魔女のジュジュ
うたかた
第1話
ジュジュは長命の魔女であった。
祖母は三千寿のお祝いまで生き、翌月にぽっくり亡くなったし、母親は短命だったが、それでも二千寿は祝っていた。だからジュジュも二千年以上は当然、生きるだろう。
また、ジュジュは優秀な魔女でもあった。世の理をおぼえて因果律も把握し、大体の魔法も唱えられる。動物たちの言語を何種類も学び、最も難解といわれるクジラ語をマスターしていたのだ。まだ三百寿を祝ったばかりだというのに。
当然、周囲の魔女たちは騒いだ。たった三百歳の生娘が、長年生きた魔女の英知を上回ったのだから。神童あらわる! と魔法界に激震が走った。しかし彼女の態度は冷淡なものだった。世間が熱を持つのと反比例して、しらけてしまったのである。魔女の大学や研究室で学ぶ事柄はすべて把握したように思う。
だが、分からないこともあった。
ジュジュは幼いころ、夏休みの課題で【人間の観察日記】を書いたが、人というものが因果律に当てはまらない時があると気づいたのだ。千里眼で行動を見ていると、理解不能な動きがしばしばあった。
例えば、農民の男が恋人へのプレゼントを買う為にあくせく働く。教会の神父が、自分も食べていないのに飢えた者にパンを与える。山賊に襲われた家族の父が、命を賭して母子を逃がす。
これらは一体なぜ起きるのだろうか?
農民の男はプレゼントを買う金で、美味い飯を食べて酒を飲めば幸せだろう。神父もまず自分が腹を満たすべきだ。山賊に殺された父親に関しては、本当に意味が分からない。命を無くしてしまったら、何も残らないのだし。人間の命は沈む夕陽のように短い。大切に生きるべきではないか。
まず、生き物はすべからく自身のことを一番に考えるもの。二番にしてしまうと混乱が生じる。因果律もおかしくなり、予想できる未来が捻じ曲がる。魔女の世界ではそういったことはなかった。合理的に考えて行動している。
いくら勉強しても、それは分からなかった。初めは驚いたが(何かの間違いだろう)と捉えた。しかし、度々起こる。そんなはずはないと腹立たしく思うが、次第に胸のうちに好奇心が沸き上がってきた。作家だった祖母の本に『私が惹かれるのは理路整然とした美しさではない。混乱。推測不可なカオスだ』とあったが、それが分かるような気がする。
そうして、ジュジュはホウキにまたがり、魔女の森からはるか遠くの人間の村まで来たのである。事前に父には旅行にいくと告げたが、返ってきた言葉は「そうか」の一言で、「気を付けろよ」や「いつ帰ってくるんだ?」ではなかったけれども。
二
初めに訪れた場所では、彼女は歓迎されなかった。
ホウキで飛んで数時間。日が暮れて視界が暗くなってきて、ゴイサギにぶつかりそうに。ジュジュは大声で文句を言われた。鳥語を理解できないふりで、やり過ごそうとする。だが、続いて梟とアブラコウモリに両端を挟まれ、『鳥類飛行法の違反だ』と苦情を受けた。『私は鳥類ではない』と反論したものの、『なおさら駄目だ』とコウモリが超音波でキーキー言うので、仕方なしに村に着陸した。
ジュジュはホウキを脇に抱えて、きょろきょろと周囲を見渡す。酒場からの葡萄酒と温かい肉料理の匂いが、彼女の鼻孔をくすぐった。そういえば飛行に集中していて、朝から何も口に入れていない。そう思うとぐうっ、と腹が鳴る。
ジュジュはふらふらと酒場の重いドアを開いて、入っていった。簡単な魔法を見せてやれば、手品師と勘違いして食事をもらえるかもしれない。
飲み屋は洞穴のような形をしていた。
両壁に数台の燭台が等間隔で飾られ、柔らかなオレンジの明かりがほのかに室内を照らす。狭い部屋に人がひしめき合い、大声で笑って杯をかわしていた。奥では吟遊詩人がリュートを奏でている。指で弦を弾いて歌うのは、高貴な女性への憧れの詩だ。
ジュジュは食卓に並ぶパンと、レンズ豆のスープを横目に中央カウンターにいる店長に話しかけに行こうとした。すると、坊主頭の体格のいい男にぶつかった。男が笑いながら大きく後ろに反り返ったため、避けきれなかったのだ。
ジュジュは「ごめんなさい」と謝り、先へ進もうとする。だが、左手首をつかまれた。
「おい、姉ちゃん。こっちはコップ半分のエールをこぼしているんだぜ。ごめんの一言だけじゃすまないだろ」
見ると、坊主の男は茹でダコのように顔を赤くしていた。一緒に丸卓を囲んでいた男たちがなだめるものの、その言葉に余計に興奮していく。ジュジュの手首を強くつかむ。電流のような痛みが走った。
いつの間にか、奥にいた吟遊詩人の歌声は止んでいた。彼はリュートを爪弾く指を止め、青い顔でこちらに視線を寄せている。
ジュジュは酒臭い息を吐く男の顔を見つめ、無念に思った。もう人間界の観光は終わりなのだろうか。少なくとも別の村に行かねばなるまい。冷静に『男の太い首をねじ切る魔法』か『心臓を破裂させる魔法』のどちらがいいかを考える。後者の方が、まだ周囲に迷惑をかけない。そう判断してぶつぶつ呪文を唱えはじめると、二人のあいだに少年が割って入った。ジュジュの手首をつかむ坊主男の手が離れていく。
「なんだ、ピートじゃねえか。話し合いの場に割り込んでくるんじゃねえ」
「見ていたけど、おじさんも悪いじゃないか。この人が進んでいったところに急に反り返ったりするから」
「馬鹿いうな。オレが悪い訳がないだろう! ふざけるんじゃない」
坊主頭が太い腕を振りかぶって、ピートと呼ばれた少年の顔を殴りつけた。
少年は後ろに転がり、木の樽が重なっている場所へ背中をしたたかに打ちつけた。ガラガラと木がぶつかる音が鳴り、長身のマスターがやってきた。
「また、あんたか。ここで暴れるなら二度と来るな、といったはずだぞ」
「なんだマスターまで被害者を責めるっていうのか。どうなっているんだ、この店は。料理だって塩気が足りないし。満足した試しがないぞ」
「いや、つけを払ってからでかい顔をしてもらおうじゃないか! うちの店が気に入らないんなら今すぐに帰れ」
店長は男を睨みつけて怒鳴った。ふんっ、と鼻を鳴らして坊主頭はコップの残りを飲み干す。足を踏み鳴らし、店を出ていく。その後を気まずそうに、二人の仲間が追いかけていった。
ジュジュは転んだ少年の手をとり、起き上がらせる。マスターが声をかけてきた。
「いやあ、ピートとお嬢さん。申し訳なかったな。あいつも普段、悪い奴じゃないんだが……酒を飲むと気が大きくなっちまうのかな」
そう済まなそうに言って、ジュジュにカウンターの席をすすめた。気分を悪くさせてしまったお詫びに一品食事をだす、と言い添えて。若い魔女は小さくうなずいた。卓を囲む仲間のもとへ戻っていくピートの横顔を眺める。
ロウソクの明かりで、少年はオレンジ色に輝いていた。なぜ何の得にもならないのに、私をかばったのだろう。殴られた頬は数日痛むだろうに、どうして満足そうな表情なのだろう。不思議に思った。
しばらくして提供されたレンズ豆のスープを口に入れながらも、答えはでなかった。問いかけるように何度かピートへ視線を走らせたが、やはり分からないまま。
すっかり夜が帳を降ろし、窓の外は暗くなった。その分、店内の明かりが強まったようにジュジュは感じる。吟遊詩人が騒動で白けた場を取り持つように、陽気に歌う。木の床を靴で鳴らし、軽やかにリュートを奏でた。一音ごとに心が躍るような音だった。
三
ジュジュはピートを観察対象に決めて、この村に滞在することにした。
住まいは村の奥にある廃屋だ。ボロボロな天井と壁の木材を魔法で蘇生させ、雨風をしのいだ。時折、市場にでて薬草を売り、その金で食料を買う。薬草は人々によく効くと評判だ。回復魔法をかけた品物なので当然ではあるが。
帰り道にピートの働く姿をのぞく。
彼は川に道路橋をつくる仕事をしていた。ジュジュは酒場で助けてもらった礼を言い、会話をする間柄になっていた。
「向こうの岸まで橋を渡すだなんて、気が遠くなるような作業ね」
「そうだね。まず川に柱を何本も突き立てて、六角形の土台をつくる。次にそこまで木製の橋を作って、上にしっかりとした石材のアーチを作るんだ。これを何度も繰り返して橋を伸ばしていくわけだから……先は長いよね。十年はかかる。いや途中で洪水とかあったら台無しになっちゃうし、もっとかかっちゃうかな」
陽光のしたでピートは朗らかに笑うが、ジュジュは工期の長さに驚いていた。(人の寿命は病気で亡くなれば三十年、長くとも五十年程度だ。半生を物づくりにかけるというのか)。目を丸くする彼女へ言い訳をするように、ピートは口を開いた。
「でも向こう岸には違う村があるからね。橋が出来さえすれば、簡単に交流ができる。こちらでは買えないものも手に入れられるし。急病人が医師に診てもらえるかも。商売人が山越えで賊に遭わずともすむ。船で渡るより安全だ。皆のためになるんだよ」
それでも、私はあなたに危険な作業をして欲しくないわ。その言葉を飲みこんで、ジュジュはピートを見つめるのだった。彼の目線はまっすぐ向こう岸へ伸びていた。
落ち葉のしたの昆虫を探すコマドリたちが、首をもたげてチチチッと鳴く。その鳴き声は『魔女が恋をしているね』という内容だったので、ジュジュの頬は少し朱に染まった。
四
橋の完成には結局、十五年かかった。着工したころは十代半ばだったピートは、もう大人だ。ジュジュは足しげく橋のたもとに通い、彼の仕事の休憩時間に食事をつまんで話をした。
前日にライ麦パンをこしらえて、庭でなった果物をもぎり、塩漬けにした魚を準備するのはわくわくしたし、彼と一緒にそれを食べるのは楽しかった。太陽の光をまばらに反射して、揺れる川面も美しい。
何度かピートの恋心を感じる時もあった。会話中にじっと瞳を見られたり、夏祭りに誘われたり、川辺で手を重ねられたり。しかしその度にジュジュは視線を逸らし、手を引っ込め、曖昧に笑うなどした。
所詮、魔女と人間である。生き物としての物差しが違う。心を通わせることができても、添い遂げられはしないのだ。現に、出会ったころと容貌が変わらないジュジュに対して、ピートは背が伸び逞しくなった。腕や脚も太くなり、顔つきも大人に。今や少女と、大人の男性のような違いがある。彼が老人になるころ、ジュジュはようやく人間の世界でいう二十代の外見となるだろう。
だから、ジュジュはピートのことを諦めていたはずだった。
だが、ある日のランチで彼から「結婚することになった」と言われたとき、彼女は目の前が真っ暗になるように感じた。「おめでとう」と返すものの、言葉少なになる。高山に来たように、息が苦しく会話をしづらい。
相手は橋の向こうの村出身の娘だそうだ。橋が完成しなければ二人は出会っていなかったのではないだろうか、とジュジュは思った。ピートと同じくらいの年齢の女性なのだろう。出会うにしてもその娘がまだ子供だったら、結婚することはなかっただろうに。そっと自身の手の甲に目をやる。つるりとしていて小さく、まだ幼さが残る手だ。急に、食事がのどを通らなくなり、ピートに謝って席をたった。
帰宅した後もジュジュは、胸がチクチクと痛んで締め付けられるようだった。悪い魔法にかかったかのようだ。体調が悪いのかもしれないとベッドで横になる。その夜は闇が濃くなっていくばかりで、なかなか眠りにつけなかった。
五
それから二十数年がたち、村は老朽化した聖堂を建て替え始めた。ベテランの作業員であるピートが工事を仕切り、ピートの長男も作業を手伝う。寄付もあまり集まらず、少数で行っているため、長丁場となりそうだ。それでも基礎は出来上がっており、ピートたちは張り切って作業をしていた。
ある日の夕方、石材を運んでいたピートが胸を押さえて倒れた。慌てた長男はジュジュの住む小屋へやってきた。この頃のジュジュは薬草を売るのみならず、病んだ人々の治療も行っていたから。そして、何より彼女はピートの子供たちの面倒をよく見ており、頼りになる叔母のようだったからである。
「ソフィアはお湯と布を用意してくれる? 治療するから、皆はちょっと部屋からでて行ってね」
ジュジュが彼の妻と、子供らに声をかける。皆が部屋からいなくなると、ベッドに横たわるピートを眺めた。細かいしわが刻み込まれた、ごわごわとした手を握って魔法をつぶやく。精神力を使う魔法を何度も唱える。だが、もはや死をともなう病なのだろう。根本的な治癒には至らないのが分かる。冷たい死は海の引き潮のように後退していくが、じわじわと満ちてきていずれピートを連れ去るだろう。ジュジュの頬に涙が伝う。
「治らないんだろ、自分の体だから良く分かる」
「馬鹿、ずっと人のために無理しているからよ。私は……あなたに自分の体を一番にして欲しかった……」
「なあに。人が交流できる大きな橋だってかけたし、心の平穏のための聖堂だってできあがる。いい人生だったと思うよ」
「聖堂だって完成したときに、あなたがいなかったら意味がないじゃない」
「そんなことはないさ。うちの子供が日曜日に通うだろうし、娘なんかあそこで式を挙げるかもしれんぞ」
笑顔を浮かべるピートに、ジュジュは大きく息を吸い込んで、ゆっくりという。
「ねえ。私を二番目の妻としない?」
ピートは彼女が何を言ったのか理解できず、瞬きをした。
「実は私、魔女なのよ。『ジュジュを二番目の妻とする』って言うだけでいい。契約となるのだから。言葉だけのことよ。私の眷属となれば、人にかけることが許されていない魔法を使える。あなたの体の老化を遅くできるの。今からでも、十年は生きていられると思う。そうすれば聖堂の完成も見届けられるじゃない。孫だって抱きしめられるかも」
ピートは真剣なまなざしを投げかけてくる、ジュジュを見つめ返す。
「ふふ、俺はもう爺さんだぞ。妻にだなんて。君も冗談を言うんだな。それに、この国は多妻制じゃないんだぜ」
「知っているけど、魔女だから人間の法律には縛られないわよ。……お爺ちゃんになっても私は振られちゃうのね」
「君が魔女だってのは知っているよ。いつまでも若々しいし綺麗だからな。しかし、なんで村にこようなんて思ったんだい?」
「……人間が自分のことを二の次にして、損をすることが理解できなくて、それを学びにきたのよ。あなたを見ていて分かったわ。別に悲しいことじゃないのね、とても幸せそうだったもの。でも、私には出来そうもないわ」
「いやいや、君はもう立派にできているじゃないか。このちっぽけな村がいつまでも平和で戦火を免れているのはなぜか。君が村の入り口にゴーレムを置いているからだろう。それも十数体。魔法で作った彼らが、火種を持った他国の兵士をせき止めている。あれだけのゴーレムに、長く命を吹き込むのは相当な力を使うことだろう。薬草を売ったり、治癒の魔法をしてくれるのもそうだ。君のおかげで、どれだけの人が穏やかに日々を過ごせていることか」
二人は強く抱きしめあった。ジュジュは家族を呼びもどし、持ってきた薬をありたけ置いて去っていく。それからも、聖堂の工事現場でピートの長男から様子を聞き、ことあるごとに治癒の魔法をかけにいった。
*
聖堂が出来あがったのは、ピートが亡くなって数か月後のことだった。
ジュジュはピートの妻と長男たちと一緒に、祝いの会に参加した。雲一つない青空のしたで完成した聖堂を見上げる。
大きな町にあるような立派な大聖堂ではない。荘厳さも迫力もない。だが、丸みのある外壁はクリーム色で、光を優しく受けとめている。暖色の多いステンドグラスは、内部を賑やかにするだろう。大きな扉は、多くの人を迎え入れるためだろう。ピートとその子供らが建築に力を注いだのが分かる、思いやりのある聖堂だった。
爽やかな風がジュジュの頬を撫でていく。
明日ピートの墓にお別れを言いにいこう。そして、埃だらけとなったホウキを引っ張りだし、魔女の森に帰ろう。そうジュジュは思った。
ゴーン、と聖堂の鐘が高らかに鳴り、村全体へ響いていった。
魔女のジュジュ うたかた @vianutakata
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