『きようさぜんふりしちゃったよー♡ ~能無しと追放された盗賊、指先一つで世界の理をハックする~』

春秋花壇

第1話 え、追放?ステータス画面見てよぉ!

王都の高級宿屋の一室には、上質なアロマの香りと、それには似つかわしくない刺々しい殺気が充満していた。


「――というわけだ。悪いがルカ、今日限りでパーティを抜けてもらう」


重厚な革張りのソファに深く腰掛けた勇者ゼクスが、冷え切った紅茶のカップを机に置く。カチャリ、という硬い音が静まり返った部屋にやけに大きく響いた。


ルカは、持っていたショートケーキのフォークを止めた。甘い生クリームの香りが鼻をくすぐっている。さっきまで、あんなに幸せな味がしていたはずなのに。


「……え? クビ? なんでぇ?」


ルカは間の抜けた声を出し、首を傾げた。その仕草すら、ゼクスの神経を逆撫でしたらしい。


「理由? 言わなきゃわからないのか。お前の『火力』だよ。この前の大蜘蛛(アラクネ)戦を思い出せ。俺が聖剣で一刀両断し、魔導師が爆炎で焼き尽くす中、お前は何をしていた?」 「えっと……。蜘蛛の糸がみんなに絡まないように、空中で全部結び目を作って、地面に固定してたんだけど……」 「それがダメなんだよ! 効率が悪い!」


ゼクスが机を叩いた。振動で紅茶がこぼれ、ルカのズボンに茶色いシミを作る。熱い。でも、それ以上に胸の奥がチリチリと焼けるように痛かった。


「盗賊ならもっとこう、背後から急所をぶち抜くようなダメージを出せ。お前の攻撃は、まるで蚊に刺されたような感触だ。そんな『器用貧乏』を連れ回す余裕は、もう俺たちにはないんだよ」


横に座っていた魔導師の女も、冷ややかな視線を向けてくる。 「そうよ。あなたの武器、ナイフじゃなくてただの『針』じゃない。そんなので魔王軍と戦えると思ってるの? 笑わせないで」


ルカは視界の端に、自分のステータス画面を呼び出した。 半透明のウィンドウが淡く発光し、網膜に情報を映し出す。


【名前:ルカ】 【職業:盗賊】 【筋力:1】 【魔力:1】 【耐久:1】 【敏捷:50】 【器用:9999(測定不能)】


「でも見てよぉ、ゼクス。僕のステータス、これだよ? 『きようさ』だけは誰にも負けない自信があるんだ。ほら、この数字、カンストしてるっていうか、枠からはみ出してるっていうか……♡」


ルカは必死に、空中に浮かぶ画面を指差した。 だが、ゼクスはそれを見ようともせず、鼻で笑った。


「器用さが一万近くあったところで、何になる? 鍵を開けるのが少し早いだけ、毒薬を混ぜるのが少し上手いだけだろ。そんなものは、俺の聖剣の一振りがあれば代用が利く。戦場に必要なのは圧倒的な『力』なんだよ」


ゼクスの声は、どこまでも傲慢で、重い。 これまで一緒に旅をしてきた。野宿の夜、ルカが最高に柔らかい寝床を作ったときも、固い干し肉を芸術的な薄さに削って絶品スープにしたときも、みんな笑って「器用だなぁ」と言ってくれたのに。


「……本気なの? 僕がいなくなったら、みんなの装備のメンテナンス、誰がやるの? 鎧の関節の注油とか、ミリ単位の調整とか……」 「そんなもん、街の鍛冶屋に金払えば済む話だ。お前は今日から自由だ。ほら、さっさと荷物をまとめて出て行け」


ゼクスが投げ捨てた金貨袋が、ルカの足元で鈍い音を立てて転がった。 チャリン、という音が、ルカの心の中で何かが切れた音と重なる。


(あぁ……。この人たち、僕の指先が何を見てるのか、一度も興味を持ってくれなかったんだ)


ルカはゆっくりと立ち上がった。 足元にこぼれた紅茶。その液体の表面張力が、部屋のわずかな傾斜に従って、絨毯の繊維の隙間に吸い込まれていくのが見える。 窓から差し込む夕日の光に舞う、小さな埃の一つひとつ。その動きさえも、ルカにはスローモーションのように感じ取れる。


「……わかったよぉ。そんなに言うなら、僕、修行してくるね。もっと『器用』になって、みんながびっくりするくらい凄くなっちゃうから」


ルカは寂しそうに微笑み、足元に落ちた金貨袋を拾い上げた。 拾う瞬間、ルカの指先がわずかに動いた。 目にも止まらぬ速さ。残像すら残さない精密な動作。


ゼクスの腰に下がっている聖剣の、鞘のネジを「ほんの少しだけ」緩める。 魔導師の杖の、魔力伝達経路を「ほんの数ミクロン」だけずらす。 それは、今の彼らには決して気づけない、けれど致命的な「違和感」の種。


「じゃあね。今まで、ご飯作らせてくれてありがとう」


ルカは背を向け、部屋を出た。 廊下を歩く足取りは、羽のように軽い。 背後から「ふん、負け惜しみか」というゼクスの嘲笑が聞こえたが、ルカの耳にはもう届いていなかった。


宿を出ると、夕暮れの冷たい風が頬を撫でた。 街のざわめき、馬車の車輪が石畳を叩く振動、屋台から漂うスパイスの香り。 ルカの過敏な感覚は、世界にあふれる膨大な情報を「手触り」として捉えていた。


「よしっ。まずは師匠のところに行こーっと」


ルカは自分の白い指先を見つめた。 この指なら、空気さえも掴める気がする。 この指なら、運命の糸さえも結び直せる気がする。


「きようさぜんふりしちゃったからさ、これしかできないんだもん。だったら、世界で一番、器用にならなきゃね♡」


少女のような軽やかな足取りで、ルカは王都の門をくぐった。 後に残された勇者たちが、自分たちの「強さ」がバラバラに崩れ始めていることに気づくのは、もう少し先の話である。


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