第5話 硝子の林檎
私、西野実菜には恋を募らせている相手がいた。それは、学校カースト最上位の男子、森田秀翔くんだ。同じクラスではあるけれど、世界が違う。
私は教室の隅で静かに過ごす、目立たないモブ女子。一方の秀翔くんは、いつもクラスの中心で、男女問わず人に囲まれて笑っている。整った顔立ち、明るい性格、運動も勉強もできる。誰もが認める“一軍”の存在だ。
今日も私は、教室の後ろから彼を見つめて、ひっそりため息をついた。
――どうせ、私なんかが話しかけられるわけない。
もっと可愛かったら。もっと自信があったら。そんな「もしも」を考えては、すぐに打ち消す毎日だった。
放課後、家に帰っても気持ちは晴れない。スマホで「おしゃれなカフェ」「丁寧な暮らし」なんて写真を眺めながら、私は深く息を吐いた。こんなキラキラした世界に、私が入れる日は来るのだろうか。
ある日、ちょっとこじゃれたカフェでクラス写真を見ながら深いため息をついていると、突然後ろから声をかけられた。
「おねーさん。何か悩み事?俺で良かったら話聞くよ。」
新手のナンパが私にも?!そう思って睨みつけるように振り向くと、高身長で、まるで一軍のイケメン男子のようないでたちの男が後ろに立っていた。
「その顔、恋愛がらみだな。なんかこじれてんの?」
そう言いながら、断りもなく隣に腰掛けてくる。距離が近い。戸惑いながらも、不思議と怖さはなかった。むしろ、安心する声色だった。
「どの子?どの子に恋してんの?」
ぐいぐいと聞かれ、なぜか私は、スマホの画面に映る秀翔くんの写真を指さしてしまった。
「へー。彼か。確かにかっこいいね。告白しないの?」
そう言われたから、首を振る。すると、意外そうな顔をされた。
「えぇっ。なんで?勿体ない。」
「だって、彼と釣り合うとは思えないもん。」
「君は自分に自信がないのか。」
正直に答えると、納得した表情を見せ、掌にずっしりと重い風呂敷を渡してくる。「これおまじない。想い人を思い浮かべながら食べると、恋が成就しやすいかも?」 「困ります!」
戸惑い、返そうと顔をあげた時には男性の姿は跡形もなく消えていた。
「持って帰ってきてしまった。」
その後、自分の部屋に帰り、風呂敷包みを開けると、中には月明かりに煌めく綺麗な硝子の林檎が入っていた。“想い人を思い浮かべながら食べると、恋が成就しやすい” 馬鹿みたい、そう思いながらも、胸の奥で期待が膨らむ。
私は目を閉じ、秀翔くんの笑顔を思い浮かべて、林檎にかじりついた。
ジュワッ、と果汁が溢れ、信じられないほどの甘さが口いっぱいに広がる。美味しい。怖いくらいに、美味しい。気づけば私は、硝子の林檎をすべて食べ終えていた。
翌日、内心ドキドキしながら学校に行くと、教室に入るなり、森田秀翔くんが私に声をかけてきた。周囲が一瞬、静まり返るのが分かる。今まで一度も、名前を呼ばれたことなんてなかったのに。
「おはよう。西野。今日も早いんだな。」
「オハヨウゴザイマス。森田君。急にどうしたの?」
いきなり話しかけられてしまったから、カタコトになってしまった。でも、いきなりすぎて驚いたんだから仕方ない。
「急じゃねぇよ。俺、西野と話してみたかったんだ。」
「そ、それは、オメデトウゴザイマス。」
話が噛み合っていないのは自分でも理解してる。だけどパニックになってるから仕方ないよね?
「ふはっ。なんだそれ、やっぱり西野は面白れぇな。」
秀翔くんの笑いに胸がきゅんとなる。クラスメイトたちの視線が、痛いほど突き刺さった。でも、嫌じゃなかった。むしろ、誇らしかった。こんな地味子な私が釣り合うわけない。そう思って、私の方が彼を避けてしまっていた。でも、これじゃあ秀翔くんに申し訳ないよね。それから、美容や服装を研究し始めた。みんながハマっているものをリサーチして、話の輪に入っていけるように頑張った。
「やっぱり西野って努力家なんだな。」
そう秀翔君に言われて、嬉しくなった。
数日後には、私たちは「付き合っている」ことになっていた。
誰もが羨む、カースト最上位の男子の彼女。それだけで、私の価値が上がった気がした。周囲の声も、「なんか雰囲気良いね。」「二人ってお似合いだと思わない?」などと肯定の越場が聞こえてくるようになった。
「その服、地味じゃない?俺の隣にいるんだからさ。」
「あ、うん。ごめんね。気を付ける。」
ある日、そう言われて、私はクローゼットを総入れ替えした。彼の好みに合わせて、髪型も、メイクも変えた。友人からに会ってないと言われても、耳を貸さなかった。
「実菜は、俺の言うこと聞いてくれるよね?」
その言葉を、私は“信頼”だと思った。選ばれた証だと、疑いもしなかった。
次第に、友達と話す時間が減っていく。
「変な噂立てられたら困るでしょ?」
そう言われると、反論できなかった。
――私は、秀翔くんの彼女なんだから。
気づけば、彼の予定が私の予定になっていた。彼の機嫌が、私の一日の良し悪しを決める。少しでも不安になると、頭の奥がじんわりと熱くなる。あの硝子の林檎の、甘い味が蘇る。
「俺の彼女なんだから、ちゃんとして。」
その言葉に、私は何度も頷き、謝罪した。自分の考えよりも、彼の言葉の方が正しい気がしたから。
鏡の前に立つと、そこには“私”がいない。いるのは、森田秀翔に選ばれた女子高校生という役割だけ。
――これが、幸せなんだよね?
心のどこかで、小さな声が問いかける。けれど、その声は、硝子が砕けるように、簡単に消えていった。
選ばれること。
それは、考えなくていいということ。
決めなくていいということ。
私は、そうやって、自分の意志を、ひとつずつ手放していった。
ある日、彼は突然、私を呼び出した。理由なんて、最初から決まっていたのだと思う。
「……やっぱりさ、お前ってつまらない。」
淡々と、興味を失った声。それだけ言って、彼は私に背を向けた。
頭が真っ白になった。私は、彼のために髪を変え、服を変え、考え方まで変えた彼に選ばれるために、彼の隣に立つために、自分のすべてを差し出したつもりだった。
「どうして……?」
喉まで言葉が出かかる。けれど、その問いに答える人は、もうどこにもいなかった。
気づけば、私は一人だった。教室でも、廊下でも、誰も私を見ていない。
“森田秀翔の彼女”という役割を失った私は、ただの透明な存在に戻っていた。
――ああ、そうか。私は、最初からここにいたのかもしれない。
そのときだった。
「……ふふ。今日も一個、溜まった。」
遠くから、その光景を見下ろす男がいた。
以前、カフェで会った、あの男だ。不気味な笑みを浮かべ、楽しそうに呟く。その笑い声は、周囲の空気をじわりと震わせるようだった。
「誰かのためだと思っていても、結局は自分のため。それを分かっていない人間ほど、見ていて面白い。」
男はそう言い残し、マントを翻す。次の瞬間、その姿は闇に溶けるように消えていた。
あとには、嘲るような笑い声だけが、いつまでも響いていた。
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