氷晶の朝 ~マタギ金五郎奮闘譚~

伽藍 朱

第一章 志々間の里の金五郎

1-1 空の剥片


 ブナの林は天を指している。

 厚い雲に覆われた空から、ほろほろと雪の花弁が降り落ちてくる。

 しっとりと水気を含んだ雪片が鼻先を訪れた時、金五郎は、れ、と赤い舌を出して、それを受け止めた。


「何してらんだ、金熊」


 少し先を歩いていた玄馬がそれに気づき、呆れた顔で振り返る。

『金熊』というのは、金五郎の渾名あだなだ。体が大きくて、『熊』のような『金』五郎だから、年の近い者たちは、親しみを込めて彼をそう呼ぶ。

 金五郎は、もむもむと口を蠢かせて雪解け水を味わった後、口の中でぬるんだそれを、ごくりと呑み込んだ。


「味しねな」

「当だりだ」

「見だ目は甘そうなのになァ」

「融ければ水だべ? 甘かったら大変なごどさなる」


 聡明なる幼馴染の玄馬は取り付く島もないが、「んだべか」と金五郎は、まだ得心のいかない様子で口元を拭った。

 こんなにも、毎日毎日、飽きもせずに降ってくるのだ。

 鉛色の空が、少しずつ、ほろほろと剥がれ落ちるように。

 だったら、少しくらい、空の味がしたっていいものだ。

 加えて腹にたまるものであれば、飢えることもない。


 天保二年、晩秋。

 羽州うしゅう阿仁あに志々間しじまの里。

 数えで十の金五郎は、いつも腹を空かせていた。


「甘ぇ雪だか。ハハッ! 面白ぇごど言うなァ、金五郎は」


 少し前を歩いていた玄馬の お・勇馬が、こちらを振り返って笑う。一重まぶたの とろんとした目の端に、優しい笑い皺が刻まれている。

 金五郎は嬉しくなり、小走りに五、六歩、前へ進んで、その隣に並んだ。背に負った籠の中で、とれたての茸ががさがさと音を立てた。


 金五郎と玄馬は、ここ阿仁で、代々獣を狩って暮らしている、マタギの家の子だ。

 マタギというのは、独自の宗教を持ち、集団で猟をする人々のことで、その始まりを辿れば、嵯峨天皇の御代にまで遡ると言われている。


 金五郎の父・鉄五郎は、狩猟隊レッチュウ統領シカリであった。

 強者ぞろいのレッチュウの中でも、随一の鉄砲の名手であり、山においては、その場にいる全員の命を預かる存在でもある。

 早世した祖父に代わって、二十代でシカリの地位を継いだ鉄五郎は、留守がちだった。山の番人として、常にその状態に気を配るだけでなく、里長や、よそのレッチュウのシカリとの会合だとかで、しょっちゅう家を空けていた。

 本来、マタギの子は、その父や、祖父から、山のことを教わるものだが、金五郎にはその機会がない。そこで、幼馴染の玄馬の父親が、ことあるごとに金五郎に声をかけ、息子同然に山へ連れ出しては、面倒を見てくれていた。

今日もまた、茸採りに行くからと、朝から出かけてきた帰りである。

 金五郎は、多忙な実父より、この幼馴染の父の方に、よほど懐いていた。


「ん……」


 不意に勇馬が立ち止まり、息子たちに「静かに」と手で示した。

 まだ降り初めの、薄く積もった雪の上に、小さな足あとがついている。

 勇馬は足あとの向かう先を注意深く見つめると、後ろ腰に挿したワラダ (円形に編んだ藁に取っ手をつけた猟具) を引き抜き、手首をひねって投げた。

 ワラダはたかの羽音のような音を立てて、回転しながら宙を舞う。


「あ」


 金五郎は思わず息を呑んだ。

 樹木の影に隠れていた兎がパッと飛び出し、矢のように駆けて、巣穴に飛び込んだのである。

 勇馬はすぐさま駆け寄ると、穴に腕を突っ込む。そして、中で縮こまっていた兎の耳を掴んで、ぐいと引っ張り出した。

 思わず掌を打ち鳴らしたくなるような、鮮やかな手並みであった。


「こえだば投げるとな、兎は天敵たかが来だと思って、一目散に穴さ逃げるのしゃ」


 勇馬は更に二羽の兎を獲り、一羽は金五郎の籠の中に入れてくれた。


 

 やがて林が切れて、麓の里が見えてきた。

 山神神社を少し下った山の入口に、門番のように立つ大きな家が、金五郎の家だ。

 折しも、正面の木戸が開き、ふっくらとした丸顔の女がきょろきょろと顔をのぞかせるのが見えた。金五郎の五つ上の姉、んだ。


「姉ちゃ!たでぇま!」

「金五郎!お、勇馬さんさ迷惑かげねがっただが⁉」


 弟の顔を見た途端、ゑんは、黒々とした眉を吊り上げる。

 肩幅が広く、手足が太く、女にしては声が低い姉は、見た目だけでなく、話し方も母にそっくりだ。肩を怒らせてずんずんと迫ってこられると、押しつぶされそうな迫力がある。

 金五郎は、うへっと肩をすくませて、自分よりほんのちょっと小柄な玄馬の後ろに隠れる。顔立ちが整っていて、いつも礼儀正しい玄馬を嫌う女衆おなごしはいないからだ。

 勇馬は鷹揚に笑いながら、金五郎の背を叩く。


「おゑんちゃ、そう怖ぇ顔しねで。遅くなってわりがったな。雪さ降って来たんで、心配しでだべしゃ」

「いんや、雪なんて……この子、いつもえっかだ落ち着ぎねんだもの。どんたに周りを困らせだがって。心配なんて、そればっかりだす」


 ゑんは、勇馬に対しては一転して、しおらしく頭を垂れる。その、ころんとした団子鼻は、寒さに火照って赤くなっている。雪が降り始めてから、何度も戸口を開けては、山の入口に弟の姿を探していたのだろう。

 玄馬に小突かれて、金五郎はおずおずとその背の陰から出てきた。

 背に負った籠の中身を見せると、吊り上がっていた姉の目の端が、まん丸く和らいだ。


 家に入ると、味噌のにおいのする熱く湿った空気と、独特の獣臭が身を包む。

 梁に吊るされた、皮の剥がれた熊の頭蓋や、長押にかけられた先祖伝来の大タテが、物々しく金五郎を見下ろしている。

 空腹にキリキリと痛む腹を撫でながら、金五郎は外出着のままで囲炉裏端に座った。鉤に吊るされた鉄鍋は、くつくつと木の蓋を小躍りさせながら、いい匂いを漂わせている。

 蓋に手を伸ばすと、たちまち、「蓑笠置いて!」と姉からの叱責が飛んだ。言うとおりにして戻ってくると、今度は「手、洗って!」と叱られる。せわしない。


「いっぺんに言っでけれよ、姉ちゃ」

「普通は、なんも言われねでも、いっぺんにやってくるもんだ」

「あ、やった! だまこ汁!」

「一人で全部食うんでねぇど」


 米粉を練って作った餅を、鳥や山菜と一緒に煮込んだ だまこ汁は、金五郎の好物だ。

 姉が、熱々の汁を大ぶりの椀にたっぷりとすくってくれる間、金五郎はむずつく足を押さえつけて辛抱強く待った。


 夕食は姉と弟の二人で摂るのが常だ。

 母のナギは産婆をしていて、お産が近い女がいると、数日間つきっきりで面倒を見ることもある。しかも大変腕がいいため、彼女がつくお産は安産だと評判で、「志々間のイザナギ」なる異名がついてからは、里の外からさえお呼びがかかるようになった。そのため、母も父に負けず劣らず多忙で留守がちである。


 黄金色の脂が浮いた、熱々の汁をすすり込む。

 こってりとした滋味と旨味が頬の内側に染みる。

 たっぷりと口に入れたはずなのに、次の瞬間には蕩けるようになくなっていて、その形を確かめようと次から次へ口に掻き入れる。

 

「うんめなァ」


 ため息とともに呟いた言葉は、夢のような湯気になって、大気の中に溶けていった。

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