偽蕎麦

うたかた

第1話

 西暦三千年のこと。偉大な聖人がこの世に生を受けて、千年に一度の節目だ。

 地球でのお祝いムードは凄まじく、有名歌手が月ごとにコンサートを開き「イエ――ッ」とシャウト。観客はレーザービームを浴びながら、狂ったように踊っていた。フリーフードを食べ散らかしながら。そして、ぼんぼーんと、夜空に大輪の花火が打ちあがる。赤、青、黄など色鮮やかだ。

 興奮して、おおさかのドートンボリという川に飛び込む人々も多かった。

 今日までに一万二千人が飛びこんだという。一万人目の者は記念品として〝たこやき一年分〟を市長から贈呈されたそうだ。もちろん九千九百九十九人はしょっぴかれて正座のうえ、説教を受けた。もれなくハリセンでしばかれつつ。愛らしいけど、阿保や。なにやっとんねん。ただ、上半身裸で飛びこんだ痴女もいたらしく……これはちょっと見たかったかも。

「大勢でドートンボリに飛びこんだ奴らが、水泳でレースを始めた時はイラッとしましてね。陸地に上がった後、ゴールした順に警棒でどつきまわしましたわ。……しまいには、ゴーグルを装着して競泳パンツを穿いた猛者もでてきたんです。彼は木津川に合流するまでの三キロを泳ぎ切ってね。無駄のない見事なスイミングフォームで。川べりに上がった時、見守っていた私は迂闊にも拍手しちゃました。感動で泣いている婦警もいました。彼女は彼をパトカーに乗せる時、『水を飲んでいるでしょう。腹痛に気をつけて』と優しく声かけたりなんかして。でも振り返ると、ふつーにむかつきますわ。忙しいのに手間増やしやがって。野次馬のせいで、交通整理も大変だったし。競技メダルを肩にかけるように、モンゴリアンチョップをかましたれば良かったですわ」

 だあははははははははは、はあと笑う。おおさか市での勤務が長い、ベテラン警察官の弁だった。目の下に隈があって、だいぶ疲れて見えた。

 ある国のトップなどは恩赦を出し過ぎて、大勢の凶悪犯が野に放たれたそうだ。それでも、支持率は全く動かなかった。だいぶ支持率が低かったこともあるが、世が記念年に浮かれていたからだろう。


 しかし、地球の過熱ぶりに反して俺はとても冷静だった。

 なぜなら、ここは月だから。月の地下住居で暮らしているから。今、月暦二百五年という中途半端な年だし、地球が三千年をむかえるなんてニュースホログラムを見ても、実感が湧かない。

 火星に住んでいる同胞なんて、もっと冷めているだろう。地球のニュースなんて見てもいないかもしれない。あそこは人類が移住して三十年も経っていないのだ。三千年の歴史なんて想像もできまい。

 そう。

 地球は人口爆発と、それによる食糧難によって大勢の人は住めなくなった。それを予期していた政府と科学者は、月と火星に人々の住まいを用意したのだ。ひどく困難な道のりだったという。

 初めは、月に取り掛かった。

 もちろん大気がないから窒息する。それをクリアしても、宇宙線が直接降り注ぐ。その量は地球上の自然放射線の数百倍で、体内細胞があっという間に破壊される。しかも、昼百度の灼熱で、夜はマイナス百七十度の氷点下。寒暖差がなんと二百七十度もあるという、生物は住めやしない環境だ。保護スーツなしでは即死である。

 普通ならあきらめるだろう。ところがどっこい。人類のしぶとさを舐めちゃいけない。モグラのように月の地面を掘削しだして、地下世界を作り出したんだ。

 有害物質を除去するフィルターを搭載した酸素供給機。月の氷を採取し、水を作りだしてくるロボット。昼の太陽光からエネルギーを貯めて、夜に温風として放出するシステムなど。先人たちの努力と英知のおかげで、俺たち月星人は地下で生きている。レゴリスという土を固めて作った家で生活できているのだ。

 

とはいえ、月に移住が始まった頃は皆いやいやだったそうだ。国から補助がでて生活できるとはいうものの、未開の地だし、どんな危険が生じるかも分からない。だから、政府は地道に月の整備をPRし続けた。住居の保証や、月での収入は非課税であることも確約。ようやく、一部の人と変わり者が重い腰をあげた。

 そして、その波が大きくなるように──いっそ月に行くか。人生しんどいのは変わらんし勢が誕生したのである。それが俺のひいひいひいひいじいちゃんだ。

 月生まれ、月育ちの俺はここでの生活に文句はない。火星行き宇宙船のエンジニアとして生活費は稼げているし、趣味の旅行もできている。恋人はいないが、そのうち出会いがあるだろう。そう思いながら生きてきた。しかし……最近ひとつだけ不満ができた。

 【食事】である。

 月の料理といえば、

・根を肥料の溶け込んだ培養液にひたし、LED照明で成長させた植物のサラダ。

・小指サイズのフリーズドライ食品。ぱさぱさした食感で歯ごたえはないが、一つ食べるだけで一日満腹になれる。

・デザートに最適な月住虫の密煮。

・ペースト状をした栄養素を機械で化合させ、地球の蕎麦の形を真似た〝偽蕎麦〟。それから〝偽うどん〟

 この辺りが有名だろう。

月に観光で来た地球人や火星人は、どれかを口にしたことがあるに違いない。

でも、俺は以前から名物を食べた時の彼らの顔が気に入らなかった。どいつもこいつも咀嚼しながら苦笑い。「どうも、口に合わないようでして」と食事をやめる奴もいた。拷問をうけているかのように苦悶の表情を浮かべる奴も。なんでやねん、不味ないやろ! そう思っていた。


 しかし先日、地球を旅行した時のこと。

 観光地の建物や絶景、美術館などには興味がなかった。月の地下住居には、それらを真似て作ったものがあるから。モンサンミッシェル、自由の女神、ピラミッドだってある。芸術作品でいえば、ピカソの絵やロダンの彫刻を3Dプリンターで模したものもある。だから自分が楽しみだったのは、食事だ。

 他の惑星からきた人々が月の飯を食う際、苦虫を嚙み潰したようになる理由を知りたかった。

向かったのは二ホンの蕎麦屋だ。店の名前? 何だったけな。地球の店名って覚えづらいから。でも、地球界で一番人気だと思う。チェーン店というのか、数が多いらしいからね。

 俺は意気揚々と店に入り、長髪の女店員に「この店で一番、蕎麦の味を堪能できるものを」と注文した。首をかしげる店員は「温かいざるそばでいいか?」と尋ねてきたが、よく分からない。しかし地球人に舐められて、ぼったくられても困るので「当然だ、それが一番だろう」と食通の紳士然として言った。

彼女に金を渡して、受付で待つ。しばらくすると、髪をなびかせた彼女がトレイを渡してきた。俺は飛び跳ねるようにどんぶりに向かい、卓上の箸を手にとる。湯気のたつ淡い茶色をしたつゆへ箸をいれ、蕎麦をつかむ。醤油の甘い香りがただよう。そして、麺をずるずると音を立ててすする!

 さあ、偽蕎麦とどう違うんだ。本物の味を見せてみろ! と思いながら。

 温かい蕎麦を嚥下すると、出汁の利いた蕎麦つゆの味が口内に残る。月のぼそぼそした麺と違い、嚙み心地が良い。シャキシャキとした葱も新鮮だ。──信じられない信じられない。美味すぎる。俺の舌は歓喜で踊ったよ。

 これに比べたら、月の食べ物なんて石だ。もしくは砂。今までは何でも食べられればいい。食には興味がない人間だったけど、これで価値観が一変しちゃった。

 帰宅しても蕎麦のことが頭から離れない。それからは地球旅行のために働いて貯金をする日々。どんなに無理しても、あの蕎麦のことを考えたら耐えられた。極上の地球料理をまた味わうんだと。だから、月生活での唯一の不満は食事ってわけさ。

 

ようやく金が溜まったから明日、地球に行ってくる。また蕎麦を手繰ってこようと思う。なんでも地球では今、生卵を上に乗せた〝月見蕎麦〟というものが販売しているらしい。月の住人が、月を模した料理を食べるなんて洒落ているじゃないか。口にする瞬間を想像すると涎がでてくる。楽しみでたまらないぜ。



 月から地球への旅は一日かかった。朝一の便に乗ったけど、到着したのは深夜だ。くたくたになった俺は、ホテルの心地よいシャワーを浴びた。そして、ベッドに横わたる。宇宙の闇に吸い込まれるように、意識がフェイドアウトしていった。

 ぐっすり眠っていたところ、目を覚ませたのはカーテンを閉め忘れたためだ。危なかった。下手をしたら一日、泥のように寝っているところだ。時計をみると地球時間で十時半。

 ホテルの送迎車に揺られて、繁華街へ。車から降ろされると、レーザーのような日差しが俺を突き刺してくる。二ホンの九月の気候は五十五℃くらい。非常に暑いと『宇宙の歩き方』に書いてあったから準備は万端。通気性のよい月仕様の半そでシャツと半ズボンで来た。地球人ならば、服を着ないで歩いているような感覚だろう。


 サングラスを装着して、蕎麦屋の自動扉の前に立つ。わきには食品のショーケースがあり、月見蕎麦があることを確認できた。

 店内に入り、受付の前に行く。

「◎△$♪×¥〇、&×¥□&%#?」

 店員が何を言ってるか分からずパニックになるが、すぐに思いあたる。うっかりして翻訳機を装着していなかったのだ。俺はバッグから装置を取りだし、右耳につける。すると目の前の地球人が、注文を尋ねているのだと分かった。月で何度も脳内で反芻していた料理の名前を口にする。

「月見蕎麦をいただこう」

 二人掛けのテーブルで座って待っていると、すぐに自分の料理がやってきた。俺はモス(月住獣)が獲物に飛びかかるが如く、どんぶりへ箸を突っこむ。大口を開けて蕎麦を食べ始める。

 口腔内に幸福感が溢れてきた。うまああっ。

 前回はどんぶり内に蕎麦しか入っていなかったのだが、今回は月見だ。中央に黄色い生卵がうかび、てかてかと輝いている。ほうれん草と海苔、カマボコまである。(この辺りの食材は『宇宙の歩き方』を読んで勉強済みだ! 完璧なガイドブックだぜ)。

波紋のようにつゆの味わいが舌に伝わる。深みのある香りが、体に充満していく。咀嚼するとぽつぽつ切れる蕎麦を味わった後、生卵に箸をいれる。水面に映る月が滲むように、卵がつゆ上にとろりと広がった。蕎麦をすすると、それが絡まって……何ともまろやかな口当たり。カマボコの弾力性のある歯ごたえも堪らない。


 食べ終わって息をついて、呆然とする。──美味しかった。身体も温まったし、腹の底から幸せだ。月の住人から言わせてもらえば、月見フードは最高だ! 二ホンの明治時代からの食べ物だから、西暦三千年の今まで、千年以上続いた理由が分かる。

 水を飲んでガイドブックを読み、弾む心が落ちつくまで時間を過ごす。

しかし、しばらくして俺は体の異常に気がついた。

 体が震えているのだ、食への感動によってではなく。体調不良でもない……寒い! とにかく、無茶苦茶に寒い。外が暑いのは分かっていたので、通気性の良い月の服を着てきたが、店内がこれほど凍えるとは。マイナス百七十度になる夜の月表面にやってきたかのよう。蕎麦の温かさは、もはや宇宙の果てに飛んでいった。歯をガチガチ鳴らし、両手を交差させる。腕をさすって摩擦熱で耐える。

 店内をぐるりと見渡して分かった。上空のどこからか、冷たい風が吹いているのだ。先ほどまで歩いていた外の陽射しが懐かしい。外気が暑い分、冷房装置を強力に稼働させているのだろうが、寒いにもほどがある。慣れているのか地球人は平然としているが、俺たち月の住民は地下で始終、適温で過ごしているのだ。暑さ寒さには耐性がない。どんどん体が冷えていく。さっさと外に出れば解決するが、追加で何か食べたいと思う。店にはまだいたいのだが……。

 窮すれば通ず。俺はトイレで暖を取るという作戦を思いついた。流石にそこには冷風装置を入れていまい。すぐに手洗いに駆け込み、個室の扉を開けて便器に座りこんだ。思った通り暖かい。ほうっ、とひと息つく。しばらくここにいよう。

 安堵したこともあってか、俺はまどろみ始めた。──これが大失敗の始まりだった。翻訳機が起動して、地球人たちの会話がぼんやり聞こえてきたのは覚えている。

「よーし。今日はこれで仕事終わりだ。久美ちゃんの結婚式、楽しみだなあ」

「店長が昼過ぎに店を閉めるなんて珍しいですね」

「それだけ彼女の門出を祝いたいんだよ。バイトリーダーとして頑張ってくれたからさあ」

「明日の朝当番は若林くんでしたっけ」

「そうだ。トイレの扉も鍵をかけ忘れるなよ。さあ行くぞ」


 こうして、俺はトイレに閉じ込められたんだ。

 夏のくそ暑い地球の、せまく臭う部屋にね。そりゃあ恨んだよ。客がまだ残っているのに鍵をかけるかね、普通。こんなことになるのならば、ツアー旅行にすればよかった。誰にも助けをお願いできない。月の涼やかな服も空しく、滝のような汗をかく。喉も乾くし、頭がくらくらしてきた。

十数時間がたったころ。夜になり少し温度が下がったが、干物になるような思いだ。心細くもなってきた。月の住人が別の惑星で独りぼっち。帰りたい。体内の水分がなくなるというのに、涙がでてくる。

 だが時間が過ぎると、窓から(小さすぎてここからは抜け出せなかった)陽が差してきた。希望の光だ。朝当番の店員が鍵を開けてくれる。俺はトイレの入口前で、扉が開くのを待ちわびていた。

 そして、鍵がカチャリと開く音がした。待ち構えていた俺は、気力を振りしぼり脱兎のごとく飛びでる。顔には真っすぐ、涙の乾いた跡が残っていた。ひどい顔だと思う。店員の不審者を見るような視線が痛かったが、店の外へ。

 もう地球はこりごりだ。



 無事に月に帰れた今、俺は味気ない料理を作っている。茶、白のペースト栄養素を3Ⅾプリンターに入れ、できあがる偽蕎麦を。機械がガタガタと物悲しく揺れ、作り上げられるまがい物を。出来上がった麺につゆをいれて、モス(月住獣)の卵をぽちょりと落とす。

 あーあ。月の住人だから、リアル月見なんて地表にでていくらでもできるのに……本物の月見蕎麦が恋しい。欲求は高まるばかり。このままだとトイレでの苦しみを忘れた頃、また地球行きのチケットを買うかもしれない。


 ──結局、人は食欲には抗えないのだ。

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偽蕎麦 うたかた @vianutakata

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