二人
雨が降り続く。
街中には傘の花が咲き、アスファルトに雨粒が弾く音が響いている。
気温は少し高く、空気はじっとりと身体中にまとわりついてくる。
石渡さんには、あのあと、とりあえず米と塩と酒を「神様用」として用意してもらうように伝え、帰ってもらった。
このクリニックに、また来たいと思ったらその時に来てください、と告げて。
「そろそろ梅雨入りの発表がありそうですね」
午後の診療の準備をしながら、御門先生に視線を向けた。
「そうだね。また季節が変わっていくね。
暑いのは嫌だなぁ……」
そう言って、御門先生はうんざりした様子で受付のカウンターに突っ伏した。
「御門先生は、冬の方がいいんですか?」
と聞くと、
「どっちも嫌ー」
伏せたままの姿勢で、くぐもった声が返ってきた。
(御門先生らしいな)
と思ったところで、
ガチャッ
と、エメラルドグリーンのドアが開いた。
そこには、傘の雫をはたきながら「こんにちは」と入ってくる石渡さんの姿があった。
そして、その後ろに――
長い髪で顔を隠すように、少女が立っていた。
「こんにちは、石渡さん。雨がすごくて大丈夫ですか? 濡れていませんか?」
と声をかけた。
「そこまで濡れてはいないと思います。
あっ、娘です」
そう言って、石渡さんは少女の肩に手をかけた。
母親の陰に隠れるようにしていた少女は、肩に手を回されたせいで一歩前に出る。
そして、「こんにちは」と、小さく挨拶をした。
「それでは、診断室にどうぞ」
御門先生が、親子を中へ招き入れた。
「名前を聞いてもいいですか?」
そう言って、微笑みながら優しく少女の方へ身体を向ける。
「にこ……です」
「にこちゃんか。私はこのクリニックの医師で、御門 舜といいます。よろしくね」
そう言うと、先生は私の方を向いた。
「そして、にこちゃんの後ろにいるのが、カウンセラーの花村先生」
と、私のことを紹介してくれる。
「カウンセラーの花村 灯です。よろしくお願いします」
私も、にこちゃんに挨拶をした。
再び、御門先生は石渡さんに身体を向け直すと、
「さて、石渡さん。その後はいかがですか?」
と問いかけた。
「家に帰ってから、教えていただいたように、お米とお塩、それからお酒を神様用としてお供えしてみました。
そのまま数日経ったのですが、ふと気づいたら、不安感が薄れていたみたいです。
相変わらず、目は痛いのですが……」
そう言って、やはり指で目を押している。
「でも、この病院に行きたいと思うようになって、今日、娘に行ってくると伝えると、『私も行きたい』と言い出して。
ここのところ、外にはまったく出ようとしなかったので、驚きました」
「そうですか。石渡さんがお塩などをあげてくれたおかげで、神様たちにも少しずつ力が戻り始めているのでしょう」
そう言って、先生は温かな笑みを浮かべると、今度はにこちゃんの方へ視線を向けた。
「にこちゃん。もしよかったら、花村先生とお話してみないかい?
花村先生はね、美味しいお茶も淹れられるんだよ」
そう言って、にこちゃんを通り越した視線を、私に投げてくる。
私は軽くうなずいてから、
「隣の部屋はね、たくさんの植物とお茶があるんです。行ってみませんか?」
と、にこちゃんに声をかけた。
彼女は母親と離れるのが心配な様子で、しばらく下を向いていたが、
「……お願いします」
と、小さく言って顔を上げた。
にこちゃんと花村先生は、二人で隣のカウンセラー室に移動した。
「……にこちゃんのことが、心配ですか?」
娘の後ろ姿をずっと目で追っていた石渡さんは、ハッとしてこちらを見た。
「にこちゃんは、花村先生に任せておけば大丈夫ですよ。」
ふぅ……。
彼女は小さく息を吐くと、
「はい……」
と、自分に言い聞かせるようにそう言った。
「にこちゃんには、龍神が頼っています。」
「龍神って……あの、ドラゴンと呼ばれる龍の神様ってことですか?」
「はい。あの、七つの玉を集めると願いが叶うという漫画に出てくる龍神です。」
石渡さんは苦笑いをしている。
今、笑う余裕なんてない……か。
ウケなくて残念に思いながら、説明を続ける。
「順を追って説明しますね。
まず、一番最初に頼られたのは、旦那様です。
龍神は、人間の『腸』に症状が出ます。蛇みたいな形だからですかね。
だから、腸の病気はまず龍神を疑うんです。
旦那様が盲腸になったのが、その証拠です。
でも、盲腸は手術で治ってしまった。
気づいてもらえなかった龍神は、次ににこちゃんに頼ったのでしょう。」
「でも、笑心(にこ)は……腸じゃなくて、不登校です……」
「そうですね。龍神の知らせは、腸以外にもいくつかあるんです。
『人に嫌なことを言ってしまう』
『嫌なことを言われていると思い込む』
……そういう、ちょっと嫌味な感じの方向に出ることもあります。」
「それが……」
「ええ。笑心ちゃんが悪口を言われていると感じてしまったのは、龍神の影響だと思います。」
「そんな……。それじゃあ、どうすれば……」
先を焦る石渡さんを、もう少し話を聞いてもらいたくて、両手で制した。
「すみません。解決方法の前に、もう少しだけ、話をさせてください。」
彼女は申し訳なさそうに、口元に手を当てた。
僕は、続ける。
「龍神は、水のあるところに住みます。
石渡さんのご自宅は、昔、沼や堰のような水場だったりしませんでしたか?」
「……確か、家の近辺一帯に大きな池があったと聞いたことがあります。
日照りで干からびて、そのまま宅地になったとかで……」
「なるほど。では、そこに龍神が住んでいたのでしょうね。
……お気づきですか?」
「え?」
「水場、ということは。
そこには水神もいる、ということなんです。」
「あっ……!
だから、水神。
私には、水神が頼っているということなんですね。」
「はい。その通りです。
水神は、目に症状が出ます。
それから、不安感や不眠などですね。」
「……なんだか、わかる気がします。
水神と龍神は、同じところに現れるんですね。」
「ええ。龍神がいるところには、水神がいる確率は高いです。
ただし、水が『溜められているだけ』の場所には、水神しか憑きません。
小さな水瓶のような場所には、龍神はいないでしょうね。」
石渡さんは、何度も小さく頷きながら、黙って話を聞いてくれている。
「神様は、『成仏する』というわけにはいきません。
神様自身が、天なのか、社なのか――自分の行くべき場所に帰りたいと思って、初めて、お返しすることができるんです。」
少し言葉を区切ってから、続ける。
「今、花村先生が、龍神の気持ちを聞いてくれているはずです。
……少し、時間をいただけませんか?」
そう、彼女に告げた。
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