同じ部屋 昼は私で夜は君4~6【オリオンとサソリ】

4.


 残業になりがちな事務作業をかなり集中して終わらせて、金曜日の夕方に満白は定時でオフィスを出た。

 満白の勤務する【ホワイトバーバラ】は個人で業務を請け負ってそれをサポートし合うという体制であることもあり、それほどスタッフ同士の付き合いは深くない。なので珍しく定時ぴったりで打刻をしてオフィスを出ること自体に何かからかわれたり皮肉を言われたりということはなかった。

 刃境(はざかい)から指定された待ち合わせ場所は、今から十数年前に空港建設のための大規模都市開発が入った「天穹ベイエリア」の中にある商業地域の駅前である。

 満白は帰宅ラッシュが始まりかけのモノレールに滑り込み、湾岸方向に向か車窓の景色を眺めていた。

 湾岸の海を挟んだ向こう側で飛行機が飛んでいく明かりが見えて、満白はふと深玄のことを思い出した。時計を見るとまだ6時半を過ぎた頃。

「今頃、家で出勤の準備してる頃かな……」

 駅で乗客の流れが起きて、満白は出入り口近くの窓に半身を押し付けられる体勢になった。湾岸沿いには年々高層ビルが建築されており、暗くなってきた空をものともせずにぼんやりと町並み全体が光を放っている。一方で岸とは逆側の海へと目を移すとその先は吸い込まれるような暗闇が続いていく。飛び立った飛行機がその暗闇の中へ吸い込まれるように消えていくのを見送りながら、満白はこれから会う人のことを考えた。

 刃境からFuReCO(フレコ)のアカウントを教えてもらったので、早速その日の帰宅時に挨拶のメッセージを送ると数分で返事が戻ってきた。

「じゃ、今度の金曜日とかどう? ちょうど仕事が切れたところなの」

 思ったよりも早い誘いに一瞬だけたじろいだけれども、こういうことは誘われてすぐに最初の機会がないと今度今度で結局話自体がなかったことになるものだ。

「いいですよ。私ももう少ししたら繁忙期になりますから、ちょうどいいです」

「じゃ、決まりね。待ち合わせは……」

 こちらの返事がイエスであることを最初から予想していたかのように、刃境はスルスルとその先の予定を決めてくれた。満白の方から提案をしなくてよいのは楽は楽だが、あまりにも手際よく決めてくれるのでそれが「遊び慣れた人なんだろうな」という印象になっていた。

 そんなことを思っているうちに列車は目的地である<籠守ターミナル駅>に到着した。

 籠守ターミナルには<カゴモリシティテラスビル>という地上70階建てのランドマークがそびえ立っており、その周囲にさまざまなショッピングモールやイベント施設が立ち並んでいる。そのカゴモリシティテラスビルの連結通路の手前が指定された待ち合わせ場所だった。

「ごめんね。少し歩くけど、駅前とかビジョンの前ってものすごい人でしょ。人探しで時間をとるのも面倒だからさ。その連結通路の手前にロビーならソファとかあるし、案外人少ないからすぐに見つけられると思う」

 その誘い方からして既に慣れているなと思ってしまう。

 もしかして自分はとんでもない人と会おうとしているのではないか? という不安が今更になって湧き上がってくる。満白はその場所に着くとフレコに何かメッセージが来ていないかを確認した。

「あ! いたいた。日面さーん」

 本心を言えば、満白は「今日は都合が悪くなった、ごめんね」といったことが届いていてもいいと思ってしまっていた。それは刃境と会うことが嫌というのではなく、あまりにもうまく誘われすぎていてその流れに気持ちが怯んでしまっていたからだ。

 刃境との個人的な縁はあってほしかったけれども同時に近くなりすぎることを怖いとも思う。矛盾した二つの気持ちを同時に抱えてしまっている自分が自分でもよくわからなかった。

 だけどもそんな満白の不安すらも先に読んでいたかのように、刃境はすぐに連結通路の向こうから小走りに近づいてきた。

「来てくれて嬉しい。うーん、いつもはスタジオでだけ会ってるからこうして離れてから顔を見るとちょっと緊張しちゃうね」

「緊張って。刃境さんもそんなふうに思うんですか?」

「当たり前だよー。何日も前からすっごく楽しみにしてたんだからね」

 じゃ、さっそく行こうか。と楽しそうに刃境は歩き出した。慌てて満白がついていくと、自然に歩調を緩めて隣に並ぶようにしてくれた。

「あの、今日ってこれから行くところは……?」

「大丈夫。私の方から誘ったんだし、ちゃんとおすすめのお店を予約してるからね」

「えっ! でも刃境さんはお客さんですし、そういうわけには」

「待って待って。もしかして日面さん、今日の食事を私への接待のつもりで来てる?」

 場合によっては経費で請求する用意もしていた。満白はそれをはっきり言えずに口ごもると、もう、と刃境は振り向いて軽く二の腕のあたりをぽんぽんと叩いた。

「こうしようよ。今日はあくまでも友人として会ったんだから、お互いに名前で呼ぶことにしない? その方がお仕事と気持ちが分けられるでしょ」

「あ、はい。それじゃ……」

「満白」

 じっと目を見ながら言われて、満白はぐっとその場に立ち尽くした。そのまま刃境にクイクイと指先で促されて、軽く咳払いをしてから声に出す。

「実採取(みどる)さん。で、いいでしょうか」

「うん、まあ今はそれでよしとしようかな。じゃ、今度こそ行こう」

 一見親しく距離が近づいているような会話ではあるが、満白はやはり心のどこかで不安を感じてしまっていた。

 この流れるような誘い方や、言葉と態度でうまい具合に転がされている感じがなんとなくあまりにも都合が良すぎるのではないかというふうに思えるからだ。経験的に途中で何度かつまづきや引っ掛かりなどの小さなストレスを乗り越えながら親しくなっていくはずの関係なのに、全くトゲがない状態でスルスルと進んでいく勢いが不自然に感じられる。

 だけどもその違和感をうまく言語化して相手に伝えることもできず、満白はただ促されるままカゴモリシティテラスのビルに入った。

 廊下の突き当りまで歩き、刃境は慣れた様子で壁のボタンを押して振り返る。

「これで一気に展望エリアに行けるから」

 ほぼ待ち時間ゼロでエレベーターの扉は開き、乗り込むと同時に音もなく急上昇していった。


 朝まだき、深玄は挨拶をして空港ビルを出た。

 振り返ると早朝便が滑走路から飛び立つところで、早朝のひんやりとした空気を切り裂くかのようなジェット音が周囲に響き渡る。

 空港前のターミナルも複数のタクシーやバスが乗り入れを開始していて、深玄はお気に入りの朝の風景に一人微笑んだ。

 日の出まではあと一時間くらいだろうか。

 遠い水平線の向こうがほんのりとだけ明るくなり、街を紫とオレンジのシルエットが輪郭づくる。強烈な冷気が地面から放射されていた。

 深玄が空港の敷地を抜けてからスマホを取り出すと、そこにはメッセージが届いていた。

「お仕事お疲れ様。良かったら軽く朝飲みとかしていかない?」

 今日は深玄のバイトのシフトはない。一日休みとなっている。ミドリの連絡もそれをわかった上でのことだろう。

 これまでも同じシフトの大学生である水落流右(みずおち・りゅう)と帰りに軽く食べてから帰るということはあった。

 満白との貴重な朝の時間はなくなってしまうが、その分夕方に時間をとればいい。

 深玄はまだ眠っているだろう満白を起こさないようにメッセージを時間指定送信設定にして、帰りが遅くなることを伝えた。そして改めて届いた誘いに向き合う。

「いいですよ。どこに行けばいいですか?」

「よかった。じゃ、卯爪(うさづめ)駅まで出てこれる?」

 かつて下町であった再開発エリアを指定され、深玄はまだ人の流れも少なめな町並みを歩き地下鉄の改札につながる階段に向かった。

 以前ミドリが店に来たときに渡されたアカウント名を調べてみると、連絡用の鍵アカとなっていた。詳しいプロフィールなどはなかったが、口元を隠した写真は間違いなく本人のものだったので思い切ってDMをしてみた。

 それからはなんとなく他愛のない挨拶などが届くようになり、数度目のやりとりを経て今回が初めての具体的な誘いとなる。

 始発から数本目の列車の中には眠そうな会社員や学生、旅行者や登山者のような人たちがまばらに席に座っている。自分と同じように夜通し勤務をしていたのだろう、夜職らしいホストやホステスの姿もある。だらしなく座って口を開けて寝ている若い男性の側をすり抜け、深玄は路線図をチェックした。

 卯爪駅があるのは大規模な再開発により町全体が作り変えられた<重鐘(おもかね)商業エリア>である。埋め立てにより新しく作られた土地の<環天スカイウェイ国際空港>周辺とは対を成す。

 開発前までは古くからの住人が集まる商店街だったのだが、高齢化が進んだことで限界集落化しておりそれもついに限界を迎えたということで一気にスクラップ&ビルドがされたという経緯がある。

 一見すると最新設備の駅周辺に有名企業のオフィスビルや住商一体型の高層マンションなどが並ぶきらびやかな都会の主要都市のようではある。しかし元下町ということもあって再開発のスクラップを逃れた雑居ビル群に一歩踏み込むと、そこには昔ながらの立ち呑み屋や衛生的とはいい難い飲食店などが残されていたりもする。

 初めて二人で会う場所として果たしてどうなのだろう? とは思ったが、とりあえずは成り行きに任せようと深玄は何も聞かずにいることにした。シートに腰を下ろしてしばらく目を閉じていると、キキィーと鋭く車輪の摩擦音が足元から響き体を斜めに揺らした。

 駅前の待ち合わせ場所で久しぶりに会ったミドリは以前のような気合の入った服装ではなく、かなりカジュアルな雰囲気をしていた。肌質のわかるナチュラルメイクにTシャツとロングスカート、それに軽く羽織るように上着を肩からかけている。

 さり気なくつけている腕時計やピアスが相当に高価なものだとわかり、深玄はその緩急の差にまた感心ポイントを一つ増やした。

「おしゃれな店じゃなくてごめんね~。でもこの時間から飲めるところってあまり知らなくて」

 案内をされたのは予想をしていた通り下町の雰囲気を残す飲み屋街だった。高架下から続く狭い裏路地に面した半地下くらいに地面が低くなったところで、屋台風に軒先をせり出させた開放型カウンターの立ち飲み居酒屋だ。

「どう? 嫌ならどこかファミレスとかでも……」

「いえ。こういう場所には子供の時によく出入りをしていたので、ちょっと懐かしいです」

 深玄は無造作に店の隅に積み重ねられたビールの空き瓶が入れられたプラスチックケースを見ながら小学校時代に親の不在時に預けられていた親類の店のことを思い出していた。

 その返事に笑顔で頷くと、ミドリはのれんをかき分けるようにして入り店員の女性と二言三言を交わして深玄を奥の席へと引き入れた。

「じゃ、朝からかんぱーい」

「乾杯」

 ビールの中瓶を二人で分け合うようにしてお互いのグラスに注ぎ、軽くコツンと合わせて飲み始める。この時間から飲むのは初めてというわけではないはずなのに、その日は冷たいビールが喉を抜けたところでガツンと頭に響くような刺激があった。

「おいしい?」

「ええ。でも、やっぱり朝から飲むと効きますね」

「もしかしてあんまりお酒強い方じゃなかった?」

「ザルってわけではないですけど、そんなに弱くはないですよ。今日はちょっと仕事で疲れてるのかもしれません」

 二口目からはわりと普通に飲むことができた。

 ただ、カウンター席の真横で自分がアルコールを飲む様子を楽しそうに頬杖ついて見ているミドリの視線にはやはり気持ちを落ち着かなくされてしまう。

 お通しの酢の物と漬物をつまみながらちびちびと飲んでいると、ミドリはカウンターに肘を着いた姿勢でグラスを指先でぶら下げるようにゆらゆらとした。

「やっぱりいいな、ウラキさん」

「え? なんです? 急に」

「嫌だったら断ってもよかったのに。なんで来てくれたの? 疲れてるんじゃない?」

 これは「期待されている答え」のある質問だ、と深玄は思った。一呼吸置くためにグラスのビールを半分ほど飲み、それから数秒考えて口を開く。

「ミドリさんと親しくなるチャンスですからね。断れませんよ」

「それって、私に興味があるってこと? どういう意味で?」

 また少し考える。ここは慎重に進めなければいけないところだ。

「難しいですね。強いて言うなら、『あなたが何者か』っていうことになるかと」

 深玄が微笑むと、ミドリも微笑み返した。そして中瓶の中身を深玄のグラスに注いで空になったのを確認すると、お店の人にもう一本と注文をする。

「手強そうだとは思ったけど、やっぱり手強いな。ウラキさん」

「そうですか? 褒めてもらえたならお礼を言います」

「気に入っちゃった」

 届いた中瓶を深玄は受け取ると、それをミドリのグラスに注ぎ込む。ぐっと一気に半分くらいを飲み込んだ。深玄はこんなに上品にビールを煽り飲みができる人がいるのかとまた感心していた。

「私もウラキさんにもっと私のこと知ってもらいたいかも」

「教えてもらえます? 何でも聞きますよ」

「でも今日はまだちょっとだけ早いかな。次回、また会ってくれる?」

「ええ。仕事がない時であれば」

 そこでミドリは約一週間ほどあとの日付を指定し、深玄の予定を尋ねながら待ち合わせの場所と時間を決めた。今度は休みの日の午後からという予定になった。

「行き先は、今は聞かないほうがいいですか?」

「うん、できたらね。その方がちょっとしたサプライズになるから。大丈夫、おかしなところじゃないって」

「じゃ、その日を楽しみにしておきます」

 怪しげな自己啓発セミナーだとかマルチビジネスの説明会だとかの可能性もゼロではない。

 そうなったらそうなったときで逃げればいいか、と深玄は楽観的に考えることにした。同時に、興味を持ち始めたこのミドリという人にそんなガッカリするようなことはしないでもらいたいという願いもあった。


5.


 初めてのデートから今回で三回めになる。

 満白はだいぶ慣れてきたモノレールに乗り込むと、ほんのりと夕焼けの色を残す街の夜景を眺めた。

 二回目までのデート(デート、と二回目に刃境が表現した)では、湾岸エリアのレストランでカジュアル寄りのちょっとだけ贅沢な食事をするというルートだった。

「次のお出かけはちょっと別のところに付き合ってくれない?」

 前回の食事中に刃境がそんなことを言い出した。会話の流れとしてはお気に入りの本や映画について雑談をしていて、満白が学生時代にすごく影響を受けた物語について熱っぽく話をしたあとだったと思う。

「別のところって、映画とか舞台とかそういうイベントですか?」

「うーん。できたら当日に案内したいから、今はそんなに聞かないでもらいたいかな。でも映画みたいなものだと思って大丈夫」

 それ以上は聞けない雰囲気だったので、満白は空気を読んで別の話題を始めた。

 そしていよいよその三回目のデートの当日、直前になって満白は急にドキドキしてきた。

 二回目までの食事会でなんとなく刃境という人の性格のようなものはつかめてきた。非常に教養が深く、話がうまく、そして自分に強い自信を持っている。

 顧客として対応をしていたときから、とびぬけて美人でありスタイルがよいことは十分すぎるくらいに知っていたが、こうして親しくなって話をしているとそうした自分の長所を彼女ははっきりと自分で自覚をしていることがわかる。

 わかっているからこそ、余計な謙遜をしないし、自分の知識や持ち物をひけらかして虚勢を張るようなこともしない。褒め言葉は素直に受け止め、反論されても余裕のある受け答えをする。非の打ち所のない人物のように見せつつも、時折さらりと抜けたような隙を見せてこちらの緊張をほぐしてくる。

 きっと彼女と親しく話したことのある人は一時間と持たずに彼女を大親友や数十年前からの恋人のような距離感で心を開いてしまうんだろうな、と満白は思った。

「あ! いたいたー。満白、こっちこっち」

 まだ完全に慣れられない呼び捨てに満白は驚きながら振り向いた。指定駅である霧灯港駅は名前の通り港に近い海沿いにあり、駅前には大きな灯台のモニュメントが設置されている。声の主である刃境はちょうどその像の真後ろから駆け寄ってきていた。

「遅れてごめんね。待たせちゃった?」

「いえ。ついさっき到着したところです。実採取(みどる)さん、今日はお仕事大丈夫ですか?」

「二人の時は仕事のことは言わないの。じゃ、さっそくだけど行こうか。席の予約してあるから、遅れないようにしないと」

 ごく自然に刃境は満白の手を取って歩き出した。

 お互いにもう二十代も後半なのだし手を繋いで歩く姿が世間的に普通に見られはしないだろうに、全く気にしない様子で実採取はそのまま歩いていった。

 週末の人通りを抜けてしばらく駅前通りを歩いていくと大きめのビルが見えてきて、刃境は満白を手招きした。ブランドコスメの店を抜けてエレベーターに入ると、中層階のボタンを押す。

 満白が壁に設置してある施設案内図を見ると、目的階には「霧灯セレスティアルスフィア」とうい名称のプラネタリウムがあることが示されていた。

「プラネタリウムですか?」

「そうそう。前にお気に入りの場所とかそういう話をしたでしょ。だから今回は私の大好きな場所を見てもらおうと思って」

 デートコースの定番と言えばそうだが、人気が爆発的に高い場所というわけでもない。

 満白は自分が最後にプラネタリウムに行ったのは一体どれくらい昔だったろうかと考えてしまった。

「私ね、昔からプラネタリウムが好きで。今でも旅行とか行くとその土地のプラネタリウム巡りをしたりするんだ」

「おしゃれな趣味ですね。私は……あまり星とか詳しくなくて」

「いいのいいの。こういうのって雰囲気を楽しむところだからさ。リラックスするよー」

 実際、入場時間になって場内に入ってみるとかなりセンスのよい内装がされていた。映画館などと違って場内が円形で作られており、中央付近に独特の顕微鏡のような映写機が設置されている。

 開演前から場内はうっすらと暗めの照明となっており、ゆったりしたインストゥルメンタル音楽がBGMとして流れている。

「なんだか眠くなりそうな場所ですね。居心地が良すぎて」

「でしょ。なんならこっそり眠っちゃってもいいからね」

 そう言って案内された座席はほとんど横になるような二人掛けのリクライニングソファだった。

「カップルシート、ですか?」

「うん。え? こういうの隣にいられると嫌な方?」

「いえいえ。ただ、ますます眠くなりそうで」

 ゆっくりと手をかけて腰をおろしてみると、柔らかすぎない絶妙な反発があった。クッションの位置に体を乗せてみると沈み込む感じがある。

 思わずほう、とため息をつくと面白そうに隣に刃境も並んできた。

「なんか、こういうの楽しくない?」

「ええ、わくわくします」

 そういえば子供の時に何かの流星群が来るということで、深夜の土手でクラスの友達と並んで空を見上げたことがあったっけ。隣に同じく頭を並べている刃境の気配が満白に懐かしい記憶を呼び起こす。

「今日の演目はね、星座と神話のお話だよ。色々見てきたけど、私はこういう普通の星のお話が好きなんだ」

「それちょっとわかります。子供向けすぎでもなく大人向け過ぎでもない演目ですよね」

 そこで場内にもうすぐ開演となるアナウンスが聞こえてきた。

 上映中の注意事項を聞いていると少しずつ場内の明かりも暗くなってきて、見上げた天井にうっすらと星が動く様子が流れる。

 心地よく落ち着いたトーンのアナウンスに満白がさっそく眠気を感じていると、指先にほんのりと温かい感触があった。

「手、触れててもいい?」

 囁くような刃境の声が耳元で聞こえて、軽く頷くと同時に指先だけが控えめに絡んだのがわかった。


6.


 深玄のバイトのシフトは基本的に土日勤務となっている。

 したがって自動的に休日は平日になることがほとんどで、完全週休二日制で土日祝日が休みとなっている満白とは完全に休みが一致することはまず滅多にない。

 そんな二人がある日、数カ月の昼夜逆転の生活を続けてきて初めて休みが一致した。

 いつもの仕事が終わった早朝、深玄ができるだけ音をさせないように鍵を開けて部屋に入ると室内は静まり返っていた。忍び足で寝室の扉を開くと、満白が立てている寝息が微かに聞こえた。

 ダイニングに戻って壁にかけられているカレンダーで今日が満白の休日であることを確認しなおすと、深玄は電動ポットで自分のためのコーヒーを淹れた。

 満白が目を覚まして部屋から出てきたのはいつもよりも一時間は遅い時間帯だった。

「あ、おはよ。せっかくの休みなんだからもう少し寝ててもいいのに」

「ううん。だって深玄も早く寝たいでしょ」

 眠ろうと思えば寝室のベッドでなくリビング・ダイニングのソファを使うことができる。そうでなければ初めてこの部屋に泊めてもらったときのように押入れから布団を出して床で寝るという方法だってある。

 だけどもなんとなく同じベッドで寝続けていると、他の場所で寝るのもちょっと落ち着かない。

 深玄は急かしたつもりはなかったが、本心としては満白が起きてからそこで眠るつもりで時間をつぶしていた。

「何か食べる? 軽く作るけど」

「大丈夫。それよりも深玄、疲れてるでしょ。私のことはいいから早く休みなよ」

「そう? じゃ、お言葉に甘えて」

 待っている間にシャワーは済ませていたので、ベッドが空いた今ではいつでも眠れる体勢ができていた。深玄が入れ替わりに部屋に入ろうとしたところで、急に背後から満白が声をかけてくる。

「あ、あのさ。深玄」

「え?」

「今日はせっかくの休みなんだし。起きたら一緒に出かけない?」

 一瞬で眠りに入ろうとしていた意識が急に覚醒した感じがした。

「えっと。それって、その……」

「そんなに意外だった? だって一緒に住んでるのにどこかに行くことって近所のスーパーとかコンビニとかそんなのばっかりだったでしょ。初めての一緒の休みなんだし、たまにはいいかなって思ったんだけど」

「うん、わかった。嫌とかじゃなくてなんか驚いちゃって。いいよ、行く」

「じゃ、私は昼間のうちに買い出しとかしとくからまた午後にね」

 深玄はそこで寝室に入り、背中で扉を閉じた。遮光カーテンでしっかり光を閉じられている室内は先程のダイニングと打って変わって夜の続きのようだった。

 扉に背中をつけたままそっと深玄は自分の胸元に手をおいてみる。自分の意識とは全く別に、ドキドキと鼓動が速めに鳴っているのがわかった。

「全く、緊張しすぎでしょ」

 小さく自分に向けて悪態をつぶやくと、深玄は改めてベッドの中に入る。ほんのりと残る満白の温もりと湿度が鼻腔に入り込むと、仕事の疲れもあってすぐに眠気はやってきた。

「起きたら、お出かけか……」

 ほんのりと自分の口元がゆるむのがわかって、ついまた自分にむかって「キモ」と言ってしまっていた。


 深玄が午後になって目が覚めたとき、待っていましたとばかりに目をキラキラさせる満白が待っていた。

「お腹空いてない? 一緒に食事に行こうよ」

「ちょ、ちょっと待ってって。まず私も身支度があるし」

 人懐こい小型犬のようにまとわりついてくる満白をどうどうと落ち着かせ、深玄は洗面所に向かった。さりげなく部屋のあちこちがきれいになっていることに気がついてなんとなくほっこりしてしまう。

「外食もいいけどさ。部屋で料理作った方が面倒がなくてよくない?」

「それはいつもやってるでしょ。ていうか結局深玄に作らせることになるんだから今日は私におごらせてよ」

 満白は深玄よりも背が低いし、普段は温和そうな見た目をしてはいるのだが、自分がどうしてもやりたいと思うことについては頑として譲らないところがあった。そんなにしょっちゅうあるわけではないものの、それだからこそ一度頑固モードになったらもう絶対にそうするしかないのだということを深玄はこれまでの付き合いで予測できるようになっていた。

「それだけ自信満々で誘うってことは、何かプランがあるわけ?」

「そうなの! 実は最近すごくいいお店を教えてもらってさ」

 ああ、それで。と深玄は歯磨きをしながら思った。

 最近の浮かれた様子といい、最近付き合い始めたらしい人はそういうお店選びがよほど上手な人なのだろう。

 その恋人未満の人との場所に案内をされるというのは少し複雑な気持ちにならないでもないが、満白にとっては自分が気に入ったところを深玄にも共有がしたいという完全な善意での行動なんだろう。

 深玄は悪くとりかけた自分の気持を反省しつつ、何を着ていこうかと廊下からつながるウォークインクローゼットに向かった。

「もう予約はしてあるから、ゆっくり行っても大丈夫なんだよ」

 二人は夕方前の街に出て軽くウインドウショッピングをしながら目的のビルまでを歩いた。

 湾岸に沿って作られている天穹ベイエリアは深玄の職場でもある環天スカイウェイ国際空港と内湾を挟んだ向かい側に位置している。

 世間的には平日ということもあり、夕方の時間帯は高層ビル群からは活気が感じられる。早足に慣れたスーツの男女ビジネスマンたちとすれ違う傍らで夕闇が近づくにつれてビルの窓から明かりが漏れてくるのが見えた。

 数多くある商業ビルの中の一つに入ると、満白は高層階へと案内をする。有名店に案内されるのかと思いきや、通路の奥にひっそりと営業しているタイプのレストランが目的地だった。

「こんなところにお店があったんだ。お店でレストランとかの話をお客さんから聞くことあるけど、ここは知らなかったなあ」

「でしょ。お店もSNSとかやってないから、口コミとかでお客さんが来るんだって」

 強気の営業スタイルをしているだけあって、お店はかなり雰囲気がよかった。デートないしはあまり大声で話をする関係ではない人たちが来るようで、テーブルごとのプライバシーに配慮した配置をしている。

 二人は窓際の席に角を挟む形で並んで腰掛けた。

「ちょうどいい時間帯だね」

「うん。天気もいいし、すごく眺めがいい」

 大きく開いた窓から外を見ると、ちょうど内湾を挟んだ向こう側に建物のシルエットを残しつつ、オレンジから黒色へと変化している景色が広がっていた。

 二人でシェアができるようにパスタとフライパンパエリアをメインに注文し、取り分けをしながらしばらく雑談をしながら食事を進めていった。

 滑らかに楽しい会話が進んでいたものがふっと唐突に途切れたのは、だいたいのメニューを食べ終わりそれぞれに頼んだデザートを待っている間のことだった。

「あのさ。深玄」

「うん、何か話したいことがあるんでしょ」

「そうなの。もっと早くに言ってもよかったけど、やっぱりちゃんとこうして時間あるときに話したくて」

 そこで洗練された仕草のウエイトレスさんが、二人の注文したケーキを運んできた。深玄はティラミス、満白はフルーツタルトを選んでいて、何も指示をしないのに自然に二人の前に置かれる。

「実はね。最近、私付き合おうかなって思ってる人がいるの」

「そうだと思った。ていうか、まだ付き合ってなかったんだ」

「うん……。それが実は、相手が女の人で」

 ああ、と深玄は小さくつぶやいた。そうじゃないかとは思っていた。というよりも、そうであってほしかったという感じだ。

 もっと驚かれるかと思ったという満白に対して、深玄はとりあえずその先の会話を促す。

「前もちょっと言ったけど、別に付き合うからといって今までの生活を変えたいとかそういうことはないからね。今の仕事はもっと続けたいし、深玄との生活も大事にしてるから」

「うん。そうしてもらえると私もありがたい」

「ただね、一応けじめとして深玄にはちゃんと言っておきたいっていうか。もしかしたらこの先、その人のことを話したくなるかもしれないし。それに」

 と、一瞬迷ってから満白は次の台詞を言う。

「そのうち、深玄にも紹介をしたいなって思うから」

 深玄はそれに対しては両手を上げてすぐ賛成、というわけにはいかなかった。たった今その話を聞いたばかりというのもあるが、そこまで満白だけの生活領域に自分が入り込んでもいいのだろうかという迷いがあったからだ。

「そうなったら会ってくれる?」

「考えとく。それって、わりとすぐそうなりそうなこと?」

「もうちょっと後になるかも。まだ完全に付き合おうっていうことになったわけじゃないし。お互いの関係が落ち着いてからだからしばらく後になるんじゃないかと思う。たぶん」

 この言葉で深玄には満白がだいたい相手とどのくらいの距離感にいるかが八割くらいわかった気がした。

 おそらくは、体の関係はまだで……キスもしたかしないかといったところだろう。手を繋いだり軽くハグをしたりしていい雰囲気になったということまでは何度かありそうだ。

 その微妙な時期に自分に話したことが深玄にはほんの少しつらかった。既に肉体関係を含むどっぷり深い間になってさえいれば完全に諦めがつくのに。この状態ならば自分が入り込む場所があるのではないかと期待を持ってしまう、そういう諦めをしきれないところがうっすらと負担に思えた。

「でさ、これで私から言いたいことは終わりなんだけど。次は一つ質問をしたいんだよね」

「質問? 私に?」

「うん。ここまで言ったんだから、深玄も正直に言ってよね」

 と、満白はやや座っている姿勢を前のめりにして深玄の顔をうかがった。

「深玄、もしかして誰かと付き合ってたりしない?」

 ぶっ! と飲みかけのコーヒーを吹き出しそうになった。

 すんでのところでこらえたが、その態度が満白にとっては自分の推測がハズレでなかったことを確信させたようだった。

「やっぱりね、そうだと思ったんだ」

「や! 誤解しないで。本当にそんなことないから。ただ」

「ただ?」

「ただ、その……。店に来るお客さんの中で、時々仕事のあとに飲みに誘ってくれる人がいるっていうだけで」

 そういえば、と満白は目線を上に自分の顎に人差し指をあてて考える仕草をした。ここのところ朝の帰りがちょっと遅くなることが何度かあったもんね、と言われて深玄は何も反論できなかった。

「その人のこと、好き? これから恋人関係とかになりそう?」

「わかんないよ。それは……向こうは私のこと、気に入ってくれてるようなことは言ってたけど」

「じゃあ深玄の気持ち次第じゃない。どうなの?」

 深玄は迷った。確かに気に入っていると言われて悪い気持ちにはならない。だけども恋人として真剣なお付き合いとなると、自分の中で想定してきた関係から大きく軌道修正をしなければいけないような気がする。

「考え中」

「そうなんだ。ふうん」

 そこで一旦会話を切って満白は眼の前のデザートにフォークを刺した。キラキラとコーティングされた白桃がお店の橙色の照明によく映えていた。

 深玄が自分のティラミスに目を移し、表面のカカオパウダーとマスカルポーネチーズを切り分けると、コーヒーに浸されたフィンガービスケットとの層がほろりと崩れた。

「あ! 星」

 満白が窓ガラスの向こうの景色に視線を向けると、夜景の届かない海の上に目立った星が並んでいるのが見えた。

「あれって『オリオン座』だよね。3つ並んだ星って」

「うん。その上下の鼓みたいな形をしてるのがそうだったはず」

 満白がその会話の隙に「一口もらっていい?」と深玄のティラミスを少し取る。代わりに自分のフルーツタルトを差し出したので、深玄も堅い縁の部分を小さく崩してもらった。

「ね、知ってる? オリオン座は蠍座と同じ空の上には見えないって」

「えっ?」

 驚いた深玄の態度に、満白はちょっと得意そうに話の続きをした。

「星座にまつわる神話でね。狩人のオリオンは自分の腕前に自信を持ちすぎて傲慢になってしまっていたんだって。で、それを見た女神ヘラがその態度を改めさせるためにサソリを送り込むの。そのサソリがオリオンを刺したことでオリオンは亡くなるって話。その後オリオンとサソリはそれぞれ天の星座になるんだけど、オリオンはサソリを恐れて蠍座が空に見える夏には姿を消して、見えなくなる冬に点に姿を見せるんだってさ」

 深玄は話を聞きながらついデザートを食べる手を止めてしまっていた。正確に言えば、ぼんやりして受け答えをすることを忘れてしまっていたことになる。

「片方が見えるときにはもう片方は姿を隠してるって、ちょっと私たちの生活みたいじゃない」

「え、あ、いや……」

「ねー、そこは突っ込むとこでしょ。私たちは別にどっちかが恐れてるとかないんだし」

 深玄はそこではっと我に返り、楽しそうにしている満白に疑問をぶつけた。

「満白、その話っていつ知ったの?」

「いつって。実はつい最近なんだ。さっき話したお付き合いを考えてる人にプラネタリウムに連れて行ってもらってさ。その時の上映で星座の話を聞いたの」

 ぐっと、深玄は喉をつまらせた。

 どうしようかと胸がドキドキと早打ちするのがわかる。これは言っていいことなんだろうか。

「深玄この話をもっと昔から知ってたの? どこか間違ってるところとかあった?」

「えっと、そうじゃなくて。実は私も……」

 迷ったけれどもここで隠してもしょうがないことだと思いきった。

「その星座の話。つい最近プラネタリウムで見たところなんだ」

 満白もフォークを持つ手がピタリと止まった。深玄の話の真意を測りかねるように小さく首をかしげる。

「だから。私もさっき言った、ちょっと親しくなったお客さんにプラネタリウムに連れて行ってもらったところなの。そこで……今の話と同じやつ、見たんだ」

 二人の間に沈黙が流れた。

 これは一体どういうことなんだろう、とお互いに混乱しながら考えているのが言外に伝わってくる。

「へえ、すごい偶然だね」

「うん。偶然だよね」

「深玄、その人の名前。聞いてもいい?」

 そこでお互いにそのプラネタリウムに行った人の名前を告げあった。

 ミドリと実採取(みどる)。

 顔や身体的特徴についてざっと話をしてみると、雰囲気や印象には若干異なる部分はあるものの体格や持ち物に共通点が多い。

 ただの偶然として片付けるにしてはあまりにもその確率は天文学的なもののように思える。

「えっ。ねえ、これってもしかして」

「うん。まさかと思うけど」

 私たちは、それと知らずに同一人物と付き合いかけの関係をしていたのだろうか?

 それから二人はお互いの考えの答え合わせをしないまま、そそくさと味のわからなくなったデザートとコーヒーを食べ終えて店を出た。

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同じ部屋 昼は私で夜は君 みなとさがん @sagannosaga

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