苛む雨の冷たさに

空向井くもり

苛む雨の冷たさに

 雨は好き。


 大きな雨粒が、世界の音とか私の頭の中で響く声とか、

 そういう煩いものをぜんぶ吸い取って地面に叩きつけてくれるから。


 ばちゃばちゃと、難しいことがぜんぶ道の端っこに流れていく音がする。


 秋の木々の色をばらばらにくだいてしまうくらいの冷たい雨にぬれてしまえば、

 きっと水のなかにとけていってしまえるから。


 


 そう思って一等お気に入りの服に丁寧に身を包んだのに、

 私はビニール傘をさして歩いている。


 せっかく溶けていった鬱々とした気持ちと、

 おなじところに私自身を流し込むのは、

 なんだか違うような気がしたから。


 いや、これも言い訳だ。

 怖かった。


 私の私に対する小さな小さな破滅願望は、いつだって実を結ぶことはない。


 どれだけ水を湛えても私は水そのものに溶けてしまうことはないし、

 現実に雨はいずれやんでしまう。


 乾けば全てが元通りで、何にも起きなかったみたいになってしまう。

 私は、私が私を傷つけることよりもずっと、傷がなくなってしまうのが恐ろしい。

 できることなら、私はずっと傷ついたままいたいのに。


 そうでなければ、かわいそうでない私のことを私さえ愛せないから。




 私だけが濡れていない世界からいっそう色が流れて、

 それが白黒写真みたいに見えるのは、空が深い灰の色だからだけじゃない。


 雨は憂鬱さを洗い流してくれるけれど、

 雨と私との間に生まれたわだかまりについてはその限りではない。



 土砂降りの、雨。



 とうめいな傘を叩く冷たさの音は古い映像フィルムにかかるノイズみたいで、

 同じだけの冷たさを持った嫌な思い出が、

 吐く息といっしょに、とけて、ながれていく。



 なにか悪いことがあった日にはいつも雨が降っている。



 雨が降ったからその日を覚えているのかもしれない、

 あるいは本当に雨が降っていたかもわからない、

 もしかしたら思い出すのがこんな雨のだからかもしれない。


 どうだっていいことだ。

 誰もいない雨の住宅地には、私を咎める声は響かない。




 いっそう激しくなる雨が、

 コンクリートで固められた河川敷の斜面を滑り落ちていく。


 私はそれを眺めている。

 私を濡らすはずだった雨も、

 とうめいの傘に叩きつけられて、

 おちて、

 同じように無機質な灰色の中にとけていく。 


 くたくたのスニーカーのなかで、

 可愛らしく縫い上げられた靴下の黒猫が水たまりの冷たさに震えている。


 それだけが唯一の救いなような気がした。


 いまこの世界にはわたしだけがいて、それだけだ。

 濡れた靴下を咎められることもない。




 人は嫌いだ。でも、ひとりでいることは寂しいともおもう。

 そしてこの寂しさを自分への罰として甘受しているのだから始末に負えない。

 こんな倒錯的な自己嫌悪を、私は愛しいとさえ考えているのだから。




 ふらふらと傘を揺らして歩いていれば、人のいる街の方へと足が向く。

 嫌いなもののある方へ近づいていくことが、わずかでも私を傷つけてくれるから。


 雨の勢いは小さくなって、やっと動き出す街に人の姿はわずかだ。

 曇り空の灰色を映して、いっそう淀んだ灰の色を見せるコンクリートのビルには、 

 今ここにはいない人たちが詰められている。


 そう考えれば、灰色の箱はまして淀んで見えた。

 それでも、雨の中に自分だけしかいないことをうれしくおもう。

 自分が傷つけられないことを、うれしくおもう。




 誰もいない霧雨の街なら、どこまでも行けそうな気がする。

 冷えた身体を更に冷やす風が、小さな切り傷を撫ぜるようで心地がよい。


 雨が止むまでは、足を止めないままでいようか。

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苛む雨の冷たさに 空向井くもり @sorano_mukou

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