馬よ、俺のために走れ!
アイリッシュ・アシュモノフ
馬よ、俺のために走れ!
年の瀬。
一年の集大成ともいえる節目に、
ギャンブルに取り憑かれた人間たちも色めき立つ。
理由は単純だ。
この時期、グランプリレースが立て続けに開催される。
競艇と競輪は賞金王決定戦。
競馬では、ファンが選んだ最強馬を決める有馬記念。
今日は、まさにその有馬記念の開催日だ。
競馬ファンたちは、歴史の証人になるため競馬場へ押し寄せる。
僕もその一人――
ただし、目当てのレースは有馬記念ではない。
中山5レース。
2歳新馬戦、ダート1800m。
このレースに、僕の出資馬が出走する。
一口馬主という言葉をご存じだろうか。
細かい説明は省くが、
馬の権利をみんなで買い、
走れば賞金を分け合い、
走らなければ餌代だけを払い続ける。
馬に夢を託す投資だ。
格式高い有馬記念ともなれば、1着賞金は5億円。
勝てれば諸経費を差し引いて、権利者で山分けとなる。
だが、そのレベルに辿り着けるのは、
同世代7000頭のうち、1%にも満たない。
競走馬は2歳でデビューする。
しかし、1勝できる馬はほんのわずかだ。
3割が勝って、残りの7割は何も残せず去っていく。
学校でいえば、
クラスの3割だけが進学できて、
残りは途中でいなくなる感じだ。
しかも、その先も、ふるいにかけられ続ける。
1勝、2勝、3勝。
階段は上に行くほど急で、滑りやすい。
有馬記念に出られるのは、
その階段を転ばずに登りきった、ごく一握りだけだ。
競走馬の世界は、想像以上に厳しい。
もし、伝説級の名馬に出会えたら。
一口数万円の出資が、500万円に化ける。
2勝から3勝できれば、出資額とのトントンライン。
一方、未勝利で終われば――
回収率はせいぜい出資額の10%程度。
ほとんど、雀の涙だ。
相馬眼さえあれば、夢のある投資。
相馬眼さえあれば、だが。
ここまで読んで、
聡明な紳士淑女の皆さんは、もう気づいただろう。
同額をNISAで投資信託に突っ込んだ方が、
よほど堅実で、安全だということに。
全くその通りである。
一口馬主とは、
言葉の通じない何かに資産運用を任せる行為だ。
少なくとも、相手は決算説明をしてくれない。
まぁ、良識ある大抵の人は、
出資した「愛馬を応援する気持ち」で一口馬主をやる。
投資目的でやるのは、
計算ができないアホか、
頭がイカれている奴だけだ。
――イカれたアホは、ここにいる。
1年前、僕はこの馬に出資した。
この馬で金持ちになれると感じた。
不労所得を得られると。
自慢じゃないが、僕は馬を見る目がある。
この馬は、黄金に光り輝いているように感じた。
足は4本、顔は長く、クリクリの目。
――これは間違いなく名馬の特徴だ。
春先、育成牧場のコメントは強気だった。
「順調。クラシックの舞台を目指したい」
(クラシックとは、世代最強を決めるレース。
牡馬では、皐月賞、日本ダービー、菊花賞がある)
期待が高まる。
夏。
「もう一段、成長が欲しい」
不安がよぎる。
レース前の調教師のコメント。
「トモ(後ろ脚)が緩いので、ダートから」
すでに、僕の表情は真顔である。
出資馬のレース前評価も、正直よくない。
調教タイムの良い馬がゴロゴロいるからだ。
おかげで当日も人気薄。
でも、ここまで来たら、もう祈るしかない。
神様は、そう何度もチャンスをくれない。
勝ち目のない馬に与えられるチャンスは、
多くても4回程度なんだ。
出資金は回収できなくてもいい。
単勝馬券をしこたま買った。
せめて1勝。
せめて1勝してくれ。
祈るような気持ちで発走を待つ。
出走を告げるファンファーレが鳴り、
各馬がゲートに入る。
一瞬の静寂ののち、
一斉にスタートする。
人気とは真逆に、
出資馬はいいスタートを切り、先手に付ける。
競馬も、本質的には陸上競技と同じだ。
一番後ろで追走するより、
先行集団に付ける方が、勝つ可能性は高い。
出資馬は、先頭から3番手のポジション。
強い馬なら、勝利は目前。
絶好の位置である。
俺に相馬眼があることを、証明してくれ。
俺だけは、お前を信じてる。
僕は、持てるだけの声援を出資馬にぶつける。
叫びに呼応するように、騎手も馬に鞭を入れる。
全力で走れ、の合図だ。
しかし、そんな祈りはむなしく。
絶好のポジションでレースを運んでいた出資馬は、
最終直線で、
本当にあっさりと、
馬群に飲み込まれていった。
僕の叫びは、悲鳴に変わる。
僕はハズレ馬券を強く握りしめ、
膝をつき、悔しさに涙を浮かべる。
チカラなき者に、
何かの間違いは起こらない。
最強馬同士の夢の対決を見るため
競馬場へ向かう人々に逆らって、
僕は、競馬場をあとにする。
文無しの僕は、
年明けから、また労働に勤しむのである。
馬よ、俺のために走れ! アイリッシュ・アシュモノフ @ddd2000
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