紋章に導かれし封印伝説

抹茶だんご

《第一軸》【第一章:ブローグン王国編】

第0話 『翡翠の星を抱きし者』


 火は静かに燃えていた。

 炉の灰は深く、夜は長い。


 木壁を撫でる風が細く鳴り、暖炉の灯りが机に置かれた古文書を揺らした。

 俺が若い頃――旅の荷袋に押し込んでいたあの本だ。

 砂漠の熱も、森の露も、戦場の血の気配も染み込んだまま、今は古い家の片隅に落ち着いている。


「あなた……起きているの?」


 背後から届く優しい声。

 振り向かなくてもわかる。

 最愛の妻――ユーコが薄布を羽織り、そっと近づいてきた。


「ああ。眠れなくてな」


 声にはまだ張りが残っている。

 だがその奥に、長い旅路の影がふと差した。


 ユーコは机の端に目を落とす。


「また、その本?」


「読んでいたわけじゃない。……思い返していただけさ」


 マーカスはページに触れた。

 若い頃の傷だらけの手で何度も開いた、その感触が胸の奥に蘇る。


 ふと視線を上げる。暖炉の上、子どもたちの魔導記録板が並んでいる。

 もう大人になり、それぞれの旅を歩き出した。

 “最果ての地で冒険の途上”――かつて自分達がそうであったように。


 わかっている。でも、親心は勝手に疼く。


 静かな夜。

 だが胸の奥で、別の火がまだ消えずにいた。


 ――俺たちの旅は、中央大陸までだったな。


 思えば、調律者としての印が煌めき始めたのは遠い昔だ。

 七つの連合国群を巡り、国家を隔てる封印を次々と調律し、やがて大陸の核に触れた。


 大陸に眠る“十六の調律者”のうち数人が目覚め、その瞬間ごとに、世界の底で何かが軋む音がした。あれが大陸の“核”の鳴動だったのだろう。


 自らとユーコ、リュゼ、サフィア、ファルメス彼らと調律を交わし、そして――


 あの時、光は見えた。

 南へ。北へ。東へ。西へ。

 中央大陸の外へと続く、大陸間封印のルートが。


 胸の奥が、ひどく強く鳴った。あれは希望か、恐れか、判別もつかないほどに。


 だが、その光を追うことは出来なかった。


 マーカスは深手を負い、右眼と左手の二本の指を失った

 そしてユーコは――あの時すでに新しい命を宿していた。


 旅は終わったのではない。

 “次へ進む資格が、自分達ではなかった”のだ。


 ユーコは黙って肩に手を置いた。


 言葉は喉まで来ているのに、なぜか口が開かなかった。昔の話ほど、語るのは難しい。


「語ればいいわ。あなたが語らなければ、誰が語るの?」


 炎がぱちりと弾けた。

 まるで促すように。


 マーカスは目を閉じ、静かに息をついた。

 中央大陸を満たす調律は果たし、

 大陸は安寧へと向かっている。

 だが世界はまだ広い。


 そして――その先へ歩くのはもう、自分たちではない。


 五人の子ら。

 各々が印を受け継ぎ、

 光の道を見ている。


「……あれは、俺がまだ、ただの少年だった頃のことだ」


 語りが始まる。

 風が外を抜け、夜空へ昇る“翡翠の星”へ触れた。

 世界が、次の調律者たちを待っているように。


「師匠ドレイアスと二人で鍛冶屋に住んでいた。

 山と煙に囲まれたあの街で……すべては、ある古い“言葉”から始まったんだ」


 暖炉の火が揺れ、古文書の影が伸びる。


 ――我々の旅は中央で終わった。

 だが物語は続く。

 子らの足音の先へ、誰も知らない軌道へ。


 マーカスの低い声に乗せられ、時は次の話へと還っていく。

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