感動を再び! アダルトランド
うたかた
第1話
「最近、同期の結婚が多いんだよ。このままだと借金をして、ご祝儀を作らないと。お前、人の不幸のうえに成りたつ幸せってどう思う?」
田口淳史は休憩室で苦笑いをしながら、後輩にこぼした。テーブル一つと長椅子二台の狭い室内には、田口と後輩しかいない。
田口は午後、眠くならないよう飲んでいた缶コーヒーを卓に置く。小さく液体の揺れる音がした。海苔弁当をつつく手を止めた後輩が、返事をする。
「幸せなんて人の不幸と比べて思う事なんじゃないですか。宝くじで十万円当たっても、ご近所全員が七億当たっていたら幸せだと感じます? 大概が外れているなかで、幾らかもらえるから幸せだと思うわけで。だから不幸がないと幸せもないのかと……そういえば、田口係長って三十歳丁度でしたっけ?」
「来年の二月には三十になる」
それを聞いた彼は、割り箸の先端を田口に向けて
「それですよ。特に女性が多い気がしますけど、みんな三十歳目前に結婚に踏み切るんです。数字の問題です」
と指摘した。
「そういうもんか。じゃあ俺も結婚して祝儀をもらわないと、割に合わないな」
「だったら、先輩。まず彼女を作りましょう」
「残業だらけの毎日でどう作るっていうんだ」
田口が後輩を恨めしそうに見ると、満面の笑顔が返ってきた。
「仕事はほどほどにして、合コンにいきましょう! 最近、近くの居酒屋で看護師の友達ができたんです。そのつてで女の子を呼ぶことはできます」
「まじかよ。社会人って新しい友人はできないものかと思っていた。やるじゃないか。どうやって仲良くなったんだ」
興奮気味に田口が後輩に尋ねると、彼は親指を立ててウィンクをしてみせた。午前中は他部署からの苦情など腹立たしい事があったが、これが一番ムカつくな、と田口は思った。
「カウンターで酔いつぶれていたら、いつの間にか奥の座敷で寝かされていたんです。起きたら三人の美女が、僕の顔をのぞきこんでいて。『ああここが天国か。今まで真面目に生きてきたからなあ』ってつぶやいたら、視界に店長の怒った顔がぬっと出てきました。あれは一気に酔いが醒めたなあ」
「迷惑な客オブ・ザ・イヤーだ。救急車呼ばれる寸前じゃないか。看護師さん達がいてくれて良かった」
非常識な人間でも、仕事はできる部下だ。田口はほっと胸をなでおろす。
「お陰様で天使のような看護師に知り合えたので、結果オーライっす。昨日も『その後体調はいかがですか?』って連絡をしてくれて」
「医療関係者が病人のその後を気にかけているだけじゃ……」
後輩は即座に反論する。
「いやいや、また会いたいという意味ですから。女心の分からないお方だな。でも、日本酒を飲んで気持ちよく亡くなるのと、身も心もぼろぼろになって過労死を迎える。どっちが幸せだと思います? 断然、酒のほうが幸せでしょう。命をかける程のものではないんですよ、仕事なんかっ」
「それ、先輩にいう?」
無駄話をたたいていたら昼休みが終わった。二人はエアコンの暖房と室内灯を消して、休憩室を後にする。
2
総務課に戻るや否や、課長の伊藤紗英から𠮟責が飛んできた。
「二人とも部屋に戻る時間がぎりぎりじゃない。午後の始業時間、五分前には戻ってきてもらわないと。休憩時間といえどもクライエントから急ぎの問い合わせは来るんですからね」
田口と後輩は謝罪の言葉を返して、着席する。後輩が「明日までに作成しないといけない、見積書があった。頑張らないと」と独りごとを言う。
――意外にこいつにもプレッシャーがあるのかも、と田口は思った。
伊藤課長は三ヶ月前に来たばかりだったが、あっという間に業務把握をした切れ者だ。今では課員の稟議書にも鋭い指摘をする。
仕事ができるのであれば大歓迎だし、慌ただしい総務課としてもありがたい。だが、この新課長は舌鋒が鋭く、仕事への理想が高すぎた。マイペースな後輩ですら圧力を感じるほど、課内には緊張感が充満していた。
「なんでこんなこともできないの? アルバイトだったら分かるけど、社員なんだから頭を使って仕事をして」
「先方から見積書の積算根拠を問われたら、田口さん説明できますか。できませんよね。係長は役職手当もでているんです。責任を持った仕事をしてください」
自身に投げられた言葉も、反芻すると頭に血が昇る。
田口にとって初めての女性課長というのも戸惑うし、彼女が三十代前半で歳が近いことも気に入らない。なぜ二つほど年上の人間にここまで偉そうにされないといけないのか。そこまで徹底してすべてに完璧を求める必要はないんだ、と言ってやりたい。
休憩室での後輩との話を思い出して、溜息をつく。
(俺も二十九歳だ。人は三十を前に結婚を考えるが、仕事も考える。このままでいいのか。三十を過ぎると求人枠も減るだろうし、転職するならラストチャンスじゃないか。直属の上司があれではやっていられない)
伊藤課長が田口の席、正面にある印刷機へコピーを取りに来た。
紺のジャケットは彼女の姿勢の良さを際立たせ、パンツスタイルのボトムスは長い脚を強調する。端正な目鼻立ち。普通にしていれば男性人気は高いだろう。
ただ、化粧は壊滅的に下手らしい。というのも、田口が家に持ち帰った社内広報誌。それを読んだ妹が、課長の写真をぼろかすに言っていたからだ。
「うわ、顔面の偏差値が高っ。誰これ……でもファンデの色選びを間違えているから、化粧が濃くみえる。勿体ない。アイシャドウの乗せ方も下手だから、目が小さい」
そのほかにもチークがどうたら。魔法使いの呪文のようで、田口には全ては覚えられなかったが。
課長席の内線が鳴った。コピー機前にいる伊藤課長の代わりに、後輩が電話を取る。
通話対応をした彼は受話器を置いて、彼女に伝えた。
「森山部長からでした。田口係長と一緒に部長室に来てくれとのことです」
後輩の目は好奇心でらんらんと輝いていた。
3
週末の朝。田口は軽装をして、成田空港近くの駅前にいた。
これから森山部長が車で迎えに来てくれるそうだ。遅刻しないように早めの電車に乗って、時間が余った。手持ち無沙汰な田口は先日、部長室へ呼び出されたことを思いだす。
「今週の日曜日に三人で遊びに行こうよ」
恵比須顔をした森山太志が、伊藤課長と田口に言った。面食らった田口は課長の方に顔を向けるが、伊藤は黙って頷いている。
「部長、親睦会なら平日の仕事終わりでいいじゃないですか」
「いや、食事じゃなくて遊びだから。嫌なのぉ?」
当たり前でしょ、何でそりの合わない上司と休日まで一緒に過ごさないといけないんだ。その言葉が喉まで出る。
「はいはい。分かりました。じゃあ僕が取っ払いで三万円だしちゃう」
それだけあったら結婚式の祝儀一回分だ、田口は呆気にとられる。本革仕立ての高級椅子がきしむ音をたて、部長が立ち上がった。年齢に不釣り合いな黒々とした髪から、整髪料の匂いが漂う。
「よろしくね」と田口に肩をたたき、紙切れを渡す。黒い背景に【アダルトランド】という桃色の文字のみが浮かんでいるカード。裏面にはボールペンで、待ち合わせ時間と場所が記入されていた。森山は伊藤課長の肩も叩いて、同じくカードを渡す。
堅物の課長が、この怪しげな誘いに一つも文句を言わないとは。田口は以前、後輩から聞いた話を思い出す。『部長と伊藤課長はかつて同じ課にいたんです。怪しげな店に一緒に通っているとか。デキているという噂なんですよー』
そこに部長あての長電話がかかってきて、質問をできず仕舞いで課に戻った。
車のクラクションが響いて、田口の傍にドイツ車がきた。後部座席のウィンドウが開き、部長の丸顔がのぞく。奥には伊藤課長がいた。
「おはようっ。田口君は助手席に座りなよ」
部長が明るい声をあげる。運転手が降りてきて、フロントドアを田口のために開けた。田口が乗りこむと音もなく扉を閉める。無駄のない美しい所作だった。
車で揺られること十数分。ドイツ車は千葉の山道を、強力な馬力で登っていく。わずかに空いたウィンドウから、早朝の涼やかな空気が車内に流れこんでくる。
田口はルームミラーで伊藤課長をこっそりと確認した。たまに部長の世間話に相槌を打ち、落ち着いた様子をしている。
景色が開けた場所についたと思ったら、巨大な平屋が現れた。意匠など気にせず機能性だけ考えて造ったような、無骨な建物。駐車場に車を置き、三人は建物入口に向かう。
店前には黒地のマットが置かれていた。田口はそこに書かれた【アダルトランド】の文字を、力強く踏みしめて入店した。
4
慣れた様子で受付を終えた森山部長が、二人に巾着袋を渡した。
「なかにある服に着替えたらここに集合ねっ」
伊藤課長は袋を受けとり、足早に女子更衣室に向かう。田口はおずおずと男子更衣室に行く。ロッカー前で着替えようと袋を開け、仰天した。思わず叫びそうになる。
「部長、これって小学生の体操服じゃないですか。しかも半袖、半ズボン。ご丁寧に田口って名札もついている……」
「えっ、田口くん。それはそうでしょ。これから童心を取り戻すため、遊びに遊ぶんだから。敷地は広いし室外もある。ザリガニ釣りや泥遊びで、服が汚れたら嫌でしょ」
「ここって遊び場なんですか」
「そう。鬼ごっこ、かくれんぼ、何でもありだよ。ネバーランドが子供の国だったら、ここアダルトランドは大人の国なんだ。大人が世間体を気にせず、素顔の自分で遊びまわれる最高の場所。さあ青春をやりなおそう。感動を再び! アダルトランド」
そう言って部長は帽子を取る紳士のように、かつらを外した。腹部を締めつけるベルトを取る。自由になった腹がばるんと歓喜の産声をあげた。
「それから僕のことはここでは森山君と呼ぶんだよ。課長は、伊藤さん。もしくは紗英だから、さっちゃんだ。役職名で呼ぶなんてことをしたら、賞与査定でマイナスだからねー」
白目を剥いた田口は、残った理性の力でかろうじて頷く。呆然としながら、男子更衣室から出ていく。そこにはブルマ姿の伊藤課長。いや、さっちゃんが二人を待っていた。
「新人の田口君に、僕がランドを案内しよう」
浮かれてスキップをふむ重役が、後輩たちを先導する。田口は化粧を落としている伊藤の横顔に視線を吸い寄せられた。メイクがなくとも綺麗だ、と思った。
「ねえ、上着からお腹が出てるよ」
廊下を進む部長に、伊藤が遠慮がちにささやく。確かに体操着のサイズがあっておらず太鼓腹が丸出しだ。腹に生えた毛もひどく見苦しい。
「ダイエットしてもお腹がへこまないんだ」
「風紀委員長に見つかったら、また大変だよ」
その忠告に、部長の顔から血の気が引いた。伊藤が田口の方を振り返り、説明をする。
「風紀委員長はランドを練り歩きながら、利用者の髪形や服装の乱れなどを取り締まっているの。正体は有名なハードロックバンドのボーカリスト。世界ツアーのホテルで椅子やTVを窓から放り投げたり、国ごとに愛人を作ったり、酔っぱらって暴力沙汰を起こしたり。無茶苦茶やっていたら全てに刺激を感じなくなったんだって」
伊藤の説明に、部長が付け加えをする。
「奴は昔ロックに感じたような情熱を思い出そうと、アダルトランドにやってきた。でもどの遊びも味気ない。ゾンビのようにランドを徘徊していると、係員のスカートめくりをする男を見つけたんだ。正義感がむくむくと起き上がり、叱り飛ばした。その時、今までにない快感が全身を走ったそうだ。そして奴は他人に規律を守らせるのを生きがいにする変態野郎になったってわけ。僕なんか初対面で『わいせつ物陳列罪!』って叫ばれて、腹毛をむしられたんだから。トラウマだよ」
部長が体を震わせる。三人で廊下を歩き続けると【合唱部】と書かれた部屋前で、森山君は足を止めた。
扉の窓から室内をのぞく。伊藤が後ろからそれに加わった。
「今日もあさみちゃんがいるぅ。見るだけで元気をもらえるなあ」
「森山君、あさみちゃんのことを好きだものね。一度話をかけたらいいのに」
「さっちゃんやめろよ。あの子は天使だから、下界の住人が話しかけていい存在じゃない。僕は見守っているだけでいいの」
田口は朱が差した部長の頬にゾッとしながら、窓をのぞき見る。するとテレビでおなじみの女子アナウンサーの顔があった。彼女が歌を好きで、合唱団に入りたかったと雑誌のインタビューに答えていたことを思い出す。
「ここがランドで一番人気のあるドッチボール場だよ」
部長が自慢げに、体育館の入り口で両手を広げる。真新しい褐色の床。天井の高い広々としたコートに、ボールをはじく音が反響している。
三人でキャッチボールをしていた内の一人が、田口たちに声をかけてきた。タンクトップを着た筋肉質な好青年だが、背負っている漆黒のランドセルが狂気を物語っていた。
「三対三で勝負しませんか」
「いいよっ。チーム決めはどうしようか?」
部長がこちらに相談もせず、気持ちのいいくらいに即答をする。男は品川商事の営業、大崎と名乗った。
「公平にじゃんけんでどうです?」
「分かった。そちらの提案どおりでいいよ」
そして、部長はあっさりじゃんけんに負けた。大崎の人差し指が伊藤をさそうとした時、部長は疾風のごときスピードで寝転ぶ。
「やだやだやだ。さっちゃんは僕のチームじゃなきゃ、嫌だ―」
重役が床で手足をばたつかせる。体育館に、赤ん坊のような躊躇ない泣き声が響きわたった。
み、醜い。この人はあと数年で還暦を迎えて、定年退職じゃなかったか。今、この瞬間の部長は三国一、格好悪い。こんな醜態を大衆の面前で恥ずかしげもなくさらせるなんて、なんという胆力だろう。田口は感覚がおかしくなったのか、もはや感心した。
ドン引きした品川商事の大崎が、
「分かった。試合が進まないし、その子はそっちのチームでいいよ」
と大人の対応を見せると、部長はぴたりと泣き止む。
(噓泣きかよ)
あきれ果てる田口をよそに、試合が始まった。
相手チームのボールからで、まず田口が狙われた。真っすぐ投げられたボールを田口はよけ続けるが、コート外になったボールはその度、敵チームに戻っていく。
田口がくたくたになると、相手は足元を狙ってきた。それもよけると、自軍コートでボールが跳ねあがった。
そのボールを部長ががっちりと抱える。ボールに右腕を回しながら、田口を見据えてゆっくりと口を開いた。ドスの効いた地下から湧き上がるような低い声。
「逃げてんじゃねえぞ、田口ぃ。仕事じゃねえんだ、真面目にやれ! 業務なんかは嫌々やるもんだ。勤務歴三十数年の俺には、骨身に染みている。朝、会社のビルに足を踏みいれるのさえ、心が悲鳴をあげるよ。皆そうなんだ。だからドッチボール、子供の遊びは真剣にやろうぜ……楽しいことを一生懸命にできねえ奴が、仕事なんかできるもんかよ!」
雄たけびをあげた部長が、コートの端から助走をつけて飛翔する。修羅のような燃える眼差しに、たなびく僅かな髪の毛。丸々としたその姿は、田口には太陽のように眩かった。
これが部長の真実の姿――そうか。俺たちは、頭に葉っぱを乗せた狸のように、化けて働いている。部長はカツラと柔和な笑顔を身につけ、伊藤課長は分厚い化粧を仮面にしているんだ。皆、自分の本心と折り合いをつけながら、社会の荒波に揉まれている。
俺が逃げるように会社から転職したら、そこに幸せはあるのか。否。俺も戦わないといけない!
森山部長の腕から稲妻のようなボールが、敵コートへ落とされる。一人の足に当たり、跳ね返ってもう一人の腰をかすった。
「ダ、ダブルプレーだとっ。おっさん、やるじゃないか。それじゃあこっちも本気を出させてもらうぜ」
コートをでていく仲間に一瞥もくれず、大崎は背負っているランドセルから両腕を引き抜いた。床に落ちたランドセルが、大きな衝撃音を立てる。
「まさか、これを外す日がこようとはな。背中を痛めてプロのドッチボーラーを断念した俺が、リハビリ時代から背負ってきた相棒だ。五教科全ての教科書とノート、筆箱に下敷きを詰めていた。今の俺は三倍の速度で動けるぜ」
大崎はボールを拾って部長を探すが、見当たらない。好敵手は床にうずくまっていた。
「痛いー。足をくじいた。スタッフさん、医務室に連れてってぇ」
試合は一時中止となった。
係員がどちらかに走っていき、しばらくして担架が運ばれてきた。二人がかりで部長を連れていく準備をする。
「これは、森山君の弔い合戦よ。絶対に勝ちましょう」
怒りのあまりさっちゃんの唇がわなないている。
しかし田口は、担架に乗せられた部長の「医務室の先生、可愛いんだよなあ」という小声を聞き逃さなかった。
「弔いって……死んでないし。なんか大丈夫そうですよ」
「そんなわけないでしょ。森山君は額から脂汗をかいているじゃない」
担架のたわんだシートから、部長が伊藤に話しかける。
「僕のことは気にしないで二人で協力して勝つんだ。品川商事に一泡吹かせてやってくれ」
「森山君。私、頑張るからね」
「ちなみに伊藤ちゃん。君は新しい部署に異動したばかりで気を張っているけど、肩の力を抜きなさい。周りを信用して、厳しい指導はほどほどに。完全無欠な人なんていないんだからね」
部長の言葉に伊藤は一瞬、虚を突かれたような表情をしたが、大きく頷いた。
田口と伊藤がコートに戻り、試合が再開された。こちらは部長が離脱して、むこうは二人がアウトになっている。二対一。
開始早々、大崎が矢のようなボールを投げてきた。もう俺は逃げないぞ、と田口は手を構えたがボールの位置が上だった。このままだと顔に当たる。
顔面にぶつかるのは可哀そうだから、セーフというルールがなかったか? どうだっただろう。田口はボールを掴めず、歯を食いしばる。
その時、彼の眼前に白魚のような指が飛び出た。「痛っ」と叫んだ伊藤の手をはじいて、ボールは転がっていく。
――あの課長が俺を守ってくれた。
田口の心に火がついた。コート外に出ようとするボールを、駆け寄って拾う。「うおおっ」と怒鳴り声をあげて、全力で敵に投げつけた。勢い余ったボールは、田口の手からすっぽ抜けた。山なりの優雅なボールが相手へ飛んでいく。
「ふっ、笑止」
大崎は両腕を突き上げ、上空からのボールをとらえようとする。
だが、三倍速になったドッチボーラーの動作は想定より早かった。田口の緩やかな球に合わせられずにボールは指先で弾かれ、無情にも落下していく。
大崎が膝から崩れ落ちると同時に、試合終了の笛が鳴った。
飛び跳ねて喜ぶ伊藤を見て、思わぬ勝利に興奮した田口は思わず口をすべらせる。(古来より勝利に酔う男はうかつな真似をするものだ)
「伊藤課長の素顔、とても素敵です」
「ありがとう……でも森山君から『ここで役職名を言ったらペナルティだ』って言われていない? 残念だけど賞与査定はマイナスにさせてもらうわ」
さっちゃんはにこやかに微笑んだ。
5
翌日の昼休み、田口は海苔弁当を休憩室に持ち込んだ。
後輩がテーブルに突っ伏している。面倒くさそうだから放っておいて、弁当をかきこみはじめる。すると、顔をあげた後輩が話しかけてきた。
「田口さん、聞いてくださいよ。週末に看護師の子とランチに行ったんです。終わった後に『楽しかったね、また食べにいこう』ってメッセージ送りました。そうしたら『話してみたら、思ってたんと違った』って返事がきて。それから音信不通になりました……ああ辛い。仕事に身が入らない」
田口は海苔弁当をつつく手を止め、後輩に体を向けた。
「今度、大人がストレスを解放できる場所を教えてやるよ。感動を再び! アダルトランド」
親指を立て、ウィンクをしてみせる。
後輩は、今日の午前中は腹立たしい業務が多かったが、これが一番ムカつく。そう思った。
感動を再び! アダルトランド うたかた @vianutakata
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