第4話 洗脳、暗示、催眠、呪い、呪術

 寝た。爆睡だった。起きたら真っ暗でとにかく腹が減っていて、日付が変わろうとしている時間帯だった。仕方ないので開いている酒場で適当に飯を食って、そんで寝た。

 ……もう不貞寝に近いんじゃないか、これは。

 とりあえず二日目ということもあって、学校には顔を出すことにした。

 そもそも規則として、登校そのものを強制するものは一切ない。授業をしているのは確実だが、受けるかどうかも各自の判断。ただ定期的に試験や、まあ、塔に行くようなイベントはあるようで、その告知はだいぶ前から出されるので、五日に一度くらい顔を見せれば聞き逃すこともないだろう。

 俺らスキルなしのFクラスはともかく、ほかの連中は毎日のよう訓練するそうだ。楽しそうで何より。

 遅めに顔を出したが、室内はまばらだ。

 適当に挨拶をしながら周囲を見るが、グリッド、ラール、ルク、ラリリカ、キュウがいる。いないのはキリとネゴ、それからメーニアか。暗躍が好きそうな二人に加えてもう一人ね、何をやってんだか、怖くて聞きたくもねえな。

 そして。

「ようラール、ちょっといいか」

「どうした、ラリリカ」

 彼女は言う。

「あたしに暗示や洗脳がかけられてないか、調べられないか?」

「…………」

 読んでいた本をぱたんと閉じたタイミングで、キコちゃんがやってきた。

 ちらりと視線を送ったラールは、改めてラリリカに向き合って。

「不可能ではない、が、時間がかかる問題だ」

 会話の方を優先した。

「暗示、洗脳、似たようなもので違うものだが、幼少期から行われているのなら、それは常識の改変に限りなく近い。たとえば、毎日のよう朝の走り込みをする。幼いころからやっていれば、それが習慣になり、近くに仲間がいたのなら、一緒にやることになるだろう。しかしそれは、限られた場所でのことであって、本来の常識ではなくなる。こちら側に出てきたところで、そういう人物はこう考える――人が多いな、朝に走ると大勢と顔を合わせそうだ。早めに済ませておこうか」

 わかりやすいな。

 つまりそれは、街にいる全員が朝の走り込みをするのだと、信じて疑っていないのだ。

「こういう積み重ねが洗脳だ。暗示は……そうだな、深層意識に働きかける場合が多い。つまり無意識の行動に現れるもので、自覚は難しいものだ。たとえば――仕事が断れない。意識にかかわらず、断るという考えにさえ至らない。殺しの不快感を覚えない、それらを覚えていない、など、まあやりようはいくらでもある」

「おう……」

「わかりやすくいえば、原因そのもが何か、それを探るのに時間を要する。ラリリカはどこまで確信を持っているんだ?」

「確信っつーか、教会って組織だから、やられててもおかしくねえと思ったんだよ」

「それも見越したうえで、こうして外に出て来ているのも?」

「おう、わかってる。けど何かあるなら、どうにかすんなら、今しかねえだろ」

「ふむ。……何故、そう思った?」

「お前らを見て」

 ラリリカは全体を見るようにして。

「――なんか違う、そう思ったから」

 ラールの言葉を借りるのなら、常識そのものの違いがあったのか、あるいはそれが小さな違和だったのか。

「どうすべきか、少し考えさせてくれ」

「頼む」

 ふうん、前向きなのか。俺としても何かあれば、手を貸してやりたい気持ちはあるが――。

「ラール」

「ん……どうしたキュウ」

 二つ折りの紙を取り出したキュウは、無言のままそれを渡す。ラールは手元のそれを開き、何か書いてあるだろう内容を読んでいるようだった。

 さすがに、裏からのぞき込むような真似はしない。何しろこっちは部外者だ。

「……はあ」

 ため息を落としたラールは、左手で額を覆い、右手に持っていた紙を放り投げると、それは空中で燃えた。

 ――燃えた? しかも、燃えカスも残らず?

「手品師でも、このくらいはできますよ」

 そりゃそうかもしれねえけど、おい、いつの間に隣に来たんだルク。

「俺の前に座れ、ラリリカ。荒療治になるが、どうにかなりそうだ」

「わかった」

 言いながら、服の内側から一冊の本を取り出し、ラールはぺらぺらとめくる。大きめのメモ帳か何かだろう。

「もう一度言うが、荒療治だ。死の危険性はないにせよ、負担はあるが、半日くらい動けなくても問題ないか?」

「そんくらいは構わないさ」

「そうか。グリッド」

「ん?」

「室内で構わない、出入りを封じてくれ。第三者の介入は避けたい」

「いいぞ、そんくらいなら」

「……よし、ではラリリカ、この指を見ろ」

 思わず、俺は一歩だけ距離を離した。

 何かを見ろと、そこに集中しろと言うのなら、逆に周囲を俯瞰すべきだ。巻き込まれたくはない――ん?

 なんだ、少し、焦げ臭い……?

「大丈夫ですよ、催眠導入用の軽いハーブです。強めの禁止薬物を使わないあたり、まだ優しいほうですね」

 ああ、なるほど、意識を混濁させたりするやつか。

 香りだけで理解したってことか? ルク、お前どういう知識してんだよ。

 ラリリカの焦点が指から離れ、どこかぼんやりとしてきたな。

「――おいで、

 う、お……!

 背筋に悪寒が走るほどの甘ったるい声色に、さらに一歩距離を取った。

 マジか。

 仮にそんな声色で男女問わず、話しかけられたのならば、間違いなく裏があるとみて避けるぞ。

 だが間近にいたラリリカは席を立つと、ゆっくりラールの膝に手を乗せ、しゃがんで見上げる姿勢をとった。

「良い子だ。いいかい、いつものよう、よく聞くんだ」

「はい」

 うわー、本当に気持ち悪いな。必要なことだろうけど、うわあ……鳥肌が止まんねえ。

「きみはすべてを覚えている。忘れるのなら、思い出すことができるんだから。さあ深呼吸をして、きみの鎖は、きみ自身の手によって切って落とされる。目を閉じて……ほら、鎖がきみの躰のあちこちにあるだろう? 大丈夫、一つでも切ってしまえば、すべて崩れ落ちる」

 決して、早口にはならない。ゆっくりと、言い聞かせるようにして――ああ。

 まあ、こいつはラールが新しく催眠をかけているようなもんだな。

「さあ、いつものよう、十字を切ることはできるね?」

「はい」

「でも今日は、逆にしよう。これはきみを守るおまじない、二度ときみが鎖に捕われない儀式。すべてを断ち切る剣にもなる。左から右へ、そう、そして下から上へ――」

 彼女も、ラリリカもまたゆっくりと。

 逆十字を――。


 パン、と。


 大きな音を立てるよう、ラールが両手を合わせて叩いた。

 目が覚める。

「――っ」

 立ち上がったラリリカは、すぐに顔を歪め、両手で頭を抱えたが、そのまま膝から崩れ落ちて――ラールが抱き留めた。

 んー、許容量を突破した感じか。言葉を聞いた感じ、今まで催眠時に話していた内容なんかも、すべて思い出させる指示だったし、一気に思い出せば処理が追い付かなくなって気絶するのも頷ける。

 あるいは、気絶している間に、頭の中も多少は整理できるかもしれないが。

 吐息を一つ。

「やれやれ、私にいったい何を望んでいるのやら。キココ教員、保健室に運んでくる。目覚めるまでは一緒にいよう。事後確認も必要だからな」

「はい、お疲れ様です」

「キュウ、……あとで覚えておけ」

「なんのことかわからないよ」

 あー、情報を渡して、やらせたのがキュウだもんな。文句の一つくらいはあるか。

「グリッドもすまんな」

「このくらいは別に。保健室は本館だろう、同行しよう。余計な真似をする間抜けがいた時のためにな」

「頼む。……ついでに、ラリリカを持ってくれないか? 重いんだが」

「そいつはさすがに遠慮する。あと女に重いって言うなよ、あとが怖いぜ」

「だったら忘れてくれ」

 意識を失ってると、余計に重く感じるのは理解できるが、俺は言わないからなルク、試してみようなんて目でこっちを見るな。

 さて、どうにかなったんだろうけど、……うん、そうだな。

 とりあえず座って。

「キコちゃん」

「はいはい、なんでしょう」

「暗示や洗脳について、授業をしてくれよ」

「――なるほど、確かに良い機会ですが、わたしに振るのは珍しい学生ですねえ」

「それが教員の仕事じゃねえのか?」

「頼ってくれているようで、うれしいですよ。けれど、暗示にせよ洗脳にせよ、ちょっと簡単には話せない内容になってしまいます。結果はともかくも、やり方それ自体が極秘ですし、わたしがそれを知っている事実が問題になりかねません」

 それぞれの組織で違うってわけか。いや、組織の中でも違うのかもしれないけど。

「だからざっくり、ラールくんが話していた内容で大きく違いはありません。なので、同じ系統とは言いませんが、呪いについての授業にしましょう」

 言って、踏み台を使って黒板の上の方に、呪いと文字を書いた。

 背が低いってのも、いろいろ大変なんだろうな。

「のろい、まじない、あるいはシュと呼ぶ場合もありますが、もっとも簡単な呪いは言葉です。先ほどのような催眠状態でなくとも、言葉というのは状況によって強くも弱くもなり、それだけの力があるものです」

 幼少期から、駄目だ駄目だと言われ続けると、その言葉に縛られるなんてのは、よく聞くケースだ。

 やらなくても大丈夫、私がやるから――姉にそう言われ続けた妹は、過保護であるがゆえに、何もできなくなったなんて、貴族社会ならそこらに転がっている話である。

「みなさんが想像したものより、もっと簡単ですよ」

 俺の方を見て言うなよ。思考読んでんのか、キコちゃんは。

「エンディくん、今から簡単な呪いをかけますね」

「簡単なのにしてくれ……」

 実験体じゃねえんだから。

「エンディくんはこれから三日以内に、けがをします。まったく致命傷にはならないし、紙で手を切るくらいには嫌な痛みがあるかもしれませんが、血が出たって大したことはありません」

 おう。

「……終わり?」

「はい」

「なんつーか、呪いっていうより予言じゃねえか?」

「あくまでも一例ですから。これが予言であるのなら、当たるか外れるかですが、呪いの場合の目的はそこにありません」

 話しながらも、要点となる部分を黒板に書いていく。

「この呪いは、――意識させるか否か、そこに着目します」

「真面目に聞いてるかどうか?」

「それも含まれますが、聞き流されても構わないものですね。あくまでも今回は、ですが。もしも集中して聞かせたいのなら、それこそ手品師の要領が参考になるでしょう。彼らは一つのものに集中させておいて、準備をその間に素早く済ませますから」

 ああ、ネタの仕込みか。ここにコインがあります、どうぞ仕掛けがないか手に取って――と、それ自体がもう視線誘導である。

「もしも、エンディくんが気にする方でしたら、けがをしないよう振る舞うでしょう。そうでなくとも、三日以内に軽い怪我をした時に、わたしの言葉を思い出します。そういえば言われていた、当たっていたな――あるいは、三日後に外れていたんだと、答えを得るかもしれません」

「――そうか。そう意識すること自体が、呪いなんだな?」

「はい、その通りです。言われなければ日常の中に埋もれるくらい、ごく当たり前のことでしょう。けが自体が不意のものだったとしても、そこに反省があっても、ただそれだけのこと。エンディくんの中で消化されて終わり――なのですが、わたしが言葉として、エンディくんに呪いをかけてしまったがゆえに、わたしという存在が事象に絡むことになってしまった」

 ふうん、面白いな。

「そして、これを突き詰めれば、わたしが言葉で呪いをかけたが故に、エンディくんが怪我をした――こうなります」

 おっと。

「極論……でもねえな、事実そう考えてもおかしくはねえ」

「これは簡単なたとえですが、より実用的な、複雑なものになると、呪いをかける方により面倒な準備が必要になります。細かい部分から段階的に、目的まで持っていく――その過程を含め、完成されたものが呪いですね」

「なるほどな、確かに暗示や洗脳なんかと似て非なるものか」

 ――ん? 何かしてるな、キコちゃん。見た目じゃわからんが、内部で何か……いや、やめておこう。

 今は深入りしたくない。

「ただし、呪いと呪術は違うものです」

 ありがたい講義を聴こう。

「もちろん呪いの扱いにも長けていますが、その本質は、攻撃的なものではなく、戦闘の補助ですらない、ただ相手の領域と己の領域を同じくする技術だと言われています」

「領域?」

 なんとはなしに、俺ばかりが合いの手を入れているので、進行役を買って出た。

 ……誰か文句言えよ。そうすりゃ譲るのに。

「この世ならざるモノ、記録には妖魔と呼ばれている、魔物とは違うものとありますね。ごく簡単に、幽霊を想像してください。彼らにいくら剣を振っても当たらない、いるかどうかもわからず、ただ波長が合えば見ることができるけれど、その姿は曖昧になって、特徴だけしか捉えられない」

「霊感ってやつか。信じるかどうかは置いておくとしても、確かにそういう感じだな」

「だから、――呪術を使い、相手の領域に入り込むんです。こちら側に引っ張り出すのではなく、こちらから相手と同じ土俵に入り、討伐をする。相手と同じモノになるのですから、攻撃も通ると考えて構わないでしょう」

 なんつー無茶な。

 危険地域に入り込むよりもひどいじゃないか。ああ、だから呪術ってやつは、帰る方法も含めての技術なんだろう。

「呪術の本質は、五行ごぎょうと呼ばれるもので世界のことわりかいします。木火土金水もっかどごんすい、この五つが均衡を保ち、世界ができている――と」

 ああ、それは知ってる。

 俺は師匠と同じく水気で、それが弟子になったきっかけの一つでもあったから。

「キココ、一ついいでしょうか」

「はい、なんでしょうルクさん」

「実際に、というか現実に、貴族社会でも馬鹿な連中が相手を呪うでしょう?」

「そうですねえ、儀式めいたことをしていますが、あれも確かに呪いの一種ではありますし、技術の一つですよ。――それが正しい方法かどうかは、別ですが」

 よく言われる、呪い返しってやつか。

 でも大半は、ラリリカの言葉を借りるなら教会と同じく、ただの銭ゲバだろ、連中は。それっぽいことをやって、禍禍まがまがしい雰囲気を作って……ああ、そうか。

 それも呪いか。

 言葉を含めて、いや、言葉の信ぴょう性を上げるための準備と考えれば頷ける。

 案外深いな……。

「少なくともわたしは、本物の呪術を扱う人に出会ったことはありません。記録も……そうですねえ、ざっと二百年ほど前のものが最新でしょうか」

「……そういう情報、残ってんのか」

「教会がもみ消していないものなら」

 おいおい、キコちゃんも笑顔で怖いことを言いやがる。

「ただ武術とは密接な関係にあったと、そう記されていたことは事実ですし、頷ける内容でもありました」

「調べるのは仕事か? それとも趣味?」

「どちらもです。ただ、ラールくんとは方向性が少し違いますね。重なる部分はありますが」

 ふうん、方向性ね。

「調べた情報から得るものの違い――って感じか」

 何気なく言ったら、沈黙が生まれた。何事かと思って組んでいた腕を外すが、キコちゃんは目を丸くしているし、ルクはこわーい笑みを浮かべ、キュウは糸目を片方だけ開けて俺を見ている。

 なんだおい。変なこと言ったか?

「はい、確かにその通りです。今回、ラリリカさんの――そう、あえてこの言葉を使いますが、解呪をしたのも、わたしではなくラールくんの方が良かったでしょう。わたしはあまりにも、相手に寄り添う気がないので」

 そうか? 本人がそう自覚してんならいいけど、俺らにこうやって教えてくれてんなら、悪いもんじゃねえだろ。

「おっと、そろそろ次の時間になりますね。戦闘訓練ですが、どうしましょう、続けますか?」

「もうそんな時間か。悪いが、学校で運動なんてしたくねえな。隠れてこっそりやるから、俺は帰る」

「残念ですけど、私もちょっとやることがあるので」

 俺について来る気だったんじゃないだろうな……?

「なら僕は図書室に行くついでに、保健室の様子見だけしておく」

「はい、わかりました。では終わりにしましょう」

 板書を残しておくのは、ほかの人たちのためか。

 さすがに二日目だから来たけど、こりゃ三日に一度くらいで充分そうだな。

 にしても――呪いか。

 うん。

 怪我、しないように注意しとくか。


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俺たちにはスキルがない 雨天紅雨/雨傘あめ @utenkoh_601

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