第2章 裁きの刃 -脱出-
第1話 審問の布告〜忍び寄る影〜
その朝、塔の空気はいつもと違っていた。
湖から吹き上げる風が冷たく湿り
中庭の井戸の水面が、さざりと不穏に揺れている。
ノブレスは、その違和感を言葉にする前に感じ取っていた。
(門番どもがいつもより慌ただしい。
今日はこの監獄に誰かくるな)
理由は分からない。
だが、戦が始まる前の朝と、よく似た匂いがした。
それは婚姻の報せから、わずか数日後のことだった。
重い鉄靴の音が、塔の外から響いた。
ひとつ。
ふたつ。
いつもより、多い。
ミレイナが顔色を変える。
「……門番が、増えています」
南門の向こう、
二人だったはずの兵が四人に増え、
その後ろに――法衣の男が立っていた。
黒と白の織り混ざった法衣。
胸元には、旧教派の紋章。
ノブレスの背筋がわずかに伸びる。
(教会の使者)
エリシアも窓辺に立ち、息を呑んだ。
「……審問官」
ノブレスはその言葉に疑問を持った
(エリシアの異端審問は終わったはず)
その声は、震えてはいなかった。
だが、確信を帯びていた。
⸻
ドン、ドン、ドン!
無造作に扉が叩かれる。
審問官達は返事も待たず扉を開け、堂々と中へ踏み込んで来た。
「アルビオン王国第二王女
エリシア・レイヴンスフェル殿下」
低く、通る声。
「旧教会および王権代行の名において、
本日付であなたの異端審問を開始する」
ミレイナが思わず声を上げる
「そ、そんな……!
異端審問はこの塔に来る前に終わったはず…!
姫様はその時の約定を守り旧教の教義を欠かさず―」
「黙れ」
一言で切り捨てられた。
「これは“神の審問”である。」
「いくらあなたが異端を隠そうとも、神の目は欺けない。」
ノブレスの視線が、自然とエリシアへ向く。
彼女は、ゆっくりと息を吸い、吐いた。
「……理由をお聞かせください」
審問官は、書状を広げた。
封蝋には、アルビオン王国 旧教会本部の印。
ノブレスは眉を上げて印を見つめる
(教会の印…?)
審問官は
「罪状――
旧教会との約定違反・異端思想の隠匿・新教勢力との内通、扇動の疑い」
ミレイナが小さく声を漏らす。
「そんな……」
エリシアの指先が、わずかに震えた。
だが、顔は上げたままだ。
「異端の嫌疑の根拠は?」
ノブレスが突き返す
審問官は、淡々と言った。
「塔の報告書。これまで提出されてきた全てだ」
審問官の言葉に、
ミレイナの表情がくすみ、肩が震え、膝がわずかに強張った
(報告書が異端の根拠…)
ミレイナの機微をノブレスは見逃さなかった
審問官は、ノブレスを一瞥した。
「世話係ノブレス・オーダー」
「はい」
「これは貴様の報告を元に作成された物だな」
「はい、事実を報告、記入しております。
書ききれない出来事は割愛されておりますが」
「…これで十分だ」
審問官の口角が、わずかに上がる。
「断片である事が雄弁な告発となるのだ」
エリシアが、初めて声を荒げた。
「ノブレスは、私の指示に-!」
「殿下」
言い切る前にエリシアを
ノブレスは静かに制した。
そして一歩、前へ出る。
「審問官殿」
その声は、18歳のものではなかった。
「”神の裁き”とは、すでに結論があるものですか?」
審問官は答えない。
答えないことが、答えだった。
⸻
これは調査ではない。
結論は出ている。
支配は恐怖を必要とする。
恐怖は、見せしめを欲する。
そして――
見せしめに、王女ほど都合の良い存在はない。
やり方は理解できる。
信長自身かつて、見せしめとして切り捨てた部下がいた。その家臣の顔が浮かんだ。
忠義や真実は―必要ではなかった。
審問官が、背後の兵に命じた。
「数日中に、大陸の教皇庁より正式な判定が下されるだろう」
「許可を出すまでは、夜間の塔への人の出入りはすべて禁止とする」
「塔の入口付近、警備兵の配置も禁ずる、南門のみに配置せよ」
「もし抵抗があれば―異端として即時処刑」
鉄靴の音が、踵を返す。
扉が閉まる。
重く、逃げ道を断つように。
⸻
誰も何も喋り出そうとしない。
風の音だけが、塔を満たす。
ミレイナが、震える声で言った。
「……姫様……」
エリシアは、唇を噛みしめていた。
「……やはり、私の嫌疑は晴れなかった」
ノブレスは、窓の外を見つめ考えを述べる。
「今回の審問は王城とは別の力が動いている」
「審問は名目です」
ノブレスは振り返る。
その瞳に、迷いはなかった。
「本命は――排除だ」
エリシアの顔から、血の気が引いた。
だが、次の瞬間。
彼女は、まっすぐにノブレスを見た。
「……切り抜けられますか?」
ノブレスは、短く答えた。
「条件次第で」
その条件を、彼はまだ口にしなかった。
「それはどのような…?」
エリシアは質問したい気持ちを押し殺した。
-ここはすでに戦場なのだ
戦場では人に頼っている者から死んでしまう。
⸻
審問を終え、一息つく間も惜しむように太陽が沈んだ。
塔一階、中庭に面した回廊には松明がない。
月明かりだけが石床の縁を薄く撫で、湖から吹き上げる湿った風が、古い木材の隙間を鳴らしている。
(間違いなく、影の手は動く)
ノブレスは二人を呼び危険が差し迫っていることを告げた
「唐突な塔以外への出入り禁止、門番の配置、危険な兆候です」
エリシアも同じように感じ取っていた。
「はい、警備兵の怯えたような視線…」
「彼らはこちらには関与しない」
(気づいておったか)
「今夜、何が起きても不思議はありません」
(しかし…解せん)
ノブレスは自らの疑問を消化できず、壁際に置いた桶を、指先で軽く叩いた。
数日前に作り直した留め具が、鈍く短い音を返す。
誰が、何のために。
まだ断定はできない。
ノブレスは塔の入口から周囲を一瞥する。
その向こうは中庭、井戸、回廊の陰。
塔の背後は湖で切り立った崖だ。
来るならこのルートしか通れない。
「エリシア様、ミレイナさん」
「不審な音がしたら、必ず私の背後から離れないでください」
「今夜は皆、2階に」
「…はい」
返事は短い。
だが、その声には逃げがなかった。
⸻
真上に登った月を雲が隠した
今夜の一連を全て覆い隠すように
それは最初の兆し
空気が――
ほんのわずかに、沈んだ。
―ガラ
回廊の石畳が、かすかに音が鳴った。
ノブレス、エリシア、ミレイナは顔を見合わせた
(来る…)
一階の塔の扉の鍵が静かに開いた
ノブレスは暗闇の中、足音を数える
(一……二……)
訓練された忍び足は二人分。
一階の炊事場、食堂、浴室
順に人の気配を探っている
一階に誰もいない事を確認した後、階段へと歩を進める、階段に足を踏み入れた瞬間
バリッ!
床板が外れ、足首が沈んだ。
「なっ―」
予め腐った板に交換しておいた場所だ。
ノブレスは躊躇なく固定していた縄を放つ
調理場の石臼、縄で吊ってあったそれを、
階段の上からから振り落とす。
影の頭を直撃する、骨まで届いたにぶい音が響く。
そのまま
一人目の影が一階まで転がり落ち沈黙した
後ろに控えた二人目が体制を、整えるために階段から離れた。
ノブレスは間を与えない。
桶から液体を巻く
水――ではない。
浴場の薪の灰と炊事場の廃油を混ぜた物
月明かりが一瞬だけ、石床で跳ねた。
影の目に入り痛みが走る
呼吸が乱れる。
「滑――っ!」
影が姿勢を崩した瞬間、
ノブラントが飛び出した。
⸻
長めに仕上げた角材を影に鋭く突きつける
流れるように角材を回し、滑った足をさらに打ち付ける。
影は完全に倒れた。
ノブレスは休むことなく容赦なく打撃を加える。
「ひ、退くぞ!」
戦意を失う、
影の二人は互いを支え合うようにして中庭へと逃げる、ノブレスは追撃のため一歩踏み出す
その時
―バリンッ!
2階の窓が割れる
(何!!外から来た!?)
「キャー!」
ミレイナが叫ぶ。
ノブレスが一瞬気を取られた隙をみて
二人は塀から塔の外へと落ちのびる。
最後の一人が短剣を構え、2階の部屋に押し入る
エリシアは咄嗟に木剣を構え前に出る。
刃が月光を反射する
エリシアの喉が、小さく鳴った。
だが――
ほんの数秒その刃は、相手を定めるように揺れる。
揺れが止まり強く地面を踏み飛び掛かる
すんでのところで、ノブレスは壁際に立てかけてあった木枠を引き倒した。
木枠が影の進路を塞ぎ、刃の軌道が詰まる。
ノブレスは予め階段の脇に積み上げておいた
石を投げつける
狙いは足だ
動きを封じれば事足りる
一投、二投、三投、
石が壁に当たり、跳ね返り、床で砕ける。
割って削っておい石は鋭利、さしずめクナイや手裏剣のごとく、刺客の太ももや足首を切り裂いた
「グゥ!」
影は体制を崩して前のめりに倒れ込む。
ノブレスは躊躇がなかった、一歩踏み込み迷いなく相手の首筋を狙って尖ったその石で振り下ろす。
影の首筋を切り裂く寸前
「ダメッ!」
ノブレスはエリシアの叫ぶ声に瞬間的に反応
する。
ノブレスが止まった隙をついて
刺客は足を引き摺りながらも後退していく。
来た時よりも遥かに荒い動きで、窓から落ちて湖の闇に消えた。
⸻
静寂が流れた
残ったのは、息と、縄の軋みだけ。
エリシアは膝に手をつきながらも立っていた。
震えはある。
だが、倒れてはいない。
「……今のは……」
「前触れです」
ノブレスは即答した。
だが、言葉を切る。
ミレイナが呆然と立ち尽くしていた。
蒼白な顔で、こちらを見つめている。
(……おかしい)
刺客の一瞬の間
視線。
動線。
(エリシアではない……最初から、違う)
-狙いは
ノブレスの視線が、ミレイナに戻る。
(……なるほど、口封じか)
確証は、まだない。
エリシアが駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫ですか……!」
「怪我は?」
ノブレスは答える
「……ありません」
ノブレスは、闇の中で静かに息を吐く。
(刃は、王女ではなく――
“証言”に向けられていた)
夜は、まだ深い。
この時、すでに勝敗は――
静かに動き始めていた。
⸻
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