帯刀令

きのはん

刀を帯びて新時代


 かつて日本国ではいずれの時も、国会にて行われる新法の制定、又は法改正には、案に対して繰り返される議論を経ての承認と決定を必要とし、時間が掛かって世の出来事には後手後手ごてごてとまわるのが常だった。

 民衆への心象操作に時間が掛かる、という部分もあったのだろう。


 個人でも玩具のように操作が可能な飛行物体が話題となったあの時も、高度な人工知能が一般市民の生活にも浸透する段階にまで進歩をみたあの時も、宇宙空間で人工衛星同士の撃ち合いが行われるようになった時であってもそうだった。



 しかし、帯刀令たいとうれい、と俗に称されたそれだけは他とは明らかに異なった。

 当然に反論もあったのだが、停滞した社会状況、国際間での発言力低下、貧困化の一途を辿る一方であったこの国に現れた一人の首相が、人間離れした求心力と弁舌を用い、議会のみならず世論にも大きな嵐を巻き起こして異例とも言える早さで決定は成され、施行に至ったのだ。


 今、日本国において刀を所持する事は当然の事として合法となった。


 西暦で1876年、明治九年に公布された廃刀令はいとうれい以来の大改革である。実に百年以上の時を経て発せられたこの法改正により、銃砲刀剣類所持等取締法から刀剣に関する部分が変更されて、美術品としての登録無しに刀剣を所持して堂々と歩く事が可能となったのだ。

 同時に、刑法や刑事訴訟法などを始めとして関係する法も改正された。


 そして腰に刀をびる者、太刀をく者は段階を追って次第に増えていった。


 最初に法の制定と改正を受けて帯刀を始めたのは、警察官と自衛隊員であった。

 これは道理に適っていたし、一定の社会的効果も認められた。なぜならば、元々警察と自衛隊では武道の、ここでは主に剣道の稽古が職務としての訓練だけでなく、勤務時間外に行う活動としても大いに奨励される風潮が今もなお変わらずにあったし、帯刀令の表向きでの目的とされていた治安の向上と、過去の時代にはクールジャパン政策等といって打ち出しても中々に政府の願う形で結果が出なかった海外に対する日本のイメージアップ戦略が凄まじい早さで達成を見たからだ。


 次いで、それらの職に在る者たちに続いて帯刀したのが、時代の変化と共にその道が廃れかかっていた市井しせい剣道家けんどうかや、さらに伝承者が少なくなって失伝しつでんの末路を辿った流派も多い居合術いあいじゅつを稽古していた人々だった。


 そしてアーリーアダプター等と呼ばれる新しもの好きや、話題性に飛びついて活動を自己喧伝し、媒介するメディア関係の企業から広告収入を得る暮らしをしていた自称有名人の者たちも帯刀生活へと自ら進み臨んで行った。


 考えれば当たり前の事であったのではあるが、それら率先して法令の変化に応じた者たちの内、新しもの好きたちと自己喧伝で広告収入を得ていた者たちは日を数える程の間もかずして、その大半が知られる間も無く斬り捨てられて見かける事は無くなった。


 なぜならば、帯刀令の内容において、帯刀するのに許可や届け出は不要だが、一見いっけんして帯刀していると判断される者が抜刀ばっとうに及んだ場合、これは刀剣と見える形状の物を鞘から抜く動作の始まりが開始に及んだと見えた時点から抜刀とみなされ、又は鞘に納刀のうとうしないで持ち歩いていればその姿が確認された時点で、他の帯刀者によって斬り捨てられても斬った側は罪に問われず斬られた側は文句を言えない、という規則が条項に含まれていたからだ。

 そう。鯉口こいくちを切れば、その瞬間に斬られて一切の文句は言えない。そして率先者たちの中でも新しもの好きの層や自称有名人は碌に刀の抜き方、振り方も心得てはいない形だけの素人だった訳だから、覚悟も無く抜いて、きちんと稽古を積んできた者に見つかっては斬られて人生を終えた。

 見た目と勢いだけで行動する者は破滅する。これも一つの真理を改めて世に示す事となったのである。

 

 善い事ではないのだが、社会に反する生き方をしていた者たちもその中から一定の割合で即帯刀しての暮らしに踏み切った。元々隠し持っていた者が表に出しただけであったのかも知れないが。


 社会に反する者やそれに準じる者たちの中で帯刀した者たちは、少し複雑な経緯を辿る事となり、その道理と結果は日頃から平和に暮らす事を望む多くの一般民衆からすると理解が難しく、一時はそれを解説するニュース記事が多く読まれた。


 先ず、一般人から見ると意味不明な同士討ち、と見える形や帯刀と言えるのかどうなのか判別に難しい姿になっていくという段階を経て漸次姿を見せる事が減っていったのだった。

 その過程においても、明確な斬撃による事件としての報道はそれほど多くは見られなかった。

 これは、彼らの中にも刀にこだわって持つ者ばかりが多く居たのでは無くむしろ少数派であった事、そして拘りの強いもの程、同様の嗜好を持つ者同士での張り合いから無用な闘争へと発展する事例が発生しやすく、それでありながらも案外実用に向く良い刀を持つ者は少なかった上に丁寧な手入れをしないまま帯刀していた事が多くみられた為に、使用時に刀剣が破損してしまい最終的には殴打による撲殺に分類される雑な殺人事件や傷害事件として処理される形になる場合が数多く見られ、同時に元々法律の隙間を縫うような生き方をして来た者たちであったから、刀剣を抜くまでも無く見せびらかしながら上手に脅す道具としたり、そもそも刀剣とは明確に判断しにくい形状のものを準備して帯刀、というか隠し武器のように装備する場合も多く、改正された政令の、さらに隙間を通すようにして振る舞い扱った事に依る所が大きいだろう。もっとも、一々いちいち刀剣で命のやりとりをするのも割に合わないし、殺傷の意志が明確ならば銃器や目立たず持ち歩ける小型ナイフなどを使用するという従来のやり方を効率重視で実行し続けた者たちが変わらず多かった事も理由として大いにあった訳では有るが。


 さて、元々の刀剣術の稽古者の他、新しもの好きや広告収入所得者、無法者などは別にして、比較的常識人でありながら警察官でも自衛官でもなく刀剣を帯びる事を常とした一般人はどうなったのだろうか。


 分かり易い所としては、抜刀ばっとうする際にさや鯉口こいくちを握る左手の指を自分の刀で切断してしまう事故が多発した。近い事例としては、抜いた刀を納刀のうとうする際に、鞘に納める動作を焦って失敗し、左手や胸、胴体の一部を自分で斬ったり突いたりしてしまう事故も多発した。

 これは、剣道の高段者でも意外に多く見られる例であった。


 そのおかげで、腕の良い外科医をようする医療機関や、切断・損傷を受けた神経と血管、筋肉組織に関する再生医療を研究していた企業グループなどは儲かった。


 その一方で、刀鍛冶はあまり儲からなかったとされている。新法の公布と関連法の改正から暫く経って経済波及効果を記述する記事の掲載された雑誌の隅に見られた解説が分かり易い。「刀鍛冶は恩恵にあずかってはいない。日本刀の購入と使用の敷居が下がった所で、一振りを打つのに時間が掛かり安易な大量生産は出来ない分野において、顧客層の変化として元々の思い入れが深かった者や美術的価値をたしなむような落ち着きのある富裕層ではなく、むしろ逆の層が購入者として増加した為、非常識な値切りや店舗での価格競争が過渡をきわめる事と成ったからである」実に分かり易い。実際にその通りだったのであろう。


 

 そんな実態も見られたのではあったが、全体としてみれば案外成功した国策であるように見えた。警察官の印象が強化された事による治安維持効率の上昇にもそれなりに効果はあったし、愚か者はすぐに斬られて居なくなり、社会には独特の秩序が生まれた、というか追加された。

 何よりも欧州諸国からは極東の小さな国としてしか知られていない場合が多かった日本国があらためて交際的な注目を浴び、日本企業の輸出品が良く売れるようになった。

 サムライ文化に興味や憧憬の念を抱いていた海外からの旅行者が訪日する機会も大幅に増えて観光業も潤ってみえた。訪日する者の出身国は、割合としては欧州圏の国々とアメリカ、中東やアフリカ諸国からの者が多かった。

 それらの国ではサムライと、一部には混同されたニンジャの印象が過度に美化されたりアレンジされたりして広まっていた土壌があった事から、関心を持つ者が訪日を望んだという理由があるらしい。


 そのようにして、施行の直前までは、いくら求心力に溢れたあの首相が肝入りで進めた変革とはいえ、さすがにこれは大問題、と捉えた反対派の人々によるデモ行進の報道が連日世間を騒がせたのとはうって変わって、いざ結果を見て見ると首相は元々の支持者以外にも当初は反対の意見を叫んでいた者たちからも喝采を受け、国威も高まり景気も良くなって行くように見えた。


 あの男が現れるまでは。


 そう。あの男である。法によって規制される部分の穴となる部分を意識して狙った訳ではなく、本当に自分の生きる道として人世ひとよを離れ一般の武道団体からも距離を置いて時代錯誤とも思われる山籠やまごもりによってその剣技を磨き続けていた結果そうなった、というあの男である。



 男は自身が土地を保有する地方の山奥に籠って居たが、まれに挨拶をして自分の所有地で山菜を取る老婦人から世の移ろいを教えられ、下山する事を選んだのであった。

 その男が籠っていた山から首都の在る方角に向かい、その歩みが進むに連れて一直線に死体の並ぶ忌まわしき道が出来上がり、現在進行形でそれは首都に向かい被害は増えて日々報道され続けるのがお天気予報に続く日常のトピックとなった。


 斬って、斬って、斬りまくったのである。

 首都まで向かう徒歩での道中においてその視線の先に入る者、刀の届く距離に在った人間の全てを、だ。


 基本的に、抜刀していない者を一方的に斬るのは犯罪である。そこはさすがに、そうなっている。しかし、その男はその辺の所を遵守していたのかも怪しい。帯刀していたら抜刀する間もなく斬られてしまう。抜刀していたらしていたで、男の剣は鋭さを増した。道を塞ぐ形を取れば斬られたし、完全な丸腰であっても鞘に触れたら斬り捨てられた。

 斬る斬らぬの基準が今一つ明確で無いのは男が法律の細かい部分を知らず、帯刀して刀を使用する事が許される世の中になったのだと聞き違えたまま下山したからかも知れない。

 理由はよく分からないままであったが、進み続けるその男の前に立った者はとにかく斬られてその生を終える事となったのである。


 あまりにも連続して発生し報道される同一人の行いによる被害報告とそれを報道するメディアによって、事は社会問題として話題となり、おおやけの対応が問われる事となるまで時間は掛からなかった。

 警察への通報と、対応が為されない事を憂う陳情ちんじょうが相次いだ。これではせっかく向上していた警察の印象も、揺るぎかねない。


 最初は比較的小さめの報道であったのではあるが、噂に呼び寄せられるように世の中を甘く見た素行の悪い若者集団がふざけた笑みを浮かべながら帯刀した状態で近付いて行ったら全員が間も無く絶命し、その中に土地の有力者の息子がいた事から荒くれ者や利権で繋がるものに声が掛けられて準備万端に集まった治外法権的にも見える自警団が、夜に待ち構えて四方から同時に襲い掛かったが当然のように死体の山が出来上がり、臆して逃げたその仲間もみな半径50メートル以内で息絶える事となった。


 獣の出る山で鍛え続けた男の足は、追うには山犬のように素早く、敵と見たものには常よりも一層、その息を断つ以外の判断を持ち合わせていなかった。


 そういった経過を経て、あまりにも残酷であり危険な存在、として日増しに報道が過熱して世間の声はだいとなり、これは国が対処すべき問題であろう、との世論が声高に叫ばれるようになったのである。


 もしも、この男が只の乱暴者の類であったなら、警察官に制圧されて事は片付いていた筈だ。


 だが、帯刀の法案を作成した官僚たちは、想像すらしていなかったのである。近代のスポーツ理論とはかけ離れた筋道で心身を錬磨し、一般に知られる武道家たちでは身に付ける事も無く世の人がその技、いや、そもそもの動作自体を存在するものとは思いもしなかった剣を帯びての動きと抜刀、そして斬撃から納刀までを体得して息をするように歩を進めながら斬ってそのまま動作に区切りなく歩み続ける事を常として生きる事が可能な人間が存在する事を。


 あらゆる物事には例外が有る。今、この時代においてはこの男こそがその例外であった。


 腰には鞘に納められた二振りの日本刀を帯びている。刀と脇差からなる大小の二刀ではない。同じくらいの寸法すんぽうと思われる二尺三寸余りの刀を二振り、二刀。しかしつかに手が近付くのは一方の刀だけだった。

 二刀それぞれに用途が異なるのか、一方は予備なのか、或いは一刀の一振りで済む斬り方しか未だにその跡として見せていないのか、現時点では何も分かってはいない。


 何しろ、よく見えないし分からないのだ。斬る瞬間を見た者にしてみても。

 防犯カメラに動画として納めた記録映像をスロー再生してみても、それは殆ど変わらない。


 法の規制が追い付かない内にこの男が悠々と斬り続けて警察官に捕縛されないのもその主な理由はここにあった。

 男の動きで人を斬っても、法に基づく限り逮捕の対象にはならないのである。


 それは一体如何いかなる事であったのか。



 つまりこういう事である。



 ・満十八歳以上となる全ての日本国籍保有者は、帯刀する権利を有する


 男は規定された年齢を超えているから問題は無い。



 ・帯刀して所持する場合には、やむを得ぬ事情が有る場合を除いては、帯刀する刀剣は鞘に納めて所持しなければならない


 男は鞘に納めて帯刀している。問題は無い。



 ・相手が先に抜刀している場合は斬ったとしても罪には問われない


 基本である。この場合は罪に問われない。





 ここよりも下にある部分にって、男をなんとかしなければならない、という社会的課題の実現が困難な問題として警察関係者から認識されるようになったのである。


 ・但し、正当防衛または人事不省、あるいは不可抗力とみなされる場合を除いて、抜刀し、その刀剣類を用いて暴行、傷害、殺人などに至った場合、或いはその未遂に相当したものは、犯罪行為とみなし処罰の対象となる


 この部分である。ここの中の定義解釈が警察側の担当者を悩ませた。


 人を斬り続けて進むこの男を捕縛するには、「抜刀し、その刀剣類を用いて暴行、傷害、殺人などに至った場合、或いはその未遂行為に相当したもの」と解釈できる状態を確認しなくてはならない。


 単純に考えれば、男は帯刀しており、その刀で人を斬っているのであるから、逮捕できそうなものである。今や道に、街に、殆どの場所に防犯の為のカメラが設置されており、行く先々で男が歩きながら斬り続けていることは明白である。

 しかし。


 「抜刀し、その刀剣類を用いて」と基本になる定義の解釈。

 男は刀を鞘に納めて持ち歩いているのだから、抜刀してそのやいばふるるっているのだと思われる。だが、逮捕するにも捜査においても刑事訴訟法に基づく手続き、執行において、科学的な証拠の必要性が大前提となる。

 この場合なら、数えきれない程の防犯カメラに収められている映像がそれにあたる第一のものとなって証拠に出来ると思われるだろう。普通ならばそうなのだ。


 だがしかし、この男は抜刀する瞬間が見えない。この男が人を斬る現場を目視した上で生存した目撃者の目にも、その姿を記録に残しているカメラにも、男が刀を抜く瞬間が映っていない。見えない。見られない。全く映る事が無いのである。

 直接の目撃者も、見えなかった、後で気付いたのだがその時になって人が斬られたと暫く時を遅れて感じ取った、といった内容しか述べていないのだ。


 意図して近付けば当然のように斬られてしまうのだから現行犯としての逮捕は困難である。肉眼では見えない為に、抜いたのか、抜いていないのか、斬ったのか、斬っていないのか。その場では居合わせた人間によって判断ができない。判断する前に絶命してしまうだろう。


 防犯カメラの映像を高解像度でスロー再生してみても、男は帯刀して歩きながら、斬ったと思われる瞬間には既に刀は鞘のうちって斬り終えている上に納刀まで終えている。

 刀を抜く動作、抜いてから振り上げ振り下ろすなり、抜きながら斬るなりの動作が一切の映像記録からは確認できない。

 どの場合においても、常に男は歩き続けて居り、その近くに在った者が倒れ斬られているのが後から見て確認される、という形となるのが殆どだった。


 さらに、「その刀剣類を用いて暴行、傷害、殺人などに至った場合、或いはその未遂行為に相当したものは、犯罪行為とみなし」と続く部分の定義解釈も男を取り押さえる根拠に成り得ない理由として機能してしまう。


 抜刀の瞬間が見えないだけでなく、剣のひらめく動きも斬った証拠として捉えられてはいないのである。正確にいえば、スロー再生されたカメラの映像から解析される映像の中で、数回のみ、それも僅かな瞬間だけ、その男の近くに空中のおぼろな光として確認出来る。

 しかし、その一瞬に光が映る位置は、鞘から抜き出した軌道とも見えず、直後に斬り捨てられた相手に向けられたものでも、斬り付ける方向に向くものでもなく、斬りかかる動作の途上でも無い。さらには光が確認された次に映る瞬間の映像では刀は納刀されていて刀身は記録されている内には認められない。

 刀のやいばは鞘の内にる、としか確認できないのだ。


 抜刀の瞬間も納刀の瞬間も確認できないから、斬ったにしてもその男の刀によるものか、その男の成した行為の結果であるのか、断定できない。

 光が空中に映る瞬間は有るが、その瞬間の光は斬られたとされる側の人体を攻撃する位置にも方向にも一致せず、また抜刀も納刀も、男の手が刀のつかに近くあるものが映像の中に見られても、それだけでは刑事事件の証拠資料となり得るものとして確認出来ない為、男が数えきれない程の人を斬り続けながら歩み進んでいることは事実なのだとしても、法の規定する「抜刀し、その刀剣類を用いて暴行、傷害、殺人などに至った場合」に該当しているとして捕縛するには、根拠となる法が機能しないのだった。


 法の規定する範囲を超えて加害行為を行っているのはおそらく間違いが無い筈なのに、罪に問う事は出来ないのである。



 さりとて世論を無視する訳にも行かず、この例外に如何に対処するべきか、先ずは分析し対応策を練らねばならぬと考えた警察の上層部は、警察内からは逮捕術を指導するの師範と、特練とくれんと内部で通称されていた剣道の訓練を専門的に行う職員、そして機動隊の指揮官らを集め、あわせて民間からも剣道の社会人大会優勝者や、剣道連盟には属して居ないが実力において国内最高として多くの武道家から尊敬を集める老いた居合術いあいじゅつの師範などを招集して対応を如何にするかと会議を開いた。


 先ず逮捕術の師範に意見が問われたが、

「現時点にて、逮捕等の根拠となるものの有無について判断できません」

 と近くに座していた特練の職員や機動隊の指揮官とも目で同意を示し合いながら答えた。

 民間にて全日本大会を連続優勝している剣道家に問いが回されたが、

「あれは私の知る剣道の動きでは無い。もしあの男が向かって来たとしても、対応するすべは頭に浮かばない。そもそも映像で見る限り、あの男が何をしているのか全く分からない」

 と困惑を交えた表情で述べるのみであった。そして老いた居合術の師範に剣道家が目を向ける。


 老いた師範は会議の出席者をぐるりと見てから、声を出すのか出さないのか、という絶妙なを維持し、独特の空気を会議室に満たした。


 この老いた師範は、剣道連盟が剣道部門・杖道じょうどう部門とあわせて管轄していた居合道いあいどう部門に加盟する事をしとせず拒み続けた流儀にて総師範そうしはんとして名の知られていた名人である。

 連盟に属さないまま流儀の稽古と指導に邁進して来たのは、今や連盟の居合道部門に属する古流剣術や古流居合の流派の多くが形骸化けいがいかし、只の刀剣愛好家の会や、酷い場合には華道や茶道のような上流階級間での交流サロンとなっており、同時にそこで出会う富豪や権力者と刀に執着心を持つ反社会的傾向の持ち主や保守派フィクサーとも呼べる人物らが近付いて成る癒着の場と化してしまっている事を看破していたからであった。


 だからこそ、この老師範は剣道関係者や連盟と関わりが継続している警察関係者との間に若干の距離をお互いに感じ合っており、まず意見を発する前に場の雰囲気を良く見て自分なりに摩擦を起こさず意見が言える機を待ったのであったと思われる。


「儂が見るには」

 その場の雰囲気を破るかのように、独特のタイミングで老いた師範は語り始めた。

「まず抜刀の事。この動き、鞘より刀を抜き出す抜き始めの動作は動きとしては僅かに見える。しかし、鞘から抜き放たれる、鞘の鯉口こいくちから剣先けんせんが出て離れる瞬間までに、法律で規定される抜刀と明確に取れるものとはならないだろう。何故ならば、刀を鞘の中から動かす際に、鞘の口にめられて抜け落ちないように納められている刀、そのつばを鯉口近くの指で押しはずす事でめから緩める所作しょさが、つまり鯉口を切る動作が察知できない。これは鯉口こいくちりのカクシ、が上手すぎる。次いで鯉口から剣先が抜き放たれる、つまり完全に刀が鞘から飛び出す瞬間も人間の目では見えないし、抜いた瞬間から斬り付けるか振りかぶるかまでの時間が限りなく無に近い上に、抜いてから斬る軌道を通常の通りには描かず、剣先が鯉口から出た瞬間にはもう全く別の位置に刀身が移動している。抜きざまに斬り付ける為の軌道とも異なる位置にまで。これも目では追えない。さらには抜かれた後の刀のすじも、抜刀ばっとうの動作をさらに高度に応用していると見えて、動く軌道、斬る軌道、角度、いずれもが通常には有り得ないかたち、その域に達している。常識でははかれない身体の操作からなる妙によって制されているのであろう。そして斬っているのではあろうが、人の目にも機械の目で映された像においても、斬る動作、斬り終える動作、納刀を終えるまでの動作、それら全てが認識不可能な状態になって居るのかと儂には見える。見えるというか、見えんのだろう。そうであるが故に」

 それだけを淡々と言い切ると、また老人は黙った。


 逮捕術の師範は、そうか、と首を小さく動かし、他の者は、話は一応全部聞いたけれども意味が分からない、という顔をして見せた。


「では、どのように対処するのが宜しいとお考えでしょうか」

 体の大きな逮捕術師範は、丁寧に居合術家の老人に聞いた。

「無理なんじゃないの。明確に違法と見える犯罪を犯さない限り、現状では。職務質問とかしようにも近付いた時点で死んじまうだろうしな、あれでは。放っておくしかないんじゃないか」

 そう言い切ってから「じゃ、儂、もうここでやる事無いと思うで、帰るわ」と会議の場から出て行ってしまった。



 会議は結論が出る事も無く解散となったが、そうしている間にも男の歩みは首都に入っており、そのまま首相官邸を目指し止まらなかった。


 機動隊が車両を並べて官邸周辺とそこへ通じる道を塞いだが、何の事はなく、男は車間を抜けてそのまま進む。盾を並べて威圧する機動隊員も、装備品に刀剣かそれに似て棒状に見えるものが確認されるなり盾ごと斬られて壁の用を為すにも至る事は無かった。

 最早、犯罪とか事件ではなく災害である。


 しかし首相は「俺が先頭に立って通した法案の結果だ」と警備の声を無視して官邸の正面で待ち構える。


 ついに男は首相の前にまでやって来て声を発した。

「あんたが首相か。帯刀を常とする日本に変えたというのは」

 首相は答える。

「ああ、そうだ」

 男はもう一度首相を見て言った。

「決めたあんたが腰に刀を帯びていないのはおかしな事だ。だから持って来てやった」

 そう言うと腰に帯びていた二振りの内、つかに手を掛ける事の無かった方の刀を掴み、腰紐を解いて帯刀用の腰帯から抜き、鞘に収まったまま首相に向けて差し出した。


「受け取れん」

 首相が断ると、男は言った。

「賢いな。持ったらその瞬間に斬るつもりでいた」

 と。


「お前は賢い。だから地位や人気も得られたのだろう。だが気を付けろ。斬るものは斬られるし、立場というものはあればこそ目立って斬るにはやすいものになる」

 そう言うと男は刀を腰に戻して、きびすを返した。



 後に、男が戻った山で再会した山菜取りの老婦人が聞いた所によると、

「世が変わったと聞いたから、その世にならって変えたという者の顔を見に行った。あれは賢い奴だろう。だが、考えが浅い連中を相手にする賢さだ。それが分かったから俺はもういい。やっぱりひとりで山に暮らすのが良い。その程度なんだ、世の中なんて」


 この言葉の意味が理解できた者は、今の世でそれ程多くは居なかった。





 








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帯刀令 きのはん @kinohan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画