エピローグ

長く続いた雨も、南から次第に梅雨明け宣言が出るようになってきた。

もうすぐ、暑い暑い季節がやってくる。


石渡一家はあれから全員が健康を取り戻し、笑心ちゃんも無事、学校に通えるようになったそうだ。

「夏休みに友達とプールに行くんだ。」と、嬉しそうに教えてくれた。


あれから、笑心ちゃんは、たまに勉強を教えてほしいと御門先生のところにやってくる。

御門先生も、まんざらではなさそうだ。

笑心ちゃんのおかげで、先生も成長しているような――そんな母親みたいな目線で、つい見守ってしまっている。


「いや、ほんと、笑心ちゃんって賢いよ。英語なんて、現地人じゃん、みたいな発音で話すんだよね。」


頭の後ろで腕を組みながら、診断室の椅子に座ってくるくると回っている。なんとも楽しそうだ。


「次は何を教えようかな。」なんて、もう完全に医者ではなく、家庭教師だった。



「そうだ!」


そう言って、急に御門先生が立ち上がった。


「ごめん、花村さん。君がカウンセラーになってから、もう三か月が経ってたんだよ。お試しで、なんて言ってたけど――もう、一人前のカウンセラーとして、これからもよろしくね。」


そう言って、右手を差し出してきた。


そっと、その手を握る。

「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。」


(私が、一人前のカウンセラー……)


胸に、温かいものが広がっていく。


ここで救われ、そして今、救う側になった。

これからも、御門先生が築いたこの場所で、私も成長していこうと、気持ちを新たにした。


ガチャッ、とドアの開く音がしたかと思うと、

「すみません……」と、男性の声がした。


どことなく、焦っているような声だった。


「あの……今、この下で、男性がうずくまっているんですけど……。

ここ、メンタルクリニックって書いてあったから、違うかなとは思ったんですけど……一応、診てもらえるかと思って……」


そう言って、若い男性が顔を覗かせた。



男性と目が合う。


——⁈


「あれ? 花村?」

「水沢君?」


ほとんど同時に、声が重なった。


そこへ、声を聞きつけた御門先生が診断室から顔を出した。


「どうしたの?」

そう、怪訝そうな顔を向けてくる。


「あの、この下で男性の方がうずくまっているってことで、診てもらえないかって……」


「それは大変だ。」


御門先生はそう言うと、すぐに外へ出て行った。

私たちも慌てて後を追う。


御門先生は、うずくまっている男性の前に膝をつき、様子を覗き込んだ。


「……そこの側溝の蓋で滑ってしまって、足が……」


男性はそう言って、左の足首を押さえている。


「君、この男性に肩を貸してあげてくれない? 中に連れてきてほしいんだ。二階で申し訳ないんだけど。」


そう言ってから、こちらを振り向き、


「レントゲンの準備をしてくる。だから、この人をお願いね。」


そう告げて、クリニックの中へ戻っていった。


水沢君と二人で、男性の肩の下に入り、支えるようにしてクリニックへ向かう。


「私はUnleash Labのカウンセラーの花村といいます。さきほどの方は、このクリニックで医師をしている御門先生です。レントゲンも撮れますから、どうか安心してくださいね。」


そう言って、男性に声をかけた。


男性は少しだけ表情を緩め、「すみません」と小さく答えた。


男性がレントゲンを撮っている間、水沢君は待合室で静かに待っていてくれた。知らない人とはいえ、関わってしまったので心配なのだろう。


私は御門先生の手伝いのため、レントゲン室と診断室を行き来していた。その間に見た彼は、何となく痩せていて、顔も青白く見える気がした。


診断室に男性をゆっくりと座らせると、御門先生はレントゲン写真を映しながら言った。

「骨には異常はないですね。」


その後、男性に足首を動かすように伝え、様子を確認する。

「痛かったらすみませんね」と声をかけ、足首周辺を丁寧に触診する。


「おそらく軽い捻挫だと思います。2、3日様子を見て、腫れや内出血がひどくなったり、痛みが続くようなら整形外科を受診された方が良いでしょう。

お近くのドラッグストアで湿布は買えますか?」


痛みに顔を歪ませながらも、男性は「はい、大丈夫です。」と答えた。


御門先生は丁寧に湿布と包帯を巻き終えると、紙とボールペンを手渡し、

「遅くなりましたが、お名前を教えていただけますか?

カルテに記入する必要がありますので。」と付け加えた。


「歩けますか?」

御門先生が声をかけると、男性・長谷部仁(はせべ ひとし)さんは右足に体重をかけ、一歩前に出した。

苦痛に顔を歪めるものの、なんとかびっこをひきながら歩けそうだった。


「痛みが酷いようでしたら、市販薬でも構いません。しばらくは痛むと思いますので、我慢せず薬に頼ってくださいね。」

御門先生はそう長谷部さんに伝えると、彼は「ありがとうございました。」と言ってクリニックを後にした。


その後を、水沢君が「階段降りるの手伝います」と声をかけ、待合室に自分の荷物を残したまま、彼に続いていった。


水沢君が戻ってくるまでに、コーヒーを三人分用意して待った。


クリニックには、先ほどの緊張した空気とは打って変わって、癒しの香りが漂っている。


再びドアが開き、水沢君が顔を出した。


「おかえりなさい、水沢君。ありがとうございました。」

そう言ってコーヒーを渡す。


「おっ、ありがとう。さっきの人をタクシーに乗せてきたよ。」


そこまで面倒を見てくれる彼は、やはり昔から優しい。

大学の軟式テニスサークルで出会った彼とは、久しぶりの再会だった。元彼の友達でもある。


「それにしても驚いたな。花村がカウンセラーだなんて。会社員だと思ってたからさ。」


「自分でも驚いてるよ。カウンセラーなんて…。会社は辞めちゃったから…」

そう言いながら、私はコーヒーに視線を落とした。


「そっか。でも元気そうでよかった。蒼汰に何となく話は聞いてたからさ。ごめん、二人のことも知ってる…」


私たちが別れたことも、ちゃんと聞いていたのだろう。


「あいつに、花村が元気そうなことを伝えてもいいか?あいつ、心配してるからさ。」


『心配している』――過去形ではなく進行形で伝えてくれたのが嬉しい。


「うん、ありがとう。私も、もう少し自信がついたら連絡しようかと悩んでたから。」


もう一度水沢君に視線を戻す。


「でも、水沢君、なんか痩せた?元気そうには見えるけど…」


「あぁ、そうなんだよ。最近やたら腹が減ってね。だからすっごい食べてるんだけど、不思議と痩せていくんだ。」


まだ成長期で太りにくい体質なのかも。羨ましいだろ、と笑いながら冗談めかす。


(気にしすぎ…かな)


そう思っていると、御門先生が話しかけてきた。


「話してる中ごめんね。

さっきはありがとう。僕はこのクリニックの医師、御門舜です。

二人は知り合いみたいだね。」


「そうだ、ちょうど花村先生の名刺を作らないと、と思っていたんだ。水沢君」

少し会話を聞いてしまったことを謝りつつ、御門先生は続ける。

「良かったら、花村先生の第一号の名刺をもらいに来てくれる?」


(何だろう…すごく気になる言い方…)


水沢君は私を見て、目を丸くした。


「えっ、俺が最初にもらっていいの?」


「もちろん。もらってくれると嬉しいよ。」


「それじゃ、また。

コーヒーごちそうさまでした。」


そう言って水沢君はクリニックを後にした。


クリニックには、薄くなったコーヒーの香りがまだほんのりと残っている。


「御門先生。水沢君、何か気になっているんですか?」

そう尋ねた。


「うん。たくさん食べても太るどころか痩せていくっていうのが気になるよね。

おそらく供養が足りていない先祖がいるのか、それとも飢餓状態でなくなった霊が憑いているのか…。

いずれにせよ、彼はここに来た。きっと救われたいものがそこにあるんだと思う。

もしそれが間違いでなければ、またすぐに彼はここに来るだろうね。」


なるほど。確かに、彼の痩せ方は健康的ではない。


「前から思っていたんですけど、先生ってPCのデータベースに症状を記入して、それで診断すると言っていましたよね。

でも、PCに打ち込む前から、何に頼られているか分かっていませんか?」


と、最近気がついたことを尋ねてみた。

明らかに、全ての答えを導き出した上で、問診票の内容をPCに入力しているように見えたからだ。


「ははっ、バレた?

実はね、PCにデータを入力している時点で、全ての内容は頭に入っているんだ。

このレプリカの巻物と同じだよ。」


そう言って、PCのそばに置いてある代々受け継がれてきた巻物(レプリカ)を手に取り、ポンポンと叩く。


「患者さんには『代々受け継がれてきた陰陽師の方法で、あなたの症状を割り出している』って視覚的に示した方が、真実味が増すでしょ。

初めて会った僕にただ言われても、インチキだと思われるだけだからね。


それに、最後のエンターキーの音。わざと大きめに叩いてるんだ。

その音も、心のスイッチを押す役割があるんだよ。」

全てはパーフォーマンスだね。と笑って言った。


さすが御門先生だ。一見すると宗教やインチキ霊媒師に見えなくもない行為も、きちんと人間の心理に沿って、医師として患者に向き合っている。その背後には、多くの人を救いたいと願う御門先生の優しさがにじみ出ていた。


長く続いた雨も止み、テレビでは関東も梅雨明けと報じられている。

日々移ろう季節の中、このクリニックには今日も、救われたい者たちが訪れる。

(…来てくれるといいな。)


「御門先生ー、待合室にウォーターサーバーを置きませんか?」


「いいね、それ。

あっ、あと花村さんの名刺を頼まなくちゃ。

ジーニー、二つとも手配お願い。」


「かしこまりました。」

その言葉は、画面に表示された文字と完全に一致していた。

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Unleash Lab 〜原因不明の体調不良を診断します〜 総集編 八尾 遥 @hachio_haru

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