パンデミックに代わりまして、代打ダンジョン
ハリボーグ
第1話 2020年 パンデミックは来なかった。
俺の前世は、どこにでもいる平凡な大学生だった。
単位を気にし、バイトに明け暮れ、サークルの飲み会では馬鹿騒ぎをする。社会人になるなぁと漠然と思いながら就活の準備をする。そんなモラトリアムを謳歌していた記憶がある。
死因はよく覚えていない。気付いたときには、俺はこの世界でオギャーと泣いていた。
いわゆる「転生」というやつだ。
ただ、神様とやらも少しケチらしい。俺には「鑑定スキル」もなければ「ステータス画面」も見えない。あるのは、前世のあやふやな記憶だけ。
どの株が上がるか大体は分かるが、何月何日なんて詳細なチャートは覚えていないし、数年分の有馬記念の結果も知らない。
だが、新聞を読んでいなかった学生でも、ぼんやりとした「時代の流れ」だけは頭に残っていた。
だから俺は、勝負に出た。
今でも覚えている。2014年、あの大手仮想通貨取引所が破綻した「マウントゴックス事件」。世間が「ビットコインは終わった」「詐欺だ」と騒ぎ立てていた頃だ。
当時、小学生だった俺は、お年玉を全額突っ込んだ。
「下がり時は買い時と言うが……理屈は合ってるけど、これはなぁ……」
親には呆れられた。だが、俺の記憶にある「未来」では、仮想通貨は終わっていなかった。むしろ、そこからが始まりだったはずだ。
あれから数年。
高校2年生になった俺の証券口座には、同年代が見たら卒倒するような数字が並んでいる。
数千万円。
億万長者とまではいかないが、田舎で質素に暮らせば少しの労働と配当金で食っていける額。いわゆる「セミFIRE」を達成できる金額だ。
順風満帆だった。
このまま適当な大学に進学し、適当なホワイト企業に就職し、嫌になったらこの隠し資産で早期リタイアする。そんな舐め腐った人生設計を立てていた。
――あの日までは。
2019年、12月31日。大晦日
部活もなく冬休みに入っている俺は、暖房の効いた自室で、背筋が凍るような感覚を味わっていた。
「……ない。なんでだ?」
スマホの検索窓に『中国』『肺炎』『SARS』と打ち込む。
だが、出てくるのは春節の旅行客予測や、タピオカブームの残り香のような記事ばかり。
俺の記憶が正しければ、この時期にはもう、世界を揺るがすパンデミックの予兆がニュースになっているはずだ。
史実と違う。
俺がこの世界に存在することで生じたバタフライエフェクトか?
いや、たかだか日本のガキ一人が小銭を稼いだくらいで、ウイルスの発生自体が消滅するわけがない。
もっと根本的な、何かが狂っている感覚。
俺は震える指で、証券アプリを開いた。
『余力(現金):¥48,300,000』
ポジションは一つもない。昨日の12月30日、大納会のタイミングですべて決済済みだ。
予定では、年明けからのパンデミックによる大暴落を見越し、2月あたりからこの資金で全力の「空売り」を仕掛けるつもりだった。
だが、暴落の材料であるウイルス騒ぎが見当たらない。
史実がズレている今、俺の「あやふやな未来知識」はゴミ屑になったかもしれない。
「……ま、いっか」
俺はスマホを閉じた。
先の見えない状況で株を持っていなくてよかった、と思うことにした。
得体の知れない不安は消えなかったが、約5000万円の数字を見て無理やり安心し、その日は眠りについた。
そして、運命の2020年、1月1日。
リビングには、のんきな正月ムードが漂っていた。
「ほら、雑煮の餅、何個にする?」
「ダブルで」
母さんの声に生返事をしながら、俺はテレビを眺めていた。
画面には「ニューイヤー駅伝」の中継。群馬の上州路を、ランナーたちが駆け抜けていく。
平和だ。あまりにも平和すぎる。
俺は立ち上がり、壁掛け時計を見た。
「あんた、お友達と待ち合わせ9時やろ? 遅れるんちゃうの?」
「ああ、LINEはしてるよ……そろそろ行く」
時刻は8時59分50秒。
そろぼち9時か……寄り付きィイイイ。
ふと、そんなどうでもいい投資家の性が頭をよぎった瞬間だった。
秒針が、カチリと音を立てて12を指す。
ドォォォォォォォンッ!!
直後、世界が悲鳴を上げた。
地震ではない。地底の底から、あるいは空の彼方から、巨大な質量が無理やり空間をこじ開けて侵入してきたような、腹に響く重低音。
窓ガラスがビリビリと震え、食器棚の皿が音を立てる。
「な、なんだ!? 地震か!?」
親父が叫びながら、玄関へと走る。
建物の歪みでドアが開かなくなるのを防ぐため、脱出経路を確保しに行ったのだ。
だが、俺はテレビ画面から目を離せなかった。
『あっと!? コース上に……黒い影!? 巨大な……塔です! 空から巨大な塔が突き刺さってきました!!』
アナウンサーの絶叫。
中継カメラが捉えたのは、アスファルトを突き破り、天を衝くようにそびえ立つ「黒いゲート」だった。
ランナーたちが足を止め、呆然とそれを見上げている。
その異質な黒色は、俺のよく知るゲームやラノベに出てくるアレそのものだった。
「……ふ、ふぁ……ファンタジー……」
俺の口から、間の抜けた単語が漏れる。
ウイルスによるステイホームはキャンセルだ。マスクもワクチンもいらない。
代わりに始まったのは、剣と魔法とステータスの時代。おそらく。
どうやら世界は、パンデミックホラーではなく、ローファンタジーを選んだらしい。
混乱する家族を尻目に、俺はスマホを握りしめ、上着を掴んだ。
「どこ行くの! 危ないわよ!」
「ちょっと待ち合わせの時間だから!」
「来るわけないでしょ!!」
母さんの正論をフル無視して、俺は家を飛び出す。
目指すは、近所の公園。
窓から見えた。あそこにも、そこそこ大きな「ゲート」が生えている。
メタ的に何かしらの情報を得られるはず。
誰よりも早く、情報を掴む。
誰よりも早く、あのゲートに触れる。
ポケットの中のスマホには、約5000万円の軍資金が入った証券アプリ。
体は、サッカー部で鍛えられた身体。
準備は上出来だ。
「スタートダッシュできんじゃん!」
1月の冷たい風を切り裂いて、俺は走り出した。
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