第二章 愛か、祈りか、命令か

静寂を切り裂くような蛍光灯の下、濱崎瑠衣は指先を強く握りしめていた。

爪が食い込み、じんと鈍い痛みが走る。それでも力を緩めなかった。


彼は零愛のマスターだった。

そう呼ばせている。

そうでなければならなかった。


瑠衣の隣のベッドには、零愛が横になっている。

規則正しい呼吸。安定した脈拍。

数値はすべて正常範囲内だ。


それなのに、瑠衣の胸の奥だけが落ち着かなかった。


「どうしよう。この子が壊れてしまう。」


そう呟いた瑠衣は、瞬きを一回もしなかった。


壊れる、という言葉を選んだのは無意識だった。

死ぬ、でも、傷つく、でもない。壊れる。

彼女を人間としてではなく、機能として見ている証拠だった。


零愛は元々人間だった。

一ノ瀬愛という名前をもつ、ただの少女。


泣いて、笑って、意味のない言葉をたくさん発していて、理由もなく笑っていた存在。

瑠衣はそんな彼女を、ここへ連れてきた。


それがどんな行為か、わかっていながら。

わかっていたからこそ、途中でやめることができなかった。


ふと、改造人間一号の事故が頭をよぎる。


本当の親に触れ、記憶を取り戻した個体。

そして残ったのは、消えるはずだった「改造されていた時の記憶」。


──あれは失敗だ。


感情を戻す工程が甘かった。

人間だった頃の情報と、改造後の情報が共存してしまった。

理解できないものが残った。


同じことが零愛に起こったら。

彼女がすべてを思い出したら。


瑠衣は彼女の頬に触れかけて、指を止めた。

この頬に、次に触れられる保証はどこにもなかった。


零愛が目を覚ました時、強く拒絶される未来が脳裏をよぎる。

怯えた目。理解しようとしない視線。抵抗する手。


それは「壊れる」よりも、ずっと耐えがたい結末だった。


「君だけは。人間に戻らないでくれ」


誰に言うでもなく、そう呟く。

それは彼女のための言葉のようでいて、

実際には自分自身に向けた命令だった。


「僕が全部を与えてあげるから。」


管理。把握。予測。

不確定な要素を一つ残らず排除した世界でなら、彼女は壊れない。

壊れない限り、失われることもない。


その言葉が命令なのか、はたまた祈りなのか。

瑠衣自身にも、もう判別がつかなかった。


彼は深海の中で、一人苦しそうに生き続ける。

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藍愛をする――感情をプログラムされた少女 和音 @waon62

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