学園の王子様が手ほどきを受ける話

羽間慧

学園の王子様が手ほどきを受ける話

 二ヶ月に一度、自分の手元に戻ってくる冊子があった。最後に使ったページをめくれば、すでに何ページも書き込まれている。その冊子が戻ってきたとき、何をしたのか思い出すために一ページずつ読み込んでしまう。その表紙には、学年と組のほかに学級日誌の文字が綴られていた。


「王子町くん、今日は日直でしたのね。所見の欄に書くことは決まりましたの?」


 僕が開いていた学級日誌を見て、姫川が声をかける。帰りのSHRが終わった教室に残っているのは、僕と姫川だけだった。姫川も帰ろうとしていたのだが、僕の席の前で立ち止まっていた。


「いいや。クラスのみんなが何を書いているのか、夢中になって読んでいたところだ。授業のこと、部活動のこと、最近読んだ本のこと。休日に取り組みたいことも書かれていて興味深いよ。先生の書かれる返事も温かくて好きだ」

「分かりますわ。日直が自分に回ってきたときに、先生がどのような言葉を選んでくださったのか。わたくしも日直になった朝は、ドキドキしながら以前書いていたページを探しますもの」


 失礼いたしますわと言って、姫川は僕の前の席に座る。せっかくだから姫川のページを見せてあげよう。


「姫川のページには、可愛い絵があったね。羊の形をした雲。サングラスをかけた太陽」


 天気の欄は漢字三字分ほどしかないが、スペースいっぱいに描かれていた。


「可愛いでしょう? 王子町くんもご覧になられていたのですね! 先生も褒めてくださったのですが、ほかの皆さまは描いてもらえなくて……残念ですわ」


 明るくなったり沈み込んだり、姫川は表情豊かだ。


「こんなにも可愛い絵が描かれていたら、気後れしてしまうよ。可愛く描くコツがあったら教えてほしいな」

「わたくしでよろしければ、ぜひ!」


 姫川は微笑んだ。


「今日の天気は晴れでしたから、お日様のマークでお手本を描きますわ。黒板を使ってもよろしくて?」

「あぁ。後で綺麗にするつもりだったから、気にせずに描いてくれ」


 僕の言葉に遠慮することなく、姫川は黒板いっぱいにお日様のマークを描いていく。可愛い絵を近くで見るために、僕は教卓の前に移動した。


「最初に丸を作って、その上に細長い棒線を置きます。真ん中の丸を挟んで、下にも細長い棒線を作ります。左右もバランスよく棒線を作ってあげたら、温かい日差しを振りまくお日様の完成ですわ。晴れのちくもりでしたら、作ったお日様をもこもこ雲のおふとんで隠していきます」

「おふとんを被ったお日様が眠そうだね」


 白いチョークで塗られたおふとんは心地よさそうだ。おふとんの魅力に負けて、お日様がうとうとしているように見える。


「王子町くんも描いてみませんか? 手をお貸しいただければ、描き終わるまでわたくしが導いて差し上げますわ」


 チョークを持って振り返った姫川の体が、後方へ傾いていく。


「危ない! 姫川!」


 立っていたところが教壇ギリギリで、後ろに下がってはいけなかったのだろう。


 僕は教卓近くの机に手をつき、最短距離で落ちる姫川の体を抱きとめることに成功した。


「間に合ってよかった」

「あ、ありがとうございますわ……」


 背中越しでも姫川の安心する息遣いが伝わった。たった一つの段差でも、怖いものは怖いはずだ。


 姫川の頭を慈しむように撫でる。


「おっ、王子町くん? いかがされましたの?」

「僕が絵を教えてほしいと頼んだばかりに、姫川が怪我をするところだったからね。少しでも僕にできることを考えたつもりだったんだが」


 余計なお世話になっていたかもしれない。

 撫でるのをやめ、姫川の体に回していた腕を離す。


「それなら、後ろからではなく前から撫でてくださいますか? 王子町くんの顔を見せてくださらなくては、怖さが収まりませんもの」


 怖がっている人が満面の笑みを浮かべるとは思えないのだが、追及するのは野暮だろう。姫川の十七歳最後のお願いを叶えてあげた。


 学級日誌を職員室に届けるのが遅れた言い訳は、考えるのにいささか骨が折れた。

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学園の王子様が手ほどきを受ける話 羽間慧 @hazamakei

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