1-2 手習い所
金五郎は、顔も性格も、父親とはあまり似ていない。
父・鉄五郎は寡黙で厳格な男だ。
剽悍な体躯に、切れ長の鋭い目つき。鍛え上げられた山刀のごとく怜悧な雰囲気を漂わせている。
金五郎の人となりは、真逆だ。
まず、生まれた時から体がでかかった。
他の子を二人合わせたくらいの体格で、取り上げた産婆がその重みに耐えきれず、抱き上げたひょうしに後ろにひっくり返ったほどである。
生まれて
性格は極めて明るく、朗らかで、人懐っこくて愛嬌がある。しかし、細かい感情の機微を読むのは苦手で、さっきまで笑っていた相手が、自分の不用意な一言によって、気がつけばカンカンになっていたり、泣き出していたりということも少なくない。
歌が好きで、なかなかいい声をしていたが、ほどほどという事を知らないので、興が乗ると三軒先まで轟くような大声で歌ってしまう。
手習いに通い始めてからは、毎日のように叱られていた。
じっと座っていることができぬ。
蝶やトンボを追いかけて外に飛び出してしまう。
聞いた話は耳を素通りし、十ぺんも二十ぺんも教えられて、ようやくひとつ理解するような有様。
同年の子どもが日常の漢字を一通り書けるようになる頃にも、年下の子に混じって仮名文字の練習をさせられていた。
「金五郎!」
この日も、手習い所の机でうつらうつらと居眠りしていたら、警策でピシリと肩を叩かれた。
「あっでえッ⁉」
「またか。休むのはえいが、机で居眠りばすてはなんねと言ったではねか」
手習い所で師範を務める彼は、もともとは秋田城下で名を知られた学者であったという。それがなんの因果で、かような山間の里で猟師の子らに読み書きを教えるようになったかは金五郎の知る所ではないが、彼は厳しくも優しい、この老師範が好きだった。
眠い目を両手でぐりぐりこすりながら、なんとか筆を握り直す。
隣に座るモモという小さな女の子が、「金ちゃん、がんばろう」と、まるっちい手で金五郎の腕を優しく叩いてくれた。
二人の間には、ごく簡単で日常使いする漢字の書かれた教本が置かれている。
つまり、十の金五郎と、七つのモモが、同じ漢字を練習しているのである。
「金熊、
向かいに座っていた孫七が嘲るように言うと、取り巻きの文悟と嘉市が追従するように笑う。
数え七つでこの手習い所に通い始めた頃、じっと座っていることができない金五郎を、秀明先生は自身の膝の上に座らせて勉強を見てくれた。その時のことを、今でも揶揄してくるのだ。
彼らは金五郎より二つ年上の十二歳で、次の春山狩りで
特に筆頭の孫七は、里長の縁者であることも手伝って、非常に傲慢で、他の子どもを下に見るところがあった。とりわけ金五郎のことは、シカリの子であることが気に入らないのか、しょっちゅう絡んでくる。
金五郎は、先生の目を盗み、書き損じの紙を丸めて、孫七の顔めがけて投げた。
しかし、かすりもせずに畳に落ちてしまう。孫七たちは一層愉快そうにゲラゲラと笑う。
「へだくそ」
「お前、
「この……っ」
むきになって次の紙を丸め始めた金五郎の頭に、ぱさりと渇いた手ぬぐいが落ちてきた。
見ると、玄馬が金五郎の腕を引きながら、親指でぐいと外を指さしていた。
「あんたな軽口ば、気にすんでねぇぞ。しょうもねぇ」
井戸端でざぶざぶと水を被る金五郎の隣で、玄馬は本の丁をめくりながら、こともなげに言い捨てる。
金五郎は、玄馬の手ぬぐいで顔をぬぐった。冷たい井戸水のおかげで眠気は吹っ飛んだが、胸の中にはもやもやしたものが漂っている。
「だども、あいつら、しつっけぇんだ。
「そんたな
「玄馬は腹ァ立だねのか」
「羽虫がぶんぶん飛んでるだけだと思えば、なんも思わね」
玄馬はいつだってこの調子だ。
他人は他人、自分は自分。
今だって、他の子どもらが読むような往来物は、とっくにみんな読み終わってしまって、お武家の子が読むような「論語」を読んでいる。「マタギの子が、そんたな物読んで、何になる」と孫七につっかかられても、「んだな。だども、面白ぇからよ」とあっさりかわすだけだ。
その一方、悪童どもの相手で手が回らない秀明先生の代わりに、年少の子どもたちの世話を焼く、面倒見の良さもある。
玄馬をこの小さな里で燻らせておくのは惜しいと、秀明先生はいつも言っている。
一を聞けば十を知る聡明さ。
瞬時に状況を察して、その場でもっともすべきことをすることができる判断力と行動力。
いつも冷静で、少々のことでは動じない胆力。
体格は金五郎に次いで大きく、運動神経もいい。
おまけに容貌きらきらしく、女にモテる。
誰もが口をそろえて君子の器だと言う。
「……天は人に
いつだったか、秀明先生に教わった故事を口にする。
玄馬は片眉を吊り上げた。
「なに?『天は人に
「あらァ、嘘だべ。三物も四物も持っでら奴が、目の前にいるべしゃ」
「金熊だって、二物はあるだろ。シカリの子で、喧嘩じゃ負け知らずの力自慢。あまり多くを求めると罰が当たるべ」
玄馬は少し語気を強くしたが、金五郎が「おらァ、この
性格が真反対な二人がうまくやれているのは、何も「幼馴染だから」という理由によるのではない。
かようなくだらないことで、玄馬が笑ってくれるからだ。
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