第4話 高校1年生、6月④

朝の教室は、いつもより少しざわついていた。


担任である俺は教壇に立ち、軽く咳払いをする。


それだけで空気がすっと静まった。




「まず、この間の件についてだが」


クラス全員の視線が佐伯に集まる。


「結論から言う。今回の件は事務の処理ミスだった」


一瞬の間が開いて、教室にざわめきが走る。


横に視線を送ると、そこには見慣れた事務員が立っている。


「こちらの確認不足で、誤った処理をしてしまいました。佐伯くんが会費を盗んだ事実はありません」


その言葉で、張り詰めていた空気が一気にほどける。




「なんだよ勘違いかよ」


「よかったじゃん佐伯」


「マジで事務のミスだったのか」


小さな声があちこちで上がる。


それの様子を見て、ホッと息をつく。


ーーそして、同時に思い出す。


昨日の放課後の事を。






「忍び込みました」




夕方、職員室に尋ねてきた更階直人は、驚くほどあっさりとそう言った。


「事務室にです。窓から」


思わず言葉を失った。


叱るより先に、何を言えばいいのか分からなかった。


更階は淡々と説明を続ける。


「この書類の高島産業からの入金は現金じゃありません。預金への入金予定といった内容です」


事務員が処理した入金は、実際にまだ入ってないお金。


佐伯が持ってきた会費の金額と同額だった事で差異のあった現金分と勘違いし、同じ科目で処理をしている。


「だから帳簿上は合っているように見えた。でも実際はズレてる。これがお金が無くなったように見える原因です」




「……更階」


「お前、自分が何をしたのか、わかっているか」




「はい」


更階は即答した。


「悪い事だと思ってます」


「忍び込んで調べた事は完全にアウトです」


少しだけ間を置いて、それでも目を逸らさずに続けた。


「罰があるなら受けます」


「それでも……俺は」




「正しい事をしたと思ってます」




その言葉に思わず息をつく。


「……まったく」


額に手を当てて、深くため息をつく。


「わかった」


短く、そう言った。


教師としては、褒めていい行動じゃない。


見過ごしていいはずもない。




それでも。


目の前の生徒が、誰かの為に覚悟を決めた事だけは、はっきりと伝わってきていた。




担任の説明が終わり事務員が教室を出ていくと、ざわついていた空気は次第に落ち着いていった。


「よかったな佐伯」


「冤罪じゃん」


そんな声も聞こえる。


それで、全部終わったような顔をしているやつもいた。




「……ちょっと待ってくれ」




俺の声が教室に響いた。


自分でも少し大きすぎたかなと思う。


でも止められなかった。




「まだ、この問題は終わってない」




担任含めてクラス全員の視線が一斉に集まった。


俺は一度、深く息を吸ってから続ける。


「確かに問題は解決した」


「佐伯は盗んでいない、それはもうはっきりした」


俺は佐伯の方を見る。


佐伯は不安そうな顔をして俺を見ていた。


「でも、それで全部チャラって話じゃないだろ」




教室がシン……と静まる。




「決めつけられた」


「疑われた」


「盗んだって言われた」




一つひとつ言葉を置くように続ける。


「それで傷つかないわけがない」


「なかった事にしていいはずがない」




俺はクラス全体を見渡した。


「頼む」


「佐伯に、ちゃんと謝ってほしい」




誰も口を開かなかった。


視線を戻すと、佐伯はぎゅっと唇を噛んでいた。


その肩がわずかに震える。




「疑われたって事実は消えない」


「だから--」


俺はもう一度言った。


「謝ってほしい」




沈黙のあと、教室の後ろで誰かが立ち上がった。




「……悪かった」


小さな声だった。


「正直、俺も疑ってた」


「ちゃんと話も聞かずに」


別の席からも声が上がる。


「ごめん、佐伯」


「俺もだ」


ぽつり、ぽつりと。


謝罪の言葉が広がっていく。




佐伯は俯いたままだった。


何度も、何度も拳を握りなおしている。




ぽた、と。


机の上に小さな雫が落ちた。


ほんの一滴。


でも、それが合図のようだった。


顔を上げようとして途中で堪え切れなかったように俯きなおす。


「……っ」


喉が詰まったような、声にならない声。


次々に雫が落ちる。


止めようとしているのがわかる。


必死に飲み込もうとしているもの。




でも




「……ごめ……」


その一言すら崩れる。




誰も何も言えなかった。


自分たちが言い放った言葉が、どれだけ佐伯の心に刺さっていたか。


その姿を見て、全員が理解したんだと思う。




その瞬間、胸の奥で何かがほどけた気がした。


ドッと椅子に腰かける。




……これでようやく。


本当に終わった気がした。

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