犬の助っち本
ようすけ
第1話
何度かは万引きを試みた。だが店内には精神疾患を疑うほどの監視カメラが設置されていた。全ての通路が録画されていたし、奥の部屋には録画を確認するモニターが幾つも並べられていた。わたしは十八世紀に描かれた犬たちのスケッチ本が欲しかったのだが、それを購入する資金を競馬に注ぎ込んでしまっていた。
「監視カメラなんて抑止力に過ぎないよ、本当に欲しかったら手に持って走るんだ」
「そうだぜ、了明」
「盗まれたあとであの障がい者は歯ぎしりしながら録画を見るんだ」
「そうだよ、了明」
「自分の店から本が盗まれたというのに、あの障がい者は録画を見るしかないんだ」
「うん」とわたしは答えた。
「本当に欲しかったら貯金をするという手もあるよ」と別の男が言った。
その男というのは、わたしたちのグループで唯一の労働者だった。高校を卒業すると同時にアルバイトを始め、何年か働いたのちに、そのアルバイト先からのスカウトで正社員へと昇格したのだったが、そのせいでか、いつも正論ばかりを言うから嫌われていた。わたしたちは彼に見下されていると感じていた。
わたしたちは彼のアドバイスを無視した。実際の話、彼の話を聞くような人物はグループの中には存在せずに、彼自身ではそのことで疎外感を感じているのか、グループ内での会合の出席率も、ここの所は少なくなっていた。
「どうするんだ、了明。お前が阿呆の馬になんか全財産を賭けるから、おれたちは無い知恵を絞ってお前の欲しがっている犬の本のことをなんか考えなければいけなくなったんだ」
「犬の本なんかどうするってんだ」
「確かにあの本には魅力があるよね、でも盗みは駄目だよ」
「こいつを殺してやる!」
古書店の店内にある犬の本は盗むとしても、皆はどうあっても彼を殺さずにはいられなかった。まずは高井というラグビー部に所属していた過去のある男が、その真面目の彼の首根っこをひっ捕まえた。そしてエイッとひと思いに骨を鍛え上げられた上腕筋で潰してしまった。嫌な音が聞こえた。その瞬間に、首を捻り潰された男の口から、ドバドバと血が流れ出た。わたしたちは自分には関係が無いと思いながらも、首を潰された男がどんな様子で死んでいくのかを注目せずにはいられなかった。
「人間なんて簡単に死んでしまうのだな」
「こいつが悪いんだ」と高井が言った。「高校を卒業してからずっと働いて正社員になったというのに、おれ様の機嫌を損ねただけで簡単にあの世行きなんだもんな」
「酷いことをするなよ、高井」とわたしは言った。
高井は申し訳無さそうな素振りをした。「悪かったよ、だけど首の骨なんて重要な部分を、こいつはアルバイトに忙しくて鍛えてこなかったんだ」
「骨は鍛えられないよ!」
「それを囲む筋肉なら鍛えられるよ」と高井は反論した。
わたしたちは高井に首を潰された男の行く末を見守った。その男にも母親はいるだろうし、父親もいるのだ。男は地面に倒れ、口からはまだ血をどばどばと流していた。
男の吐く血が地面を汚していると誰かが指摘した。
わたしたちは別に、逃げも隠れもせずに、男の死体をその場所に放置した。その後で皆は古書店から犬のスケッチ本を盗む段取りを考えてくれたのだったが、男を殺害した高井は気分が高揚していて、「だったら本屋の店主を殺せばいいだろうが、めんどくせえ奴らだなあ」などと豪語するのだった。
「別にそれでもいいけれども、欲しいのは犬のスケッチ本だけなんだ」
「殺したらもっと他にも取り放題だぜ」
「だから欲しいのは犬のスケッチ本だけなんだよ」
「その他はゴミなのか?」
「まずゴミだね」
「だったらその店の店主はゴミを民衆に売りつけているという訳だな」
「そうだよ」
「そんなの生かしておけねえ」
グループの中に、雑巾をなぜか持っている男がいた。木田という低身長の男で、グループの中にいても誰かの役に立ったことなど一度としてなく、高井とかは冗談交じりに「殺そう、いらない奴は殺そう」などとこの木田を震え上がらせるのだった。
男の吐いた血を掃除する為に、わたしと田辺という男が抜擢された。本当なら雑巾を持っていた木田と一緒に行動をするべきだったのだが、木田が何かの役に立ってしまうと今後良くない事態になってしまうと高井が指摘をしたのだ。
わたしは木田から雑巾を受け取った。田辺と一緒に歩き出した。
男を殺して気分の高揚した高井に連れられるがままに、わたしたちは男を殺した地点から、二キロ程の道のりをあちこちと歩き回っていた。だから木田と一緒に高井が男を殺した場所まで戻らなければいけなかった。現場に着き、男の周りに溜まっていた血に雑巾をあてがった。雑巾がみるみる内に血に染まる様子を眺めていた田辺が「こんなの間違っているよ」と弱音を吐いた。
わたしはそれを聞き逃さなかった。
「そんなことを言っていると、高井の奴に次に殺されるのはお前かもな」
「どうしてさ」
「高井は弱い男が嫌いだからだよ」
「でも言いたいことを我慢して言いなりになっているお前も弱くないか?」
「おれが弱いだって?」
わたしは目をぱちくりとさせた。驚いてしまったのだ。
田辺が続ける。「というよりも弱いのお前で、おれは強いよ」
「高井が怖くないのか?」
「怖いさ!」
「だったらお前の方が弱いんだ」とわたしは笑った。
「違うね、おれは自分の恐怖を認めているんだ。お前は高井が怖いから高井に対して言いたいことを言えないでいるだろうが。お前が高井のことを怖くないのは、それは単純にお前が高井の犬だからだよ」
「犬は好きだよ」とわたしは去勢を張った。
実際の話を言えば、田辺の話はちんぷんかんぷんだった。
難しいことを並べてわたしの頭を錯乱状態にしようというのが、田辺の作戦だ。
男の吐いた血を掃除し終えてから、わたしは高井に、田辺がおかしなことを言ってグループの輪を乱そうとしていると密告するつもりだった。
そのことを分かってか、田辺がわたしに忠告した。
男の血は、一枚の雑巾で掃除できる限界までは綺麗にしていた。
「お前にとっての男というのはどんな人物なんだ?」
「おれにとっての男というのはね、ネズミみたいにあちこちを嗅ぎ回って状況を有利に進めようとする卑怯な人物のことを言うんだ」
「おれのことを高井にチクるのか?」
「そのつもりだよ」とわたしが言うが早いか、強烈な一撃が飛んできた。
田辺がいつの間にか拾った石で、わたしの頭を殴ったのだ。だが致命的な部分には当たらずに、それはわたしの頭の側頭部に命中した。
しばらくの間、わたしは田辺との沈黙を楽しんだ。
そして田辺に向かって言った。
「お前、終わったな」
「ああ、そうだな」
「どうして一撃で仕留めなかったんだ?」
「怖かったのさ」
「その恐怖がお前を殺すんだ」
「おれは弱い人間だよ」
「そうだよ、弱虫め」
その場を離れ、わたしは田辺に頭を殴られたことを高井に報告した。
犬の助っち本 ようすけ @taiyou0209
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