1-4 喧嘩

 手習い所で学ぶ子供たちは、正午の捨て鐘が鳴ると、昼食をとりに一旦家へ戻る。

 玄馬と並んで家路を辿っていた金五郎は、泣き出しそうな子供の声を聞いて足を止めた。


 志々間の里の中には、山から流れ出た水の作る小川が、静脈のように幾筋も流れている。

 その小川を渡る橋の前で、孫七たちが通せんぼをしていた。


「そこ、どいてよ! 通れねでねの」


 年少の子どもたちの中から、モモが果敢に声を上げた。自身の倍の背丈がある孫七たちは、たいそう恐ろしく見えるだろうに、大した度胸である。


「通りてぇだば、勝手に通ればえいべ。ほれほれ」


 孫七は蛇のようなのっぺりした顔に、にたりと嫌な笑みを浮かべた。通ればいいと口では言いながら、やせぎすの片足をにゅっと伸ばして、道をふさいでいる。文悟と嘉一も、孫七に倣うように足を広げた。

 モモのまん丸い顔が、泣き出しそうにゆがむ。


「孫七、えい加減にしろ。こんたな小せぇ子達いじめて、何が楽しぇんか」


 玄馬が鋭い声で批判する。

途端、孫七は胡乱な目を玄馬に向けた。ぞっとするほど酷薄な表情で睨まれても、玄馬は怯みもしない。


「関係ねぇ奴は すっこんでろ。出しゃばり」

「関係ねごどなどあるか。マタギの子が恥ばさらすな、みったぐねぇ」

「何だと」

「んがよォ、痛ぇ目見るか」


 年長の三人が肩を怒らせて玄馬に迫る。


「モモちゃ、モモちゃ」


 金五郎は、おろおろしているモモを手招きすると、自分の筆入れと手習い帳を託した。

 ぐっと首を左右に曲げて筋を伸ばし、ぶらぶらと手足をほぐす。


ちょっとさっとだげ離れて見てな。……オラァ、行くぞォ!」


 瞬間、金五郎は地を蹴って飛び出し、大砲のような勢いで、孫七の胸に飛び蹴りを食らわせた。

 孫七は受身も取れずに吹っ飛び、ぼちゃんと川の中に落ちた。


「こいつ!」

「やりゃあがっだな、こン木偶デク!」


 たちまち飛び掛かってきた文悟と嘉一に、続けざまに拳を見舞う。

 金五郎だって、いい加減腹に据えかねていたのだ。一矢報いる機会が巡ってきたのは、むしろ僥倖だった。


「おい、金熊!やめろ! こんたなごどしても何にもなんねべァ」


 慌てて止めに入った玄馬の顔面に、べちゃっと泥の塊がぶつかった。

 馬糞たっぷり、栄養満点の、畑の土だ。

 文悟が金五郎に向かって投げたものが、横に逸れたようである。


「えっ、あ……ざ、ざっまァ見ろ、このかっこつけ!」

「悔しかったら、やり返してみれ、弱虫が!」


 一瞬ひるんだ顔をした文悟たちだったが、自らを鼓舞してはやし立ててくる。

 玄馬は、顔一面かかった泥を、ゆっくりと手のひらで拭い落とした。

 そして、手習い帳と筆入れを地面に投げ捨てると、ボキボキと両手の指を鳴らしながら、乱闘の中に飛び込んで来た。


 そこからどういうことになったのか、詳細はよく覚えていない。

 三対二の勝負だったが、金五郎も玄馬も、殴られた数より、殴り返した数の方が多かったはずだ。

 この一発で、降参するだろう……そういう確信をもって、地面に押し倒した孫七に向かってこぶし振り上げた、その時だ。

 いきなり首根っこを掴まれて、体が後ろにひかれた。


「うえ……っ⁉」


 振り向いた金五郎は、たちまち全身が凍りついた。

 鬼のように吊り上がった三白眼でこちらを睨んでいたのは、久しぶりに会う、父・鉄五郎だった。

 猟を終えて山を降りてきたところだったのか、背後には数人のマタギたちを従えている。


「お、お、おっ、おっ……」


 刹那、雷のようなげんこつが脳天に降ってきた。

 父の拳に比べたら、孫七たちから受けた拳など、羽毛ばたきでそっと撫でられたようなものだ。

 志々間で一番硬いとされる、金五郎の石頭さえ、ぱかりと真っ二つにしてしまいそうな鋭いげんこつだった。


「こン不心得者が!」


 雷鳴のごとき怒声が、バリバリと轟いた。

 鉄五郎は、道端に転がった息子の胸倉をつかみ、ぐいと引き寄せて叱り飛ばした。


「真昼間に公道のど真ん中塞いで、何すでる!」

「シカリ。そう目くじら立でねでも、良いでねが」


 すかさず仲裁に入ってくれたのは、やはりというか、玄馬の父である。


男子おのこたる者、喧嘩の一つもでぎねば、かえって頼りね。たまに暴れるのは、元気な証拠だべしゃ」

わすは、喧嘩の善し悪しばかだってるのではね!」


 ギロリと横を向いた眼は、ますます熱を持って赤くなる。


「おのが事さ熱中して、わらす泣がしたのも気づかね、そン愚鈍さを叱っでらのしゃ!」


 その時、初めて金五郎の耳に、子どもの泣き声が届いた。

 はっとして見回すと、田んぼのあぜ道に、3つか4つばかりの幼子が二人、母親の足元にしがみついて泣いていた。

 たまたまこの道を通ろうとしたところ、年かさの少年たちが乱闘していたので通れず、しだいにその迫力が恐ろしくなって泣き出してしまったに違いない。

 手習い所の子どもたちも、みんな鼻の頭を赤くして、べそをかいている。

 モモなど、金五郎の手習い帳を胸に抱いたまま、ひんひんと細い声を上げて泣いていた。


「ご……ごめん。ごめんなァ、怖がらせて」


 思わず謝った金五郎の頬に、「今更遅い!」と父の平手が飛ぶ。


「金五郎。お前達にとっては、こんたなち合い、じゃれ合いみでぇなもんだべが、周りの者にとっては、そうではねのしゃ。体も力も一等でがぇお前は、絶対にそのごど忘れてはなんね」


 そこまで言って、父は初めて他の少年たちに目を向けた。


「お前もだぞ、玄馬。いつもえっかだ冷静なお前が、なすて一緒になって馬鹿やっでるか。孫七、文悟、嘉市。お前だつ三人とも、年長者でねが。年下に売られた喧嘩なぞ、軽く流すか いなすか でぎねで、何とする。そんたなごどでは、お前だつ、ただの一人もレッチュウで鉄砲なぞだせられねぞ」


 誰も何も言わなかった。

 年かさの三人の少年たちは、シカリの剣幕にすっかり震え上がっている。

 玄馬だけが落ち着いていて、沈痛な面を静かに下に向けていた。


「ああ、なんと、こりゃこりゃ……」


 そこへ、騒ぎを聞いて駆けつけたのは、手習い所の秀明先生だ。

 この場を一目見て状況を察したらしく、泣いている子供らを抱き寄せながら、ペコペコと頭を下げる。


「鉄五郎さん、申す訳ねす。手習いの帰りで起こったことだば、の監督不行き届きだ。こんたなごどが二度とねぇよう、よぐよぐ言って聞かせるんで、この場はひとつ、穏便に……」


 金五郎はますます体を縮めた。

 全く非のない秀明先生に頭を下げさせてしまったと思うと、細い糸で心臓を締め付けられるように、キリキリと胸が痛んだ

 鉄五郎はようやく怒気をおさめた。


「先生、お言葉はありがてぇことだども、おのがけがれは、おのが手で落とさねば、意味がねのす。……お前だつ、全員、穢ればそそぐまで家さへぇるでねぞ」


 穢れ。

 父が言い放った言葉に、金五郎は、ヒッと首をすくませた。


「全員、水垢離みずごりだッ!」


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