「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

@eringeek

第1話 「地味で可愛げがない」と婚約破棄されました

シャンデリアの煌めきが、今の私には酷く目に沁みる。

王立学園の卒業記念パーティー。色とりどりのドレスを纏った令嬢たちが蝶のように舞い、華やかな音楽がホールを満たしている。その中心から少し外れた壁際で、私はグラス片手に息を潜めていた。


アリア・フォン・ローゼン。それが私の名前だ。

この国の由緒ある伯爵家の長女でありながら、社交界では「壁の花」どころか「壁の染み」と陰口を叩かれる存在。

鳶色の髪はいつも野暮ったくまとめられ、度の強い眼鏡の奥にある瞳の色すら、誰も気に留めない。着ているドレスも、流行を三周遅れたような地味なモスグリーンのものだ。


(……早く帰りたい)


内心でそう呟いたとき、私の周りをふわりと小さな光の粒が舞った。

『アリア、アリア。つまんないの?』

『あいつらのダンス、へたっぴだねえ』

『ねえねえ、甘いお菓子食べに行こうよ』


鈴を転がしたような声が、私の耳元だけで響く。

それは精霊たちの声だった。

この世界には、万物に宿る精霊が存在する。火、水、風、土、そして光や闇。彼らは気まぐれで、普通の人間には姿も見えないし、声も聞こえない。

けれど、私には彼らが見える。物心ついた時から、当たり前のように彼らと言葉を交わしてきた。


『しっ、静かに。目立っちゃうでしょう』


私が唇を動かさずに心の中で語りかけると、精霊たちはクスクスと笑いながら私の肩や髪飾りに隠れた。

私が「地味」を装っているのには理由がある。精霊に愛されすぎているからだ。

もし私が感情を露わにしたり、目立つ行動をとったりすれば、精霊たちも興奮して力を振るってしまう。そうなれば、ただでさえ「不気味だ」「虚言癖がある」と家族に疎まれている私が、魔女扱いされかねない。

だから私は、感情を押し殺し、影のように生きることを選んだ。


しかし、どうやら今の状況は、私が静かに消えることを許してはくれないらしい。


突然、ホールの演奏が不自然に止まった。

ざわめきが波のように広がり、やがて静寂へと変わる。

ダンスフロアの中央、人々が割れたその先に立っていたのは、この国の第二王子であり、私の婚約者であるギルバート殿下だった。

そしてその腕には、豪奢なピンクブロンドの髪をなびかせた少女――私の異母妹、ミラがしがみついている。


「アリア・フォン・ローゼン! 前へ出ろ!」


ギルバート殿下のよく通る声が、ホールに響き渡った。

私は小さく溜息をつきたい衝動をこらえ、ゆっくりと歩みを進める。

群衆の視線が突き刺さる。嘲笑、憐憫、そして好奇の目。

殿下の前まで進み出ると、私は恭しくカーテシーをした。


「お呼びでしょうか、殿下」

「白々しい態度をとるな! アリア、貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」


婚約破棄。

その言葉が放たれた瞬間、会場中がどっと沸いた。

驚きはない。いつかこうなることは予期していた。

ギルバート殿下は派手好きで、自分が主役でなければ気が済まない性格だ。地味で口数も少なく、彼を褒めそやすこともしない私は、アクセサリーとしては不満だったのだろう。

それに比べて、妹のミラは愛らしい容姿と、甘え上手な性格を持っている。


「理由を……お伺いしてもよろしいでしょうか」

「理由だと? 自覚がないのか、この悪女め!」


殿下は私の顔を指さし、軽蔑の色を隠そうともせずに言い放った。


「貴様は、その陰湿な性格で、妹のミラを虐げ続けてきたそうだな! ミラのドレスを切り裂き、教科書を隠し、あまつさえ階段から突き落とそうとしたと聞いているぞ!」


私の後ろで、精霊たちが『嘘つき!』『やってないよ!』と騒ぎ出すのを、私は必死になだめる。

もちろん、全て身に覚えのないことだ。

ドレスを破いたのはミラが自分で転んだからだし、教科書をなくしたのは彼女の整理整頓ができないせいだ。階段の件に至っては、足を滑らせた彼女を私が助けたというのが真実である。


「……それは誤解です、殿下。私はそのようなことは――」

「言い訳など聞きたくない! ミラは泣きながら僕に訴えてきたのだぞ。姉上が怖い、と!」


ミラが殿下の胸に顔を埋め、大げさに肩を震わせた。

その隙間から、私に向けて勝ち誇ったような笑みが向けられたのを、私は見逃さなかった。

彼女は昔からそうだった。

私が精霊の力を借りて育てた美しい花を「私が育てました」と父に報告し、私が夜なべして刺繍したハンカチを「お姉様に押し付けられました」と嘘をつく。

父も継母も、可愛らしいミラの言葉だけを信じ、私を地下室に閉じ込めたり、食事を抜いたりした。


「それにだ、アリア。貴様には王族に嫁ぐ資格などない。精霊の加護も持たぬ無能者が!」


その言葉に、私は思わず瞬きをした。

無能。精霊の加護がない。

私の周りには今も、無数の精霊たちが飛び回っているというのに。


「見てみろ、このミラを。彼女こそが真の『精霊の愛し子』だ。先日の不作続きだった王都の畑が蘇ったのも、連日の雨が止んで晴天続きになったのも、すべてミラの祈りが通じたからだ!」


殿下がミラを抱き寄せると、会場からは「おお……」と感嘆の声が上がる。

「やはり噂は本当だったのか」「次期聖女様だ」と称賛する声が聞こえる。


私は呆れて物が言えなかった。

畑が蘇ったのは、私が土の精霊たちにお願いして養分を分けてもらったからだ。雨を止ませたのは、風の精霊に頼んで雨雲を追いやってもらったからだ。

ミラはただ、私が作業している横で「お姉様、泥だらけで汚い」と笑っていただけではないか。


(でも……言っても無駄ね)


私は悟った。

誰も真実など見ていない。彼らは、見たいものだけを見ているのだ。

華やかで美しい王子と、それにふさわしい可憐な聖女。

その物語の中に、地味で陰気な姉など不要なのだ。


「地味で、可愛げがなく、才能もない。その上、妹をいじめるような心の醜い女は、僕の隣にはふさわしくない! 僕はミラと結婚する。彼女こそが、僕の運命の相手だ!」


高らかに宣言する殿下。

その隣で、ミラが恥ずかしそうに頬を染める。

観衆からは拍手喝采が巻き起こった。まるで感動的な舞台の幕切れのようだ。

私は、完全に悪役としてそこに立たされていた。


「アリア・フォン・ローゼン。貴様には国外追放……と言いたいところだが、慈悲深いミラの頼みで国内に留まることだけは許してやろう。ただし、王都からは出ていけ! 二度と僕たちの前に顔を見せるな!」

「……伯爵家からも除籍とする!」


群衆の中から、父が進み出て叫んだ。

顔を真っ赤にして、私を睨みつけている。

「我が家の恥さらしめ。今すぐこの場から消え失せろ! 屋敷に戻ることも許さん。荷物をまとめる必要もない。着の身着のままで出ていけ!」


父の言葉は、最後通告だった。

婚約破棄に加えて、実家からの勘当。

無一文で、この冬空の下へ放り出されるということだ。

普通なら絶望して泣き崩れる場面かもしれない。

けれど、不思議と私の心は凪いでいた。


『アリア、泣かないで』

『あんな男、こっちから捨ててやれ!』

『そうだよ、あんな家、出て行ったほうがせいせいするよ!』


精霊たちの励ましが、温かく心に染みる。

そうだ。彼らの言う通りだ。

今まで私は、家族に認められたくて、王家に迷惑をかけないようにと、必死に自分を押し殺してきた。

精霊の力を隠し、功績を妹に譲り、罵倒に耐えてきた。

でも、もうその必要はないのだ。

これは終わりではない。解放だ。


私はゆっくりと顔を上げた。

眼鏡の位置を正し、背筋を伸ばす。

その所作一つに、精霊たちが力を貸してくれる。風が私の髪を優しく撫で、光の精霊がわずかに私の周囲を照らした。

一瞬、会場の空気が張り詰める。

地味で目立たないはずの私が、奇妙な存在感を放ったからだろうか。ギルバート殿下がわずかにたじろいだ。


「……承知いたしました」


私の声は、静まり返ったホールによく響いた。


「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。今までお世話になりました、お父様、お母様。そして殿下」

「ふん、やっと自分の立場を理解したか」

「ミラ」


私は最後に、勝ち誇った顔の妹を見た。

彼女は私の視線に、ふふんと鼻を鳴らす。


「ごめんねお姉様。でも、真実の愛には勝てないのよ」

「……そうね。お幸せに」


皮肉でもなんでもなく、私は本心からそう言った。

精霊の声が聞こえない彼女には分からないだろう。

今、このホールにいる精霊たちが、どれほど怒り狂っているかを。


『許さない、許さないぞ』

『アリアをいじめる悪いやつら』

『もうこの国には雨を降らせてあげない』

『作物は全部枯らしてやる』

『光を奪え、風を止めろ』


精霊たちの怒りは、自然界のバランスそのものだ。

私がこれまでなだめてきたからこそ、この国は豊かさを保っていた。

その私が去れば、どうなるか。

精霊の加護を失った「聖女」と「王国」がどうなるか、私には想像がついたが、忠告してやる義理などもう残っていなかった。


私は踵を返し、出口へと歩き出した。

誰も私を止めない。それどころか、モーセの海割りのように道が開いていく。

背後からは、再び祝いの音楽と笑い声が聞こえ始めた。

彼らは知らない。自分たちが今、何を失ったのかを。


重い扉を開けると、冷たい夜風が頬を打った。

外は雪が降り始めていた。

吐く息が白い。

華やかなドレス一枚では凍えそうな寒さだが、不思議と寒さは感じなかった。

火の精霊サラマンダーの子どもたちが、私の周りを飛び回り、熱を分け与えてくれているからだ。


『アリア、寒い? 大丈夫?』

『平気よ。ありがとう』


私は夜空を見上げた。

分厚い雲の隙間から、月明かりが雪道を照らしている。

所持品はゼロ。行くあてもない。

けれど、私の足取りは軽かった。

もう、誰かの顔色を窺う必要はない。

地味な眼鏡も、似合わない色のドレスも、これからは自分の好きなものを選べる。


「さて……どこへ行こうか」


私は王都の門を目指して歩き始めた。

精霊たちが道案内をするように、私の前を飛んでいく。


『北へ行こうよ、アリア』

『北にはすごい人間がいるよ』

『氷の城があるんだって』

『こわーい精霊もいっぱいいるけど、アリアなら平気!』


北。

この国で北といえば、極寒の地、辺境伯領だ。

そこには「氷の公爵」と恐れられる、冷酷無慈悲な領主がいると聞く。

魔獣が跋扈し、一年中雪に閉ざされた過酷な土地。

しかし、なぜだろう。精霊たちが楽しそうに北を指差している。


「北……か。いいかもしれないわね」


王都にいれば、また実家や王家の邪魔が入るかもしれない。

誰も追いかけてこないような最果ての地で、ひっそりと暮らすのも悪くない。

私は精霊農家として、小さな畑を耕して暮らす自分を想像して、小さく笑った。


雪は激しさを増し、王都の灯りが遠ざかっていく。

私の足跡はすぐに雪にかき消され、後には何も残らない。

アリア・フォン・ローゼンは今夜、死んだも同然だ。

明日からは、ただのアリアとして生きる。


しかし、私はまだ知らなかった。

精霊たちの言う「すごい人間」が、私の運命を大きく変えることになるなんて。

そして、私が去った後の王都が、翌日から未曽有の天変地異に見舞われ、大パニックに陥ることになるなんて。


そんなことは露知らず、私は真っ白な雪の向こうへと、一歩ずつ踏み出していった。


続く

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