第8話 魔法使いに憧れる
腕のあざを見てしまった僕と、その残酷な真実を確信した栞。僕たちが何を言い出すか、その恐怖から逃れるように、陽葵はマシンガンのように言葉を紡ぎ始めます。
「あ、そうだ悠真くん! さっきの数学の小テスト、健斗のやつさ、名前書き忘れて出しそうになってたんだよ? もう、本当バカだよねー。それから、さっきのサッカーだって、私、あともうちょっとでゴール決められたと思わない? あーあ、テスト勉強なんてしてないで、もっと練習しとけばよかったな!」
陽葵の声は、いつもより一段高いトーンで響いていた。僕が腕のあざに触れようとする隙を、一ミリも与えないような必死の独り言だった。
「陽葵、今は無理に喋らなくていいから……」
僕がそう遮ろうとすると、彼女はさらに声を張り上げた。
「あ! そうだ、隣のクラスの美咲ちゃん、知ってる? あの子、ついに先輩に告白したんだって! もう、その話が聞きたくて聞きたくて。明日、一緒に聞きに行こうよ、ね? あ、でも明日は英語のテストがあるんだっけ。最悪ー! 誰か私に天才になる魔法かけてくれないかな!」
嫌いな勉強の話。クラスの噂話。そんな「普通の女子高生」の話題を並べ立てるほど、彼女の青白い顔と、あのあざの禍々しさが僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。今の陽葵の喋り方は、もはや会話ではなかった。自分の心を守るために築き上げた、脆い砂の城のようだった。
栞は、ベッドの脇で静かに座ったまま、その痛々しい演説をじっと聞いていた。栞の膝の上で握りしめられた拳が、微かに震えている。今ここで「そのあざ、どうしたの?」と聞いてしまえば、この子が必死に保っている何かが、音を立てて崩れてしまう。それが分かっているから、栞はただ、優しく相槌を打つことしかできなかった。
「そうね……美咲ちゃん、頑張ったのね。……英語の補習も、私がノート貸してあげるから大丈夫よ」
「本当!? さすが栞ちゃん! あはは、これで明日も遊べるね!」
陽葵は満面の笑みを浮かべた。でも、その瞳は一度も僕たちと合わず、泳ぐように宙を彷徨っていた。彼女が笑えば笑うほど、僕の胸には鋭い棘が刺さっていくようだった。
「……ああ。そうだな。魔法、俺も使えたらいいんだけど」
僕にできたのは、そんな力のない相槌を返すことだけだった。本当は「お母さんに何をされたんだ」と叫びたかった。でも、彼女が必死に隠そうとしている「日常」を、僕が壊す勇気もまた、持てなかった。
保健室の窓の外では、何も知らない生徒たちの笑い声が遠くで響いていた。この閉ざされたカーテンの中だけが、今にも消えてしまいそうな危うい嘘で満たされていた。
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