2. 聖女強襲と、静寂の追跡者



 ガタガタと、硬い車輪が石を噛む音が夜の静寂に響く。

 窓のない、無機質な護送馬車の中。私は冷たい鉄格子の隙間から漏れる月光を、虚ろな目で見つめていた。


(……痛い)


 手首に食い込む魔封じの手枷が重い。

 これまで積み上げてきた努力、王妃になるための教育、この国で生きてきた十数年。そのすべてが否定され、私は今、「公金横領」という身に覚えのない罪を着せられたまま、夜闇に乗じて国境へと捨てられようとしている。


「……結衣……」


 前世の名前を、そっと唇に乗せてみる。

 あの日、コンビニでプリンを手に取った瞬間に終わったはずの私の人生。

 次に目が覚めたら、公爵令嬢という「勝ち組」に転生していた。

 必死に頑張った。

 完璧な令嬢になれば、幸せになれると信じて。

 なのに、結果はこれだ。


(……助けて。陽子、田中君……)


 叶うはずのない助けを求めた、その時だった。


 ドンッ!!


 凄まじい衝撃と共に、馬車が激しく右に傾いた。

「な、なんだ!?」という護衛の叫び声。馬のいななき。

 続いて聞こえてきたのは、何かが激しく爆発するような乾いた音だった。


「ひっ、聖女……!? なぜ聖女様がここに……ぎゃあぁっ!」


 外から聞こえるのは、衛兵たちの悲鳴。

 一体、何が起きているのか。私が息を呑んで身構えた瞬間、馬車の重い扉が「バキッ」という凄まじい音と共に外側から蹴破られた。


「……ちょっと結衣! いつまでそんなところで情けない顔してんのよ!」


 月光を背負って現れたその人影を見て、私は目を見開いた。

 そこにいたのは、聖女マリア。

 純白のドレスの裾をベルトに挟み込み、手には衛兵から奪ったのであろう巨大なメイスを無造作に下げている。

 その立ち姿、その声のトーン、そして――。


「掃除当番をサボって図書室に逃げ込んだ時と同じ顔。見てるだけでイライラするわ」


「よ、陽子……? 本物の、陽子なの……!?」


「当たり前でしょ。あんたを放っておいたら、そのまま国境の谷底にポイ捨てされるのが目に見えてるんだから」


 マリア――陽子は、迷いのない足取りで私に近づくと、重い手枷を掴んだ。

「ちょっとじっとしてなさい。聖なる力(物理)で壊すから」

 眩い光と共に、パキンと彼女が手枷を引きちぎる。

 彼女は私の手を力強く握りしめると、無理やり馬車の外へと引きずり出した。


「走るわよ! 私たちが消えたことがバレたら、あのクズ王子が血眼になって追ってくるわ。今のうちに森を抜けるの!」


「う、うん……!」


 私は夢中で走った。

 陽子の背中は、前世で校則違反の男子を追いかけていた時と同じくらい頼もしかった。

 彼女の聖女としての魔力で気配を消し、私たちは夜の森を駆け抜ける。

 ようやく国境の崖が見え、ここを越えれば自由になれる。そう確信した、その瞬間だった。


 ――ひゅう、と風を切る音がして、私たちの目の前の地面に一本の矢が突き刺さった。


「そこまでにしてもらおうか。……お二人とも」


 冷や水を浴びせられたような感覚に、足が止まる。

 崖へ続く唯一の広場。そこには、漆黒の馬に跨り、月明かりを浴びて静かに佇む一人の男がいた。


 ヴィンセント・ド・ヴァロワ。


 彼の背後には、エドワード直属の精鋭騎士団が整然と並び、逃げ道のない半円の陣を敷いている。

 ヴィンセント様は、いつも通りの冷徹な手つきで眼鏡の縁を押し上げた。その瞳には、獲物を完全に追い詰めた「王の番犬」としての鋭利な光が宿っている。


「ヴィンセント……様……」


 マリアが、低く唸るように名前を呼んだ。彼女もメイスを握り直し、警戒を最大限に強める。

 今の私たちでは、国最強と名高いヴィンセント様と、その騎士団を突破することなど不可能だ。


 ヴィンセント様はゆっくりと馬から降り、一歩、また一歩と私たちに近づいてくる。

 その足音が、死刑宣告の鐘のように私の心臓を叩く。


「マリア様。……聖女ともあろうお方が、罪人を連れて夜逃げとは穏やかではありませんね」


 冷たく、一切の容赦を感じさせない声。

 彼は腰の剣の柄に、ゆっくりと手をかけた。


(終わった……。田中君に似てるなんて、私の見間違いだった。この人は――冷酷な王子の「番犬」だ。ここで、私たちは消されるんだ……!)


 ヴィンセント様が、あと一歩という距離まで迫る。

 その昏く燃えるような瞳が、真っ直ぐに私を捉えたところで――。




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