第十二章「床屋・神楽、包囲される」
一刀とセリーヌが王都を発って三日目。
「蒸野さん、大変です!」
ハジメが血相を変えて駆け込んできた。王宮の一角に設けられた「床屋・神楽・王都分室」——そこが、清浄師ギルドに包囲されていた。
「何事!」
蒸野は窓から外を見た。黒い法衣の集団が、建物を取り囲んでいる。その数、五十人以上。
「理容師殿はいるか!」
外から声がした。ギルドの使者だ。
「いない! 神楽さんは今、ここにはいません!」
「嘘を申すな! 出てこなければ、力ずくで——」
「嘘じゃない!」
蒸野は窓を開けた。
「神楽さんは旅に出た! いつ戻るかもわからない!」
使者たちがざわめいた。しばらく相談した後、再び声が上がった。
「ならば、その間、この建物を封鎖する! 理容師が戻るまで、誰も出入りを許さぬ!」
「そんな——」
「これはギルドの決定だ。従わぬ者は、王国法に基づき処罰する!」
窓が閉められた。蒸野とハジメは、顔を見合わせた。
「どうしましょう……」
「とりあえず、落ち着いて考えよう」
蒸野は深呼吸した。
建物内には、まだ施術を待っている客が十人ほどいた。彼らを帰すことはできない——外にはギルドの人間がいる。かといって、ここに閉じ込められたままでは——
「蒸野さん」
「なに」
「俺たちにできることって、何ですか」
ハジメは真剣な目で蒸野を見た。
「神楽さんがいなくても、俺たちだけでできること」
蒸野は考えた。
神楽一刀は、この場にいない。彼の技術、彼の知識、彼の判断力——すべてが欠けている。しかし——
「衛生管理」
「え?」
「神楽さんが教えてくれたこと。消毒の方法、手洗いの重要性、タオルの管理——それは、私たちにもできる」
「でも、施術は——」
「施術は、できない。免許がないから」
蒸野は窓の外を見た。
「でも、待っている人たちを『清潔』に保つことはできる。穢れの進行を遅らせることはできる」
「どうやって」
「手を洗わせる。髪を清潔に保つ方法を教える。蒸しタオルで穢れを浮かせる。シャンプーで洗い流す——カットとシェービング以外の部分なら、私たちにもできるはず」
ハジメの目が輝いた。
「俺も、手伝います」
「頼んだ。タオルの準備、消毒液の管理——ハジメくんの仕事は、神楽さんがいなくても変わらない」
「はい!」
二人は動き始めた。
待っている客たちに事情を説明し、協力を求めた。全員が頷いた。彼らは皆、穢れに苦しんできた者たちだ。ギルドに屈することは、彼らにとっても許せないことだった。
蒸野はシャンプーの準備を始めた。神楽一刀の監督下で何度も行ってきた作業だ。温度、手順、注意点——すべて体が覚えている。
「すみません、シャンプーさせてください」
「いいのか? お前は理容師じゃないんだろう?」
「髪を切ったり、髭を剃ったりはできません。でも、洗うことはできます。穢れを少しでも軽くできるなら——」
客は頷いた。
「頼む」
蒸野は湯を注ぎ、髪を濡らし、石鹸で泡立てた。指の腹で頭皮を揉む。神楽一刀の手つきを思い出しながら、できるだけ丁寧に。
「……気持ちいい」
客が呟いた。
「あったかい」
蒸野は泡を洗い流した。髪に絡まっていた黒い霧が、少し薄くなった気がした。
「ありがとう」
「いえ……私には、これくらいしかできないから」
一方、ハジメは蒸しタオルの準備に追われていた。
薪で湯を沸かし、タオルを浸し、絞り、スチーマーの代わりに蓋付きの鍋で蒸す。温度を確認し、客の顔に当てる。
「熱くないですか?」
「ちょうどいい……」
客の表情が和らいだ。蒸しタオルの温もりが、穢れで強張った筋肉をほぐしている。
「ありがとう……こんなに楽になったの、久しぶりだ……」
「よかった」
ハジメは次のタオルを準備した。
外では、ギルドの人間が見張りを続けていた。しかし、彼らは建物の中で何が起きているか、知らなかった。
包囲は五日間続いた。
食料は、夜中にこっそり抜け出した村人が運んでくれた。王宮内には、セリーヌの侍女たちが協力者として残っていた。彼女たちは、ギルドの目を盗んで物資を届けてくれた。
六日目の朝、状況が動いた。
「蒸野さん! 誰か来ます!」
ハジメが叫んだ。蒸野は窓から外を見た。
馬に乗った人影が、こちらに向かってくる。二人。その姿は——
「神楽さん……!」
神楽一刀とセリーヌだった。
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