第10話 器用すぎる男の日常
王都から遠く離れた、陽だまりの絶えない丘の上。 そこには、世界で最も「平和」で、そして世界で最も「異常」な小さな庵があった。
「――はぁ。やっぱり、お外で飲むお茶が一番だねぇ♡」
ルカは、自分で削り出した白樺の椅子に深く腰掛け、琥珀色のハーブティーを啜っていた。 鼻をくすぐるのは、庭に咲き乱れる薬草の清々しい香りと、オーブンから漂う焼きたてスコンの甘い匂い。
つい数ヶ月前、この世界を滅ぼそうと現れた「始原の魔王」との決戦があった。 大陸中の勇者が倒れ、空が真っ黒な絶望に染まったあの日。ルカは、魔王の放つ究極の破滅魔法の合間を縫って、トコトコと歩み寄ったのだ。
「魔王さん、肩凝ってるでしょ? ここ、ちょっと歪んでるよぉ」
そして、指先で魔王のうなじの「一点」をツン、と突いた。 たったそれだけで、魔王の膨大な魔力供給システムは、知恵の輪を解くようにバラバラに分解され、魔王自身も「ひゃんっ!?」という情けない声と共に、ただの大人しい子犬のような魔力へと無力化されてしまったのだ。
「あの時の魔王さん、今じゃ庭の草むしり手伝ってくれてるもんねぇ」
ルカが視線を向けると、角を切り落として小さくなった元魔王が、完璧な均一さで雑草を抜いていた。ルカの指導(教育)により、雑草の「根の構造」を理解して抜く技術を身につけたらしい。
「ルカさーん! 街からお客様ですよぉ!」
坂の下から元気に手を振るのは、今や聖教会のトップを退き、ルカの「助手兼味見係」として居座っているアリアだ。 彼女が連れてきたのは、かつての勇者、ゼクスだった。
「……ルカ。久しぶりだな」
ゼクスの背負っている剣は、もはや聖剣ではない。ルカに直してもらった、質素だが「究極にバランスの整った」一振りの鉄剣だ。 ゼクスは、ルカの前に膝をつき、申し訳なさそうに頭を下げた。
「あの……この前頼んだ、農耕用トラクターのエンジンの調子が、どうも……」
「あはは、また無理させちゃった? 貸してごらん」
ルカは、ゼクスが持ってきた巨大な魔導エンジンの塊を、ひょいと受け取った。 普通なら数人がかりで運ぶ重さだが、ルカはその「重心の糸」を指先で掴んでいるため、まるで紙風船のように軽い。
カチャ、チャリ、シュルリ。
ルカの指先がエンジンの内部に潜り込む。 工具は使わない。彼の指先が、金属の熱膨張による微かな「歪み」を感じ取り、それを撫でるだけで本来の形へと戻していく。
「はい、できたよぉ。燃費を30%ほど良くしておいたから、今度はもっと優しく運転してあげてね?」
「……相変わらず、魔法を使わずに世界を書き換える男だな。お前がいれば、国中の職人が廃業するぞ」
ゼクスは苦笑いしながら、修理されたエンジンを抱えた。 ルカの指先一つで、壊れた工芸品は息を吹き返し、まずい食材は宮廷料理を超える絶品へと変わる。 今やルカの庵は、王族から農民までが列をなす、世界最高の「便利屋」にして「工芸店」となっていた。
「さーて、アリアちゃん! お客さんも帰ったし、今日のおやつは『次元流し込みプリン』にしようか!」
「それ、名前は怖いですけど、世界一美味しいんですよねぇ♡」
ルカはキッチンに立ち、卵を割り始めた。 ボウルの中で混ざり合う卵黄と砂糖。ルカの腕は、一秒間に数千回の微振動を加え、液体の分子を完璧な乳化状態へと導いていく。 舌に乗せた瞬間、体中の細胞が喜びに震えるような、究極の滑らかさ。
(あぁ……幸せだなぁ)
ルカは、窓から差し込む黄金色の夕日を見つめた。 かつて「無能」と蔑まれ、追放されたあの日。 けれど、自分のこの「器用すぎる指先」を信じて、世界を丁寧に、優しく扱ってきた。 その結果、世界もまた、ルカに優しく微笑んでくれるようになった。
「きようさぜんふり、大正解だったねぇ♡」
ルカは、プリンの型にキャラメルを流し込みながら、満足げに目を細めた。 彼の指先がある限り、この世界に直せない傷なんて一つもない。 丘の上の庵からは、今日も心地よいリズムの調理音と、幸せそうな笑い声が、どこまでも器用に響き渡っていた。
――完――
お疲れ様でした! 全10話、ルカの「器用さ」を軸にした無双物語が完結しました。
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