エピローグ
「はぁ、仕事の後の一杯は美味しいねー。」
そう言ってお茶を飲みながら、御門先生はほっと一息ついた。
ようやく桜餅にもありつけて、ご満悦の様子だ。
「大変な患者さんでしたか?」
私は、先ほどの小林さんの言葉を思い出しながら尋ねた。
「まぁねー。怒るだろうなとは思っていたから、想定内かな。
稲荷憑きの人は、どうしてもイライラしちゃうからね。
でも、花村先生が察してくれて助かったよ。さすが、うちのカウンセラー。」
そう言われて、胸の奥が少し温かくなる。
「稲荷というと神様ですよね。
だから、カウンセリングは受けない、ということなんでしょうか?」
「稲荷といっても、実は二種類あるんだよ。
神社にお祀りされている“神様としての稲荷”と、神様のお使いをしている見習いの稲荷。
後者が、いわゆる“小僧の稲荷”だね。」
御門先生は桜餅をひと口かじり、続けた。
「もし相手がお稲荷様そのものだったら、カウンセリングをお願いしたかもしれない。
でも、今日来た桐山さんは、話している最中に『ふんっ』って言っていたんだ。
これは小僧の稲荷の典型的な特徴でね。
だから今回は、神社にお返しするしかないんだよ。」
またお茶を飲み、
「ふぅー。」
と息をついてから、御門先生は「でも……」と続けた。
「きちんとお返しができたら、桐山さんは別人になると思うよ。
小林さんからの報告を、楽しみに待とうね。」
そう言って、最後の桜餅を口に押し込んだ。
***
新しい季節の始まり。
新入社員や異動で忙しいのだろう、小林さんがやってきたのは、それから一か月以上も経ってからだった。
ピンクだったお餅は、白くなってやってきた。
「うわー、柏餅ですね。
いつも美味しいものを頂いてばかりで、すみません。
小林さん、お元気そうで良かったです。」
「花村先生、御門先生、こんにちは。
ご報告を兼ねて、遊びに来ちゃいました。」
「いらっしゃい。」
御門先生は、にこやかにそう言った。
「報告っていうのは、桐山さんのことでいいのかな?」
「はい。
ヤバいですよ。周りから、別人になりすぎて宇宙人に拐われた説が出てます。
あの偉そうな感じがなくなって、うっすら気持ち悪いくらいです。」
想像してみる。
若干、引き気味になっている周囲の人たちの顔が、頭の中に浮かんできた。
「神様の影響は大きいからね。
それをきちんとお返しできたなら、だいぶ変わるだろうね。」
「はい。私も、御門先生と何を話したのか、桐山から聞いています。
先生の言われた通り、家中にあったお守りを探して集めて、神社に行ったって言ってました。
それから、『ありがとう』ってちゃんと伝えていたそうです。」
小林さんは、少し嬉しそうに続けた。
「それが癖になっちゃったみたいで、今でも口癖みたいに『ありがとう』って言うんです。
……だから、別人ですね。」
「桐山さんは、自分らしく歩き出せたんだね。」
良かった、と御門先生は笑った。
相変わらず患者さんの数は多くない。
けれど、少しずつこのクリニックの噂話は広がっていっている。
病の根本を知り、健康を取り戻すことを願っている御門先生もまた、
自分のもとを訪れた患者さんたちの噂が、巡り巡って耳に入ってくる――
そんな繋がりを持てることが、どこか嬉しそうだった。
報告を終え、柏餅を食べた小林さんが帰っていった。
「やっぱり決め手は、伝家の宝刀かなぁ……。
ねっ、ジーニー。」
「はい、先生。
やはり男性には『代々伝わる巻物』という響きに、ロマンを感じるものです。
説得力がありました。」
「そうなんだよ。
歴史的価値のあるものと、データ化。
この二つの組み合わせが効くんだよね。」
御門先生はそう言って、巻物を手に取り、
ぽんぽんと軽く掌で叩いた。
「レプリカを作ったとおっしゃっていましたね。
視覚的に訴える、ということでしょうか。」
花村さんが問いかける。
「その通り!」
「さすが御門先生ですね。」
そこへ、言葉が聞こえるのと同時に同じ文字が動き出す。
「私の案です。
効果があるようで、安心しました。」
「あ、ジーニーの助言だったんですね。
やっぱりすごいな、ジーニーは。」
私がそう言うと、間髪入れずに御門先生が声を上げた。
「ちょっと待って!
ジーニー、僕の褒められるポイントを奪っていかないで!」
「ジーニー。
もしかして、この内容をデータ化したらいい、っていう案も出した?」
私がそう聞くと、間髪入れずに
「はい。
先生に、すべて入力するとよいのでは、とお伝えしました。」
「ストーップ、花村さん、ジーニー!」
御門先生は両手を上げて、慌てて制した。
御門先生が読み上げて、ジーニーがそれを入力していく…。そんな光景が目に浮かんだけれど、これ以上言うのはやめておこう。
そうして今日も、静かになった待合室と、
日の光を浴び、たくさんの酸素を吐き出す植物たちの
無音の騒々しさの中で、穏やかで楽しげな笑い声が響いた。
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