になれたって思った。君ともっと一緒にいたい。一緒に生きてほしい。
どんどん、執着し始めた。そんなことは叶うわけがない。言えない。無理だ。どうしても、無理。いつでも私は、自分の本当の気持ちを言おうとすると、目の前が真っ暗になって、何が何だかわからないけどとにかく怖い。そのスリル、ぞくぞくするけど、身体は力が抜けて、喉が働かない。
だから想像の中だけでもって、もう頭の中がぼうっとして変な妄想が頭をよぎった。無理矢理自分の身体を興奮させて、ごまかした。熱く濡れた指。気持ち悪いことだ。君にだけは、絶対に知られたくない。
ああ、でも、伝えたかったな。何も変わらないと思うけど、死ぬ前でもいいから、言ってたらよかったのに。
そして、君は私がいなくなっても、たぶん幸せな毎日を過ごすだろう。私のことなんて忘れて。
はあ。
せっかく死ねるってのに私は。
なんで、こんなんなんだ。
もうしょうがないのに、いつまでもいつまでも、欠落したものを欲してしまう。
目頭も、頭も全部熱い。熱くて、頭の中が真っ白だ。わからないものが、爆発して叫んでる。
ぶわっと全身が逆立つような恐怖に襲われた。
――怖いよ。怖いよ。誰か助けて。ねえ、助けて! はぁっ、やだ、死にたくない! 怖い。怖い。怖い。怖い。死んじゃう! あああああ……、怖いよ……怖いよ……。お願い。誰か! ああ! 私がどんなに、どんなにやっても! 全部、ぜんぶダメなんだ! どうせあの人も、ダメなんだ……。違う。私が、ぬくもりのある態度をしてなかったから。
……『『『私が、ぜんぶダメだったから。』』』……
……ねむい。
……。
(とあるマンションの一室)
「今の、パァンッ、って音、何かな」
「えー、なんも聞こえなかった」
俺はカップに熱湯を注いだ。このトマトスープ、150kcalしかないのに『これで満足ランチ』と、でかでかと書いてある。まあ別に食欲ないからいいか。
拓斗はベランダのカーテンを閉め、「ちゃんと寝ろよ」と言って寝室へ去っていった。
*OD……過量服薬。オーバードーズ。
No Signal 奥野みつき @sarah-kiki
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