第16話:勿来(なこそ)の関、鉄の雨
日昇(にっしょう)県と、隣接する茨城方面を隔てる県境。
かつてそこには、古歌にも詠まれた「勿来(なこそ)の関」があったという。「来るな」という意味を持つその関所は、今まさに現代の軍事要塞として私たちの前に立ちはだかっていた。
国道六号線を南下してきた私たちの車列は、県境のトンネル手前で急停止を余儀なくされた。
視界を埋め尽くすのは、積み上げられた巨大なコンテナの壁。
その隙間から、無数の銃口と戦車の砲塔がこちらを睨んでいる。
さらに上空には、報道ヘリがハゲタカのように旋回し、望遠カメラで私たちを狙っていた。
「……随分と手厚い歓迎だな」
助手席の父・剛(ごう)が、忌々しそうに舌打ちをした。
「自衛隊だけじゃねえ。機動隊の放水車に、見たこともねえ黒い装甲車までいやがる」
無線から、晴天同盟の葛原(くずはら)の声が入る。
『気をつけろ。奴ら、ここを「処刑場」にするつもりだ。報道陣を呼んでいるのがその証拠だ。我々が反撃すれば、その映像を切り取って「凶暴なテロリストの蛮行」として全国に垂れ流す気だろう』
卑劣な罠だ。
私たちが武器を使えば、それはプロパガンダの材料にされる。
かといって、無抵抗でいれば蜂の巣にされるだけだ。
「……突破するしかないわ」
私は膝の上のノートを閉じ、ダッシュボードに置いた。
「彼らが撮りたいのが『怪物の暴れる映像』なら、見せてあげましょう。……ただし、その怪物が何を背負って戦っているのか、私がナレーションをつけてあげる」
私は瑛司(えいじ)を見た。
彼はすでにシャツを脱ぎ、準備を整えていた。その背中には、白銀の髪がかかっている。
彼の顔色は悪い。だが、その瞳は澄み切っていた。
「行ける? 瑛司」
「愚問ですよ、お嬢。……あの程度の壁、俺が紙細工みたいに引き裂いてみせます」
*
私たちはトラックを降り、バリケードの前に立った。
父と組員たち、そして葛原たち活動家も後に続く。
バリケードの上のスピーカーから、警告音が響き渡った。
『警告する! 直ちに武装を解除し、投降せよ! これは最終勧告である! 抵抗する場合は、対テロ特措法に基づき、実力を行使する!』
私は葛原からハンドマイクを受け取ると、バリケードの向こう側――そして、上空の報道ヘリに向かって声を張り上げた。
「私の名前は、辰田紗矢! 錦川政権の被害者であり、真実を語る作家です!」
私の声に、ざわめきが広がる。
カメラのレンズが一斉に私に向けられる。
「あなたたちが『テロリスト』と呼ぶ私たちは、故郷を奪われ、命を奪われそうになっているただの市民です。……今から私たちは、東京へ行きます。総理大臣に、奪われたものを返してもらうために!」
『撃てェッ! 奴に喋らせるな!』
指揮官の焦ったような命令が下る。
一斉射撃。
無数の銃弾が、暴雨のように私たちに降り注ぐ。
「――獣神化(ビースト・モード)ッ!」
瑛司が叫び、全身から光を噴出した。
瞬時に顕現した巨大な雄鹿が、私の前に立ちはだかり、その輝く体毛で弾丸をすべて弾き返した。
キンッ、キンッ、キンッ!
金属音が響き、アスファルトに薬莢(やっきょう)の山ができる。
「さあ、見なさい! これがあなたたちが作った『怪物』の力よ!」
私は瑛司の背中に飛び乗り、叫んだ。
「行くわよ、瑛司! こじ開けろ!」
グオォォォォォッ!!
瑛司が咆哮し、コンテナの壁へと突進した。
巨大な角が鋼鉄のコンテナを貫き、豆腐のように軽々と放り投げる。
バリケードが崩壊し、道が開く。
だが、その先には更なる絶望が待っていた。
崩れた壁の向こうに整列していたのは、人間ではなかった。
全身を黒い強化外骨格で覆い、手には重火器を持った異形の兵士たち。
以前戦った暴走する人造獣とは違う。統率された動き。冷徹な殺意。
『目標確認。排除を開始する』
機械音声と共に、黒い兵士たちが一斉に襲いかかってきた。
改良型人造獣兵器・タイプⅡ。
脳に制御チップを埋め込まれ、痛覚と恐怖を遮断された、錦川の親衛隊だ。
「……また、人間を道具にして!」
私は怒りで視界が赤く染まりそうになった。
彼らもまた、拉致された市民かもしれない。だが、今の彼らは殺戮マシーンそのものだ。
「お嬢、捕まってる暇はねえ! 蹴散らすぞ!」
父がトラックの荷台から、奪った重機関銃を乱射して援護してくれる。
組員たちも火炎瓶を投擲し、敵の陣形を崩す。
瑛司が前脚を振り上げ、タイプⅡの集団を薙ぎ払う。
しかし、敵は頑丈だった。外骨格が衝撃を吸収し、すぐさま立ち上がって瑛司の足に組み付いてくる。
さらに、後方からは対戦車ミサイルが撃ち込まれる。
ドォォンッ!
瑛司の左脇腹で爆発が起きる。
光のシールドが破られ、青い血飛沫が舞う。
「瑛司ッ!」
『……かすり傷です!』
瑛司は痛みを堪え、さらに加速した。
彼の狙いは、敵の指揮車両。
私は背中の観音の力を練り上げる。
殺したくはない。でも、ここで止まるわけにはいかない。
「道を開けなさいッ!」
私が放った光の矢は、扇状に広がり、タイプⅡたちの持つ武器だけを正確に破壊していった。
銃身が溶け、ミサイルランチャーが暴発する。
武器を失った彼らは、ただの肉弾戦を挑んでくるが、巨鹿となった瑛司の敵ではない。
瑛司は彼らを角ですくい上げ、戦場の外へと放り投げた。
殺さず、無力化する。
それは瑛司の生命力を余計に消耗させる戦い方だったが、彼は私の「不殺」の意志を汲んでくれていた。
*
乱戦の中、私は上空のヘリを見上げた。
カメラマンが必死にレンズを向けている。
(撮りなさい。全部、撮りなさい!)
私は葛原に合図を送った。
葛原はトラックの荷台でパソコンを操作し、現場の電波をジャックして、私の声を報道ヘリの周波数に割り込ませた。
「聞こえますか、メディアの皆さん! 今、私たちが戦っている相手……この黒い兵士たちの正体が分かりますか!?」
私の声が、テレビの生中継にも乗ったはずだ。
私は矢を放ちながら、叫び続けた。
「彼らは、政府によって拉致され、改造された一般市民です! あなたたちの隣人であり、家族かもしれない人たちです! 錦川総理は、国民を守るどころか、国民を兵器に変えて使い捨てにしている! これが『正義』の正体ですかッ!?」
タイプⅡの一人のヘルメットが、瑛司の蹄で砕かれた。
露わになった素顔。
それは、まだあどけなさの残る少年の顔だった。虚ろな目で、涎を垂らしながら、それでも私に噛み付こうとする少年。
カメラがその顔を捉えた。
お茶の間で、誰かが息を呑んだはずだ。「あの子は、行方不明になっていた○○君じゃないか?」と。
世論が揺らぐ音が聞こえるようだった。
怪物は私たちではない。
怪物を生み出し、操っている者こそが真の悪だということに、人々が気づき始める。
「突破するぞォォォッ!」
父の雄叫びと共に、辰田組のトラックが敵の防衛ラインを突破した。
瑛司も最後の一撃――角による衝撃波で敵を一掃し、県境のトンネルへと飛び込んだ。
*
長いトンネルを抜け、茨城県側に出たところで、私たちはようやく速度を緩めた。
追っ手は一時的に撒いたようだ。
だが、被害は甚大だった。
トラックの窓ガラスは割れ、ボディは穴だらけ。負傷した組員も多い。
そして何より。
トラックの荷台に戻った瑛司は、人間の姿に戻るなり、激しく咳き込んだ。
ゴホッ、ガハッ!
彼が口元を押さえた掌には、赤い血ではなく、青白く発光する液体が付着していた。
生命力の残滓(ざんし)。
魂が液状化して漏れ出しているような、不吉な光景。
「瑛司……!」
私が駆け寄ると、彼は慌てて手を隠そうとした。
だが、隠しきれない。
彼の髪は、今や九割近くが白銀色に染まり、肌は透けるように白い。
美しすぎるその姿は、彼がこの世の理(ことわり)から離れつつあることを示していた。
「……大丈夫です、お嬢。まだ、足は動きます」
彼は血のついた唇で、必死に笑ってみせた。
「勿来の関は越えました。……東京まで、あと少しです」
あと少し。
距離にして百五十キロ。
だが、その道のりは永遠のように遠く感じられた。
瑛司の命の灯火は、風前の灯(ともしび)だ。
「……ええ。行くわよ」
私は涙をこらえ、彼を抱きしめた。
私の髪にも、白い部分が増えていた。
同調するたびに、私もまた寿命を削っている。
でも、構わない。彼と同じ痛みを背負えるなら、それは本望だ。
私たちは進む。
茨城、千葉、そして東京へ。
錦川が待つ「地下神殿」へ。
車列は再び動き出した。
夕闇が迫る国道を、傷だらけの革命軍が征く。
その背中を、ネット越しに見つめる何千、何万という国民の視線が追いかけていた。
「頑張れ」という小さな書き込みが、SNSの海に溢れ始めていた。
(第16話 完)
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