元カノ@スマホのなか

うたかた

第1話

「……うかだよ。会い……きた」

 夢の中でまどろんでいると、女性の声が脳に響いた。俺は泣き言を始める。涙は流さず耐えるが、顔はくしゃくしゃに歪んでいるだろう。

「突然、俺を置いていかないでくれよ」

 表情がはっきりしない女性は言葉を溜めて、流れるようにいった。

「──ごめんね。今は、生と死の狭間だから少しだけ会いにこれたの。また絶対くるから。さ」

 俺は呆然と立ちつくす。頭上に柔らかな陽の光を感じながら。

 そうして、淡い目覚めとともに、彼女の姿かたちは消えていった。


 大学の冬期休業、初日。朝からスマホのアラームがけたたましく鳴った。せっかくの連休だから、目覚まし設定なんてしていないはず。しかもいつもの鐘の音じゃなく、人の声だった。

『ゆうかだよ。起きて、ゆうかだよーっ!』

 枕元で、高校時代の彼女の名前を連呼する。乾燥した俺の部屋に元気いっぱいな女性の声が響く。確かに、この声色は加藤優花で間違いない。

 前日のサークル飲み会で残った酔いが、あっという間に醒めていくのを感じる。  

 ──なぜなら、優花は高三の夏に交通事故で亡くなっているから。

 夜中、塾から帰宅する最中。横断歩道を渡っていたところ、不注意な車にはねられたのだ。噂では残業続きのサラリーマンが運転していたのだと聞く。葬儀の時に棺に入った優花は亡くなっているとは思えないほど、穏やかな顔つきだった。訃報を聞いたときに呆けていた俺は、相当ショックだったはずが、涙は全く溢れなかった。人は辛すぎると形にはならないものなのかもしれない。

 俺はまだ、夢の世界にいるんだろうか。

 もう一度瞼を閉じようとすると、優花が大声をあげた。スマホのスピーカー越しで。

『二度寝しようとするなっ。これは現実です。今天国で転生君の順番待ちなの。暇だから遊びに来たんだ』

「優花……なのか? テンセイ君?」

『昔は受付事務さんがどれだけ徳を積んだかを手計算して、転生先を選んだんだけどね。今はすっかりシステム化されて、転生君に手をかざせば、善行と悪行を計算してくれるんだ。だから格段に時短化したんだけどさ。それでも人数が多いからね。待っている間、退屈で退屈で』

 最後の言葉は吐息まじり。

 俺は掛け布団をのけて、ぐるりと部屋を見る。人の気配はない。どうやら本当に、元カノがスマホのなかにいるようだ。

「それで物に乗り移ったわけか。そういうのって……人形とか縫いぐるみとかが定番じゃないの?」

『私だって可愛い縫いぐるみとかが良かったよ。でも悲しいかな、男子大学生の部屋。飾りっけまるでないんだもん。選択肢がない。こっちは、天使に叱られるのを覚悟で抜けだしてきたっていうのに』

 不満げに優花がいう。生前の口を尖らせている彼女の顔が目に浮かぶ。

 うーん。確かに妹の部屋に比べると、俺の部屋は殺風景にもほどがあるか。

 本棚の上に推しキャラのアクリルスタンドやフィギュアを飾る妹。それに対し、俺は神社の木札。妹はコルクボードに思い出の写真をはっているが、俺は大学の授業予定表くらいだ。余白に好きなサッカー選手のシールをはる程度で。

 人型のものは後輩が旅行土産に寄こしてきた、なまはげ侍のキーホルダーくらいだ。さすがにそれに魂を移すのは嫌だろう。悪いごはいね~が、って天国から抜けだしている本人が悪いご、なわけで。

「そうか。分かったよ。暇つぶしに付きあおう」

 俺は髪の毛を掻きながら布団からでて、押入れにかたす。スウェットとジーンズを箪笥から取りだし、着替えはじめた。

『わ、わ。音が生々しいから待って。機内モードにするから』

 優花がそういうと、スマホからしゅっ、と効果音が鳴った。

 俺は着替えを終えて、部屋をでた。洗面台に向かう。両手に水を溜めて顔を洗うと、肌が引き締まるような冷たさを感じた。

 ふと、手を止めて鏡のなかの自分の顔を見る。頬が緩んでいた。そうだな。どんな形であれ、俺は彼女が会いに来てくれたことが嬉しいんだ。


 車の助手席にスマホをゆっくり置き、機内モードを解除した。

『ああっ。車買ったんだ! 凄い。運転免許を取ったんだね』

「ああ。仮免中に同乗した教習所の先生は、俺の運転に怯えていたけどさ。今じゃ慣れたもんだよ。中古だし、軽自動車だけど」

 エンジンキーを回すと揺れる車内に、優花が声をあげて感心する。俺はちょっと気分を良くする。

「高校時代は車でどこか行くのは考えられなかったもんな。ヘイ、ユーカ。どこに遊びに行きたい?」

『人のことをAIアシスタントみたいに呼ぶな。そうだなあ。付き合っていた時に一緒に行こう、ってデートの約束をした場所があるじゃない。何か所か巡りたいな。私の生涯はほとんどデートできなかったもの』

 俺は片手をハンドル、片手を顎にあてて考える。なにせ三年前のことだ。簡単には思いせない。とはいえ、久しぶりに会った元カノに「デートの約束をした場所ってどこだっけ?」とは訊けない。

 ようやく思いあたり、よしっ、とアクセルを踏む。意外と近場にあったものだ。エアコンからの温かい風が俺の頬をなでる。

「開店したら行きたいって、優花言っていたよな」

『お、勘のわるい健人だけど、正解かもしれない。楽しみだなあ。よしよし、カメラモードにして外界を私に見せてくれたまえ』

 俺はクリアケースに入れたスマホを前方に向けて、車のヘッドレストに括りつけた。家をでて駅の方向へ進んでいく。道々、優花がスマホのスピーカーから、感慨深げに声をあげた。


『え、ここ畑じゃなかった? 大型マンションが立ったんだ。ひえー豪快な。そんなに人が入るもんかね。来なかったらオーナーさん大損じゃない』

『私の通っていた塾、無くなってんじゃん。少子化の波ってやつか。数学のイケメン先生は今どうしているかな。どっちかっていうと授業下手だったけど、こっちは集中して考えるじゃない。だから、不思議と問題が分かるんだよね』

『ああ。とうとう、ここの本屋さんも無くなっちゃったか。目当て以外の本も発掘できたりして好きな場所だったのに……』


 この辺りを毎日歩いている俺からしたら、数年でそんな変化があったんだなと再確認をする思いだった。

 車は十五分程度でショッピングモールへ着いた。三年前は更地で、いずれ商業施設ができるとだけ聞いていた。二人でその脇道を、手を繋ぎながら歩いた時。優花は、モールができたら中を腕組んでねり歩きたい、と言っていたのだ。二人の仲良しぶりを、複合された商業施設たちにpRしたいのだと。俺は笑いながら、約束するよと返した。ブランコのように大きく振る優花の手は、とても温かかった。

 もちろん電車で数十分揺られれば、モールはある。ただ近所にそういった大きな施設ができることは、田舎の高校生にとっては夢のある話だったのだ。

 スロープを上り、四階の立体駐車場に車を停める。

「優花、アプリを開いてくれ。位置情報で友達がいるかどうか分かるから。大勢に優花がスマホのなかってバレたら不味いよな? 天使に怒られるんだろ」

『まあ、良くはないけどさ……。まって、明里と篤人がいるじゃん! 叱られようが何しようが、明里たちには会いたい!』

 優花は親友の名前を興奮して口にする。

 スマホの画面にある地図は、一階のカフェで赤い点を光らせていた。


 俺と明里と篤人は、カフェ奥にある丸テーブルを囲んだ。中央に優花、というか俺のスマホを置いて。

「とうとう健人がおかしくなったかと思ったけど……これはマジだな」

 優花と会話のラリーをした篤人が、理解できないとばかりに頭を左右に振る。

「お前、理系の大学だしさ。昔の優花との会話データを携帯のチャットアプリにぶち込んだのかと思ったけど。声色もそうだし、昔の出来事も分かっているし、本当に天国と通信しているんだな」

 篤人の隣にすわって、すぐさま優花を信じた明里は瞳を潤ませていた。

「また優花と話せるなんて、嬉しいよ。元気にしてた? ビデオ通信にしてお顔を合わせて話そう!」

『私も明里に会えて嬉しい~。ビデオ通信にしたいんだけど、天界が映ったらややこしいことになるんだって』

「映しちゃ不味いものでもあるの?」

『うーん。見渡す限りの桃色の雲に、穏やかな音楽が流れているくらいで別に何もないんだけどね。昔は出入りにおおらかで、モーツアルトさんもよく音楽を聴きに来ていたらしいよ。夢のなかで聞いて、起きたら天啓だとばかりに作曲していたって。今は情報流出が厳しいのかな。もしくは天使たちがシャイで映りたくないだけなのかも。ねえねえ、それより二人は付き合っていたんだね。どっちから告白したの? 付き合ってどのくらい? 篤人は明里のどのあたりが好きなの?』

「うっせえうっせえ。あーこのウザさは優花だ。また味わうことになるとは……。そうだ優花、色々な店が入っているモールに来たかったんだろ。明里と二人で回ってこいよ。女子会してこい」

 篤人が身を乗りだし、スマホ画面に向けてしっしっと手のひらを振る。明里はにっこりと口角を上げた。ストラップを手に取り、俺のスマホを首に下げて出ていく。スキップしそうな勢いで。

 明里の姿が二階エスカレーターへ消えていくのを確認すると、篤人は俺に声をかけた。

「お前が呼んだわけじゃないだろうけど、とんでもないタイミングで優花が蘇ったな。明日、志穂さんとデートがあるんじゃなかったっけ?」

 こくりと無言で俺はうなずく。

「今更、日も変えられないしね。元カノが携帯にインストールされたから、今日は駄目なんだなんて言ったら、振られちゃうよ。精神面を疑われたあげくに。彼女にも正直に話して、三人でどうするか考える」

「まあ、優花だって大学三年になったお前に彼女がいないとは思っていないだろうしな。頑張れ」

 俺はすっかりぬるくなったキャラメルマキアートを飲みほした。カップに残った甘味が口に広がり、体に染みこんでいくのを感じる。

 それからたっぷり二時間がたって、明里と優花が返ってきた。レディースファッション、コスメ店、百均を巡ったと明里は息を切らせながらいう。スマホから優花の笑い声が響いている。


 帰りの車内では、優花のショッピングモールへの賛辞が次々流れていった。素敵な色のワンピースを見つけた、今の女子高生にはバンド風のティシャツが流行っていて驚いた。見たことないお洒落なカフェがあった。リップの新しい色をつけてみたい、などなど。

 服の写真や明里との自撮り、動画を三百は撮ったとも言い、俺はスマホの容量が気になった。だが、そんな自分勝手な振る舞いも『モールにこられて嬉しい。明里にも会えたし幸せー、もういつ輪廻しても構わない。健人ありがとう!』といわれると、不思議と腹は立たなかった。


 翌日の朝食後。つきあっている彼女が家に来ると優花に伝えた。

 パートに出かけた母親のつくった、大根と油揚げの味噌汁。温めなおしたその香りが部屋に漂っている。静かな空間に、電気ケトルのお湯の沸騰音だけがこぽりこぽりとしていた。

 優花は『仲良くできるかなあ』と俺にポツリという。

『同級生だけど二十一歳なわけでしょ。私は死んじゃった時の十八歳で止まっているし。大人の女性だ』

「大げさな。三つしか違わないよ」

『他人事だから、そう言えるんだよ。大学入学して三年がたつ、成人でしょ。大きな違いがあるよ』

「今は十八歳から成人だ」

『えっ、そうなの。でもそれは私の生前の話だから。はい論破論破』

「うわー、嫌な流行を覚えているなあ」

『服装どうしよう。若さを主張して制服にしとくかあ。って今はスマホのなかだから関係ないか』

 わはは、と笑う優花。心なしか昨日より空元気に感じる。

 志穂にも昨夜、ノートPCで連絡したが「へー元カノさん。まあ、成仏されないのも困っちゃうから一度だけ会うならいいよ」と返信があった。そう考えると、確かに志穂は、二十代で何回か恋愛経験のある、大人の女性なのかもしれない。もしくは質の悪い冗談かと思ったか。

 しばらくすると、その今カノがインターフォンを鳴らした。部屋に入ると、じっと食卓上にあるスマホスタンドを眺める。小さな声で話しかけた。

「優花ちゃん初めまして。佐藤志穂です」

『加藤優花です。今日はお二人のデートにお邪魔しちゃってすみません』

「あ、本当にスマホにいるんだね。健人は冗談で亡くなった元彼女の話なんてしないとは思ったけど。デートの邪魔なんて考えないで。同級生だしタメ口でいこう。彼には罰としてテーマパークまでの運転を往復やってもらうからさ。普段は行きが私で、帰りに交代するんだけどね」

 スマホのなかの元カノに驚きもせず、にこやかに笑う。

「健人、優花ちゃんの顔写真データないの?」

「三年以上も前なんだからはいっていないだろ」

『ううん。中にあるデータを検索したらあったよ』

 スマホの画面に優花の顔がでてきた。渋い顔をする俺に、志穂がちらっと目線をやってニヤニヤする。

「超可愛いじゃん。健人、生意気にもこんな彼女がいたのか」

『えへへ。志穂ちゃんも可愛いけどね』

 と優花の弾んだ声。

 志穂には悪かったが、優花に今日は天国に戻っておいてくれとも言えなかった。なぜなら、テーマパークの予約はだいぶ前からしていたこともあるが、優花と遊びに行こうとしていた場所の一つだったから。今回は志穂の心の広さに甘えさせてもらうことにする。ごめん、と心の中で彼女に手を合わせた。


 行きの車内では、優花が動画サイトから高三時代に流行っていたJポップをかけてくれた。久しぶりの高速道路で、俺はハンドルを強く握る。それをしり目に、志穂と優花は合唱をしだした。

『ほい。カラオケ採点アプリを起動。九五点! 志穂は歌が上手いねっ』

「高校時代は吹奏楽部だったからね。トロンボーンをやっていたんだ」

『いや、歌と関係ないじゃん』

 二人で笑い声もハモる。

「そういえば健人も歌が上手でしょ」

『あれ、高校時代はカラオケが苦手だったよね? 皆でいっても、自分は歌わないでタンバリンばっかり叩いていたし』

 周囲の車のスピードについていけない俺には、優花の質問に答える余裕はなかった。後ろをぴったり走る車よ。さっさと追い越し車線に入ってくれ!

「大学生になってから、一人カラオケで特訓したんだって。一回利用したら二時間は居座って、十五曲は歌って。同じ曲を三連続で流したりしたみたい」

 志穂が種明かしをした。

『ひやあー涙ぐましい。でも偉いなあ。そういえば、私が初めてバイトした時も様子を見に来てくれたな。そういう影の努力をするところ、好きだった』

 俺はそれ以上いわれないように、慌てて口をはさむ。

「ファミレスのバイトだな。変な客がいないかちょっと気になって……。そんなに長居はしなかったし、急いでドリアだけ食べて帰ったから。ずっと勤務中の優花を眺めていたわけじゃないぞ」

 急カーブで速度を落とし、ハンドルを右に回す。手に汗を握っているのは、恥ずかしさもあったからかもしれない。

「いい男だよねー」

『ねー』

 と追い打ちをかける二人の声が、またハモった。

 

 テーマパークでは、優花のナビで快適に過ごせた。

 曇りだったが、雨の予測で降雨時間が正確にわかる。お陰でジェットコースターの列にずぶ濡れにならずに並べた。待たないで済むアトラクションも分かるので、空いている順に俺たちは園内をめぐれた。

 多少、列待ちになっても三人の会話で、時間が瞬く間に過ぎていく。

 大体は高校時代の思い出話になった。その当時の芸能人や流行りについて優花が検索して話に花を咲かせる。とはいえ俺と首にさげたスマホ、志穂の三者でしゃべる姿は周囲からは異様に映っただろうけど。

 メリーゴーランドに乗ったり。志穂が「絶対行かない!」と拒否したお化け屋敷に、スマホの優花と二人でいったりなどする。移動式シューティングゲームでは、できることがないと優花は不貞腐れていた。しかし、始まるやいなや俺たちを大声で応援した。

『あー、なんでそこを外すかなー』

『私なら絶対仕留めたね。つめが甘いなあ、健人は』

『やっちゃえ! やっちゃえ! ひゃー、ラスボスはこんなにでかいの。怖っ』

 などなど、けたたましい。

 遊びまわって腹も減り、園内のレストランで夕食を食べた。最後のアトラクションとして観覧車に向かう。十分で一周する大型観覧車の個室では、俺と志穂が向かってすわる。すると優花が気を使ったのか、

『では、私は機内モードにナリマス。お二人、存分にいちゃいちゃして良いからね。時間が来たらアイル・ビー・バック』

 そう言って、スマホのスワイプ音を鳴らす。

 軽い振動とともに、観覧車が動きだした。志穂が黙りこくった暗い画面のスマホに視線をやり、つぶやく。

「優花ちゃん。満足したら天界に帰っちゃうのかな」

「転生する人の列から抜けだして、地上に来ているそうだから、もうすぐかも。あまり遅いと天使に怒られるみたい」

「そうか……。私、優花ちゃんが生きていたら親友になれていた気がする。今日、出会ったばかりだけど寂しい」 

 いつの間にか観覧車は頂点に来ていた。窓からは夕闇が広がり、明かりの灯ったオフィスビルが並ぶ。見下ろすと、道路を走る車のライトが流星のようだった。

突然、志穂が俺の首からスマホを取りあげ、機内モードを解除した。

「皆で夜景を堪能しよう!」

 そういってインカメ設定にした優花にも、外を眺めさせる。

 スマホからほう、と感嘆の声が漏れた。


 帰りは志穂を家まで送った。自宅についた俺はすぐにシャワーを浴びて、くたくたの身体をベッドへ放り投げる。枕元の電源ケーブルにスマホを繋げて、充電を忘れずに。「おやすみ優花」と一言いって。


 朝、夢をみた。

 鳥のさえずりが聞こえる場所で、暖かい日差しを感じる。地面は柔らかく、桃色の雲でできていた。目の前には優花が。憂いをたたえた瞳で佇んでいる。

「お世話になりました。テーマパークも楽しかったあ。デートを満喫できたよ。本当にありがとう! さて、これでお別れです。事故の時は急にあなたの前からいなくなってごめんね。健人へ感謝していたこと、お礼もさよならも言えなかったこと。ずっと後悔していたんだ」

 俺は下唇を嚙みながら、優花が消えないように言葉で引き留めようとする。

「いや、鳥取の砂丘も行きたい。遠野で河童を捕まえたい。シンガポールでマーライオンを見たいともいってたし、デンマークの人魚姫像だって。デートしたい場所はいっぱいあるんだ。転生するのはまだ早いんじゃないか。もう少し下界でゆっくりしていけよ」

「うーん。それ、全部私が言いだした場所なんだっけ? 世界がっかりスポットが混じっていたな。生前の私ってそんなセンスなかったっけ? 健人が言いだしたのも多いんじゃないの。それに、海外は大学生の財力じゃ無理でしょ」

「またいなくなっちゃうのか。やめてくれよ」

 優花は眉間にしわを寄せながらも、口を開く。

「いいんだ。もう十分。それに時間がないんだ。転生の列を待っているなんて嘘なの。生まれ変わる直前に、大天使さんにお願いしたんだ。元カレに会ってしっかりお別れをいいたいって。死に際にまた会いに行くって約束したんですって」

 俺は、優花の悲しげな顔をじっと見つめる。元カノに泣きすがりはしないが、平然としていられるほど強くもない。

「大丈夫。もう健人は前に進めるよ。志穂だって良い子だったし、彼女となら幸せになれる」

 優花は両手を広げて、しっかりと俺を抱きしめた。


 俺は枕から頭をあげ、スマホを持ち上げた。画面にはメモアプリが開かれている。『現世を頑張って』という文字が打ってあった。優花、とスマホに何度か呼びかけても、マナーモードのように応答はない。 

 頬に温かいしずくが伝っているのを感じた。胸の奥にあった塊がなくなって、軽くなったような──。

 いつの間にか朝の光が、カーテンを閉め忘れた俺の部屋をまんべんなく照らしていた。

 一日が始まる。

 そう思えた。

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