第32話:さらば、愛しき地獄

 首都高速湾岸線。

 私たちを乗せたトラックは、東京湾からの横風を受けながら、猛スピードでアスファルトを疾走していた。

 左手に広がる海。右手には、かつて私たちが戦ったビルの街並みや、巨大な倉庫群が飛び去っていく。


「……見納めだな、東京も」

 運転席の葛原(くずはら)が、バックミラー越しに言った。

 その言葉には、寂しさと同時に、どこか清々しい響きがあった。


 荷台の幌(ほろ)の隙間から、私は遠ざかるスカイツリーを見つめた。

 この国で生まれ、父に愛され、小説を書き、そして全てを失った。

 愛憎入り混じるこの国とも、これでお別れだ。


「……後悔してますか、お嬢」

 隣で瑛司(えいじ)が尋ねてきた。

 彼は黒く変異した左腕を愛おしそうに撫でながら、私を見つめている。白銀の右目と深紅の左目が、私の心の奥底まで見透かそうとしているようだ。


「まさか」

 私は首を振った。

「父さんが命がけで守った国を捨てるのは、少し胸が痛むけど……。でも、ここで私たちが捕まって見世物になる方が、父さんは悲しむわ」

「違げえねえ」

 瑛司は笑い、私の手を握った。

 その手は温かかった。私の血が流れているからだ。


          *


 羽田空港、国際線ターミナル貨物エリア。

 通常の旅客機が発着する煌びやかなターミナルとは異なり、無機質なコンテナとハンガーが並ぶ、空港の裏側だ。


 葛原のトラックがフェンスを突き破り、滑走路脇の駐機場へと滑り込んだ。

 そこには、一機の双発プロペラ機が待機していた。

 塗装は剥げかけ、機体番号も消されかけた、いかにも怪しげな輸送機だ。


「あれだ! 『南』の独立国行きの非正規便だ!」

 葛原が叫ぶ。

 タラップの下には、パイロットらしき男が手招きしている。


 だが、そう簡単に「チェックアウト」はさせてもらえないようだった。


 ウゥゥゥゥゥッ!!

 空襲警報のようなサイレンが鳴り響く。

 滑走路の四方から、黒塗りの装甲車と、パトカーの壁が迫ってきた。

 さらに上空には、攻撃ヘリ「アパッチ」の姿も見える。


「……やっぱり、待ち伏せか」

 瑛司が舌打ちをして立ち上がる。


 装甲車の一台から、拡声器を持った男が降りてきた。

 葛城(かつらぎ)信(しん)総理代行だ。

 彼は呆れたように肩をすくめ、私たちに呼びかけた。


『懲りない人たちだ。……ここが日本の空の玄関口だということを忘れたのかね? 鼠一匹逃がさない警備体制だ』


 葛城の合図と共に、装甲車から米軍特殊部隊「Anti-Beast Force」が展開する。

 彼らはもう、麻酔銃ではなく、対物ライフルやロケットランチャーを構えていた。

 生け捕りを諦め、完全に「殲滅」する構えだ。


『君たちは危険すぎる。……国外へ逃亡し、その力を反米国家に利用されるくらいなら、ここで灰になってもらう』


 葛城の目が冷酷に光る。

 これが、この国のトップの判断か。

 自国民を守るのではなく、大国の顔色を窺い、不都合な英雄を抹殺する。


「……上等だよ」

 瑛司がトラックから飛び降りた。

 風に白銀の髪が舞う。

 彼は私を背に庇い、たった一人で軍隊と対峙した。


「お前らが俺たちを『危険』と呼ぶなら、その理由を教えてやるよ」


 瑛司が黒い左腕を掲げた。

 ドクンッ!

 私の心臓が共鳴する。

 私の血液が、彼の腕の中で沸騰し、莫大なエネルギーへと変換される感覚。


「お嬢、血を借ります!」

「いくらでも使いなさい!」


 瑛司が地面を殴りつけた。


「――黒鹿(こくろく)の・地裂(グランド・ブレイク)ッ!」


 ズズズズズ……ドガァァァァァァンッ!!


 滑走路のアスファルトが、巨大な地震が起きたかのように裂けた。

 亀裂は蛇のように走り、展開していた装甲車やパトカーを次々と飲み込んでいく。

 Anti-Beast Forceたちがバランスを崩し、悲鳴を上げる。


「な、なんだと!? 滑走路ごと破壊した!?」

 葛城が狼狽して後退する。


「道はこじ開けた! 走れ、紗矢!」

 葛原が私の背中を押した。


「葛原さんも一緒に!」

「俺は残る!」


 葛原は懐から拳銃を取り出し、追っ手に向かって発砲した。

「俺まで逃げたら、誰が国内に残った仲間を守るんだ! ……それに、俺はここ(日本)が好きでね。腐った政治家相手に喧嘩売るのが生きがいなんだよ!」


 彼はニカッと笑い、親指を立てた。

「行け! 世界を見てこい! そしていつか、最高の土産話を聞かせてくれ!」


「……葛原さん、ありがとう!」

 私は涙をこらえ、瑛司と共に輸送機へと走った。


          *


 私たちが機内に飛び込むと同時に、パイロットがエンジン出力を最大にした。

 プロペラが轟音を上げ、機体が動き出す。

 だが、滑走路にはまだAnti-Beast Forceの残党が残っていた。

 彼らはロケットランチャーを構え、離陸しようとする機体を狙っている。


「逃がすかァッ!」

 飛来する弾頭。

 当たれば木っ端微塵だ。


「チッ、しつこいハエだ!」

 瑛司が、開いたままのカーゴドア(貨物扉)の縁に立った。

 風圧で体が飛ばされそうになるのを、黒い左腕でガッチリとフレームを掴んで耐える。


「お嬢! 最後のプレゼントだ!」

 彼が右手をかざす。

 私は即座に理解し、彼の背中に手を当てた。

 魂の同調(シンクロ)。

 私の全生命力を、一発の弾丸に変えて彼に託す。


「――浄化(パージ)・波動砲(ブラスト)ッ!」


 カッッッ!!!

 瑛司の右手から、極太の光のビームが放たれた。

 それはロケット弾を空中で蒸発させ、そのまま地上にいるAnti-Beast Forceの部隊を薙ぎ払った。

 殺傷力はない。だが、強烈な光と衝撃波で、彼らの戦意と装備を完全に無力化した。


 機体がふわりと浮き上がる。

 重力が足元にかかる。

 私たちは飛んだ。


 眼下には、小さくなっていくAnti-Beast Forceの隊員と、呆然と空を見上げる葛城の姿。

 そして、両手を振って見送る葛原の姿があった。


「……あばよ、日本」

 瑛司が呟き、カーゴドアを閉めた。

 閉ざされた扉の隙間から、東京の街並みが見えた。

 高層ビル群、東京タワー、そしてスカイツリー。

 かつて私が愛し、憎み、戦った場所。


 機内は薄暗く、オイルと古い革の匂いがした。

 私たちは貨物コンテナの隙間に座り込んだ。

 全身の力が抜け、指一本動かせないほどの疲労感が襲ってくる。


「……やったわね」

「ええ。……逃げ切りました」


 瑛司が私の肩に頭を預けてきた。

 白銀の髪が、私の頬をくすぐる。

 彼の左腕の黒い輝きは収まり、今は静かに脈打っている。


「どこへ行くのかしら」

「さあね。……葛原さんの話じゃ、赤道直下の島国だとか。バナナが美味いらしいですよ」

「ふふ、バナナかあ。……悪くないわね」


 私は目を閉じた。

 飛行機の揺れが、ゆりかごのように心地よい。


 私たちは失った。

 国籍も、家も、身分も。

 私はもう「辰田紗矢」という名の作家として、日本で本を出すことはできないかもしれない。

 瑛司もまた、極道としての生き場所を失った。


 でも、私たちは得た。

 誰にも縛られない自由と、二人で生きるという未来を。


「……ねえ、瑛司」

「はい」

「小説、書くわよ」

「ええ。楽しみにしてます」


 私は膝の上のバッグから、一冊のノートを取り出した。

 日本で書き溜めた『革命詩』の原稿だ。

 これは、第一部の完結。

 そして、ここから先は、まだ白紙のページが続いている。


「タイトルは決まってるの」

「ほう。なんて?」


 私はノートの表紙に、ペンで大きく書き込んだ。


 『亡命作家と白銀の獣(ケダモノ)』


「……ケダモノってのは、ひどくないですか?」

 瑛司が苦笑する。

「いいじゃない。あなたにぴったりよ」

 私は彼の頬にキスをした。


 飛行機は雲を抜け、成層圏へと達していた。

 窓の外には、どこまでも広がる蒼穹(そうきゅう)。

 国境のない空が、私たちを待っていた。


 さようなら、愛しき地獄。

 ありがとう、私の故郷。

 いつか、この物語が海を越えて、あなたの元へ届くことを信じて。


 私たちの旅は、まだ始まったばかりだ。


(第32話 完)

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