第23話:龍、墜つ(後編)―親父の背中

 地下神殿の中心で、光と闇が激突した。

 瑛司(えいじ)と私の命を束ねた白鹿の突撃は、確かに神速の一撃だった。その角は、錦川治城(はるき)の展開する黒いオーラの障壁を紙のように引き裂き、彼の懐へと到達した。


「――貫けェッ!」


 私が叫び、瑛司が角を突き出す。

 だが。

 錦川は、目前に迫った光の切っ先を見ても、眉一つ動かさなかった。


「無駄だと言ったはずだよ」


 ドムッ。

 鈍い音が響いた。

 瑛司の角が、錦川の胸に突き刺さる直前で止まっていた。

 いや、止められたのだ。

 錦川の胸にある「冥王」の刺青から、漆黒の泥のような触手が無数に伸び、それが瑛司の角と身体を絡め取っていたのだ。


『グッ……オォォォッ!?』

 瑛司がもがくが、泥は接着剤のようにまとわりつき、光を侵食していく。


「君たちの命は美しい。だが、所詮は『二人分』だ」

 錦川が冷酷に笑う。

「私は、この神殿を通じて、地下深くに眠る数万、数億の古代の魂とリンクしている。さらに、これまで食らった生贄たちの生命力もある。……太平洋の水量に対し、コップ一杯の水で挑むようなものだ」


 圧倒的な質量差。

 錦川が右手を振ると、黒い泥が巨大な腕となり、私たちを薙ぎ払った。


 ズガァァァンッ!

 

 私たちは神殿の階段を転がり落ち、地面に叩きつけられた。

 衝撃で獣神化が解け、瑛司と私は人間の姿に戻って放り出された。

 二人とも、もう立ち上がる力さえ残っていなかった。

 髪は完全に白く染まり、肌は土気色に変色している。生命力の枯渇。限界だ。


「……あ、が……」

 瑛司が吐血する。その血さえも、薄い水のように色がなかった。


 錦川が、空中に浮遊しながらゆっくりと降りてくる。

 その背後には、闇で構成された巨大な死神の影――「冥王」の化身が揺らめいている。


「楽しかったよ。だが、遊びは終わりだ」

 錦川が頭上に巨大な闇の球体を生成した。

 それはブラックホールのように周囲の光を飲み込み、圧倒的な破壊エネルギーを蓄えている。

「消え去れ。そして私の糧となれ」


 球体が、私たちめがけて放たれた。

 避けられない。

 私は瑛司に覆いかぶさり、目を閉じた。

 ごめん、父さん。私たちは、ここまでだった――。


 その時。


「――うちの若いモンに、何してくれてんだ、あァ!?」


 ドガァァァァァァンッ!!


 天井の一部が崩落し、巨大な瓦礫と共に一人の男が降ってきた。

 土煙を巻き上げ、私たちの前に着地したその男は、放たれた闇の球体を、一刀両断に斬り伏せていた。

 日本刀が砕け散る音。

 だが、男は一歩も引かなかった。


「……父さん!?」


 そこに立っていたのは、辰田剛(ごう)だった。

 全身傷だらけで、着流しはボロボロに破れ、体中から血を流している。

 地上の近衛兵たちを相手に、死ぬ気で突破してきたのだ。


「遅くなってすまねえ。……随分と深い穴蔵じゃねえか」

 父は砕けた刀の柄を捨て、血を吐き捨てて笑った。

 その背中は、私が見てきたどんな時よりも大きく、頼もしく見えた。


「辰田剛か……。野良犬が、よくここまで辿り着いたものだ」

 錦川が不愉快そうに眉をひそめる。

「だが、生身の人間ごときに何ができる? その老いぼれた命一つで、私の『冥王』に勝てるとでも?」


「生身じゃ勝てねえよ。だから……」

 父は、破れた着物を引き裂き、上半身を露わにした。

 そこにあるのは、見慣れた「昇り龍」の刺青。

 だが、何かが違った。

 龍の鱗の一枚一枚に、不気味なほど鮮やかな、虹色の光沢が混じっていたのだ。


「……まさか」

 私が息を呑むと、父はニヤリと笑った。

「紗矢。お前らが山で修行してる間にな、俺もツテを使って彫ってもらったんだよ。……別のルートで手に入れた『古代インク』をな」


「バカな! その歳で適合するはずがない!」

 錦川が叫ぶ。

 確かに、獣神化は強靭な体力を持つ若者でなければ耐えられない。父のような老体では、変身する前に体が崩壊するはずだ。


「適合? 知ったことかよ」

 父の全身から、バチバチと血管が破裂する音が聞こえた。

 皮膚が裂け、血が吹き出す。

 それでも父は笑っていた。


「俺はな、理屈で生きてんじゃねえ。意地で生きてんだよ。……娘と、可愛い息子(あいつ)を守るためなら、寿命なんざ安売りしてやらァ!」


 父の背中の龍が、カッと目を剥いた。

 黄金の光ではない。

 それは、血のような深紅と、焼き尽くすような黄金が混ざり合った、荒々しい「極光」。


「見とけ、紗矢、瑛司。……これが辰田の、最後の喧嘩だ!」


 父が吠えた。


「――獣神化・極(きわみ)ッ!!」


 ズオォォォォォォォォッ!!

 父の肉体が光に包まれ、爆発的に膨張した。

 それは、瑛司の鹿のような優美な変身ではなかった。

 骨が砕け、再構築される激痛の音が響き渡る。


 光が晴れた時。

 そこに現れたのは、神話から抜け出してきたような「荒ぶる龍神」だった。

 全長二十メートル。

 全身が深紅の鱗に覆われ、背中からは炎のような鬣(たてがみ)が噴き出している。その顔は父の面影を残しつつも、凶悪な牙と長い髭を蓄えた、まさしく「極道の龍」だった。


『グォォォォォォォォッ!!』


 龍神(父)の咆哮が、地下神殿を揺るがした。

 その音圧だけで、錦川の周囲に展開されていた黒い霧が吹き飛ばされる。


「バカな……! 老いぼれ風情が、神殿のエネルギーを凌駕するだと!?」

 錦川が初めて焦りの色を見せた。


 父(龍)は、空を泳ぐように跳躍し、錦川へと襲いかかった。

 巨大な顎(あぎと)が、錦川の冥王の化身に喰らいつく。


 ガブゥッ!

 

 闇の巨人と、深紅の龍が空中で絡み合う。

 大怪獣バトル。

 錦川は黒い手で龍を引き剥がそうとするが、父は離さない。爪を立て、尾を巻き付け、執拗に締め上げる。


『放せ! この野良犬がァ!』

 錦川が「冥王」の力を解放し、龍の体に死の呪いを流し込む。

 父の鱗が黒く変色し、ボロボロと剥がれ落ちていく。

 生命力の吸収。

 ただでさえ限界を超えている父の命が、急速に削り取られていく。


「父さん! やめて!」

 私は叫んだ。このままでは、父さんは消滅してしまう。


 だが、父の声が脳内に響いた。

『……いいんだ、紗矢』

 その声は、驚くほど穏やかだった。

『俺はな、ずっとこの時を待ってたんだ。……お前に背負わせちまった重荷を、ようやく親として肩代わりできるこの時をな』


 父は、錦川の攻撃を受けながらも、決して退かなかった。

 それどころか、さらに強く錦川を締め上げる。


『錦川ァ! てめえの力は「吸収」だと言ったな!』

『そうだ! 貴様の命など、数秒で吸い尽くしてやる!』

『だったら吸ってみろ! ……俺の七十年分の「業」と「意地」をなァ!』


 父は自らの生命力を、爆発的に燃焼させた。

 それは吸収されることを拒む、灼熱のマグマのようなエネルギーだった。

 錦川の「冥王」が、あまりの熱量に悲鳴を上げた。

『あ、熱い!? なんだこの魂は……! 消化できない!?』


『極道の魂ってのはな、そう簡単に噛み砕けねえんだよ!』


 父はそのまま、錦川を抱え込んだまま急降下を始めた。

 目指すのは、神殿のさらに下。

 地下核実験によって開かれた、プレート境界の亀裂。マントルへと続く奈落の底。


『なっ……!? 貴様、私をどこへ連れて行く気だ!』

『決まってんだろ。……地獄への道連れだ! てめえみたいな怪物は、日の当たる場所にいちゃいけねえんだよ!』


 父(龍)が加速する。

 神殿の床を突き破り、灼熱の亀裂へと突っ込んでいく。


「父さん!!」

 私は這いつくばって、亀裂の縁へと手を伸ばした。


 落下していく父が、最期にこちらを振り返った気がした。

 龍の瞳が、優しく細められた。


『……あばよ、紗矢。瑛司』

『お前たちが作る新しい日本を、地獄の底から見守っててやる』

『……小説、楽しみにしてるぜ』


 それが最期の言葉だった。


「やめろォォォォォッ!!」

 錦川の絶叫と共に、深紅の龍と黒い魔王は、暗黒の淵へと消えていった。


 ズズズ……ドォォォォォォンッ!!


 地底の奥深くで、巨大な爆発音が響いた。

 それは、父が自らの命を核(コア)にして自爆し、プレートの亀裂を封じた音だった。

 亀裂から溢れ出していた赤い光が消え、神殿の機能が停止していく。

 周囲の人造獣たちも、動力源を失って糸が切れたように倒れ伏した。


 終わったのだ。

 全てが。


「……親父……」

 瑛司が呆然と呟き、涙を流した。


 私は亀裂の縁で、声が枯れるまで叫び続けた。

「父さん! 父さぁぁぁんっ!!」


 返事はなかった。

 ただ、地下からの熱風が、私の頬を撫でただけだった。

 それは、無骨で大きかった父の手のぬくもりに似ていた。


 世界を救ったのは、言葉でも、正義でもなかった。

 一人の父親の、不器用で壮絶な愛だった。


 私は泣き崩れる瑛司の肩を抱き、二人でいつまでも泣き続けた。

 白く染まった私たちの髪を、父の魂のような風が優しく揺らしていた。


(第23話 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る