さよなら初代PC~無常の日~

ノーネーム

ヘシオドスの鷹と小鳥の会話とは?

今、俺は迷っている。混迷の根源は何か。

それは今まさに文章を打ち込んでいるこの機械を、

「ろくブル」の葛西の勝利の儀式よろしくアバラ折り、

ならぬ、真っ二つに「モニター折り」をしようかどうか、というものだ。

普通に考えて、物理的に危ないので、やめといた方がいいのだろうが。

私とこのPCとの付き合い(腐れ縁)は、およそ5年前の冬に遡る。

もう5年である。(2020年の12月か…)

唐突だが、私の敬愛するアジカンの「夏の日、残像」という曲の歌詞に、

「5年経ち 冷めた目 強がりはいっそ」っという部分がある。

なんというか、私はこの歌は、「夢」に憑りつかれた自分、

そして気付けば過ぎ行く日々(=残像)に置いてけぼりにされた自分、

の歌だと勝手に解釈しているのだが、

俺とこのPCは、まさに今、その歌詞を体現しているのではないだろうか。

それはなぜか。それは私が一種、「音楽」という夢に憑りつかれていたからである。

私はこのPCでDTMというものに本格的に出会って、作曲に打ち込んだ。

5年以上もマウスで音符をただひたすら打ち込んだ。

私の作曲歴はPCとの出会い~現在に至るまでの時間(5年)と同義である。

この創作意欲の枯渇の話は、別の拙作で詳しく述べたが、

最初はものすごく楽しくて夢中になってやっていた作曲という行為が、

精神的に枯渇して「苦行」になるまで。

そして自分には音楽的才能がない、という現実をはっきりと悟るまで。

その過程を、このPCは一部始終、目撃している訳だ。

簡単に言えば、私はこのPCで1000曲ほど拙いトラックを作り、

内700曲ほどを動画として某有名動画サイトに上げ。

そしてその一曲たりとも俗に言う、「バズる」ことはなく、

直近では再生回数「1」常連という、なかば面白い現実に心折られたわけだ。

夢は破れた。次章では、その部分をもう少し深掘りしていこう。

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