第3話 勇者パーティ、出発直後に「在庫管理ミス」で食糧がカビる。
★★★★★★★★★★★
「……おい、ボルド。もっとシャキシャキ歩け。これじゃ予定より大幅に遅れるぞ」
勇者ゼクスが、不機嫌そうに振り返った。
黄昏の街道から一夜明け、勇者パーティは最寄りの町「メルキア」を目指して行軍を開始していた。
だが、その速度はユウサクがいた頃の半分にも満たない。
「……無理言うな、ゼクス。この荷物の重さ、わかってんのか……?」
重戦士ボルドが、喘ぎながら答える。
彼の背中には、無理やり革紐で縛り付けられた巨大な袋がいくつも揺れていた。
本来ならユウサクの【アバロンWMS】に収まっていたはずの荷物。それを自分たちで運ぶと決めたものの、いざ背負ってみるとその重量は想像を絶していた。
「ユウサクさんは……これより倍以上の荷物を背負って、涼しい顔で歩いてたんだぞ……。どうなってんだよ、あの体」
「あんな奴の話を出すな! あれはただデカいだけだ」
ゼクスは吐き捨てるように言ったが、その肩も、慣れない重量のせいで赤く擦れているのが見て取れた。
ユウサクは、パーティメンバーそれぞれの骨格や筋力に合わせ、荷物の重心をミリ単位で調整していた。さらに、歩行の振動を吸収する魔法的なパッキングまで施していたのだ。
知識のない者がただ袋を背負えば、それは単なる「動く重り」でしかない。
「……ねえ、休憩にしましょう。お腹も空いたし、喉もカラカラだわ」
癒術師セーラが、力なく座り込んだ。
彼女の美しい顔は土埃で汚れ、髪も湿気でボサボサになっている。
ユウサクがいた頃は、休息のたびに清潔な水と、魔法的な脱臭効果のある拭き布が「適切なタイミング」で差し出されていた。それがどれほどの贅沢だったか、失って初めて気づかされる。
「チッ、仕方ねえな。……ボルド、飯を出せ。あのメルキアで買った高級ハムとパンだ」
ゼクスも膝をつき、強がりの影に隠れた疲労を露わにする。
ボルドは呻き声を上げながら、背中の荷物を地面に下ろした。
ドサリ、と嫌な音が響く。
「……ん? なんだ、この匂い……」
ボルドが鼻をひくつかせた。
荷物袋の隙間から、何とも言えない饐えた臭いが漂ってくる。
「おい、ボルド。早くしろよ」
「待て……。今、開ける……」
ボルドが震える手で、最も重い食糧袋の紐を解いた。
その瞬間。
「……!? う、うわぁぁぁぁっ!!」
ボルドが悲鳴を上げ、尻餅をついた。
袋の中から溢れ出したのは、芳醇な香りのするハムではなく、緑色と黒色の不気味な綿毛に覆われた「何か」の塊だった。
「な、なんだこれは……! 毒か!? 魔物の呪いか!?」
ゼクスが聖剣を半分引き抜き、飛び退く。
セーラも顔を青くして、口元を押さえた。
「ち、違う……。これ、昨日の昼に買ったばかりの『白パン』と『燻製ハム』だ……。なのに、なんで……なんで全体がカビに覆われてるんだよ!」
ボルドが震える指先で、カビの塊を指差す。
異世界の魔素を含んだカビは、繁殖速度が異常に早い。本来なら数日は保つはずの食材が、たった一晩で「魔物の死骸」のような惨状に変わり果てていた。
「そんなはずがあるか! 昨日の夜はまだ普通だっただろ!」
「……昨日、お前が『喉が渇いた』って言って、水筒の水を袋の横でぶちまけただろ。その後、暑いからって袋を日当たりのいい場所に置いて……。それだけじゃない、ポーションの瓶が一つ、重さで割れて中身が漏れてる。その魔力水がパンに染み込んで、カビの成長を爆発的に早めたんだ……」
ボルドの指摘は、まさにユウサクが最も忌み嫌う「在庫管理ミス」そのものだった。
ユウサクの【アバロンWMS】は、単なる収納空間ではない。
内部は常に気温15度、湿度40パーセントに魔法的に保たれた「完璧な定温倉庫」だった。
さらに、荷物同士が干渉しないよう仮想的な棚が組まれ、液体が漏れれば即座に検知し、隔離するアルゴリズムが組まれていたのだ。
「……あいつ、こんなことまでやってたのかよ」
セーラが、涙ぐみながら呟いた。
「私たちはただ、あいつに荷物を『預けていた』だけじゃない。あいつの魔法の中で、荷物が『守られていた』んだ……」
「……黙れ! 偶然だ、こんなのは! ただの運が悪かっただけだ!」
ゼクスはカビの塊を剣で切り裂いた。
散らばるカビの胞子が、昼食を待っていた彼らの期待を無残に粉砕する。
「……予備の食糧はあるんだろうな!?」
「……これだけだ。残りの袋は、全部予備の防具と、お前が積ませたワインだよ。パンは全部この袋にまとめて入れてたんだ……。一箇所にまとめれば管理が楽だと思って……」
「それが最大の間違いなんだよ、馬鹿者が」
ユウサクの冷徹な声が、彼らの脳裏に再生された。
『リスクの分散。常温と冷蔵の隔離。可燃物と魔導具の絶縁。これらは物流の基礎だ。それを怠る者は、自ら首を絞めているに等しい』
「……クソが。……クソ、クソ、クソォッ!!」
ゼクスは無意味に地面を叩いた。
腹の虫が鳴る。だが、手元にあるのは毒に等しいカビの塊と、重くて飲めないワインだけだ。
★★★★★★★★★★★
その頃。
メルキアの町、運送ギルド『鋼の蹄』の事務所。
「……話にならないな」
ユウサクは、広げられた帳簿と運行表を前に、冷淡に言い放った。
目の前には、ギルド長である筋骨隆々の男、ガリウスが顔を真っ赤にして立っている。
「なんだとぉ!? 若造、うちのギルドはこの街で三十年続いてるんだぞ! 馬車の数も、人足の数も、この辺りじゃ最大だ!」
「数が多いことが、効率の証明にはならない。むしろ『無駄の肥大化』だ」
ユウサクは、見る者を射抜くアイスブルーの瞳でガリウスを直視した。
「この帳簿を見れば明白だ。君たちの馬車の実稼働率は42パーセント。残りの時間は、荷主を待つか、空の状態で街道を走っている。さらに、荷役作業員の配置が支離滅裂だ。北門に荷物が届く時間に、作業員は南門で暇を潰している。……これは経営ではない。単なるリソースの焼却処分だ」
「……ぐ、ぬぬ……」
ガリウスは言葉に詰まった。
実際、ギルドの財政は火の車だった。王都からの注文は減り、魔物が増えたせいで護衛費用が跳ね上がり、キャッシュフローは完全にショート寸前だ。
「……あんた、さっき『最適化』すると言ったな。具体的にどうするつもりだ?」
「簡単だ。まずは情報の共有の規格化から始める」
ユウサクは懐から、数枚の薄い魔法紙を取り出した。
「これまで君たちは、荷主からの依頼を口頭、あるいはバラバラの書式で受けていた。それをこの『ユウサク式・標準伝票』に統一する。品名、重量、容積、希望納期、そして特殊な保管条件。これらを全てコード化し、事前に拠点へ送る」
「……そんな紙切れ一枚で、何が変わるってんだ?」
「劇的に変わる。拠点の人間は、荷物が届く1時間前に、それを受け取るための最適なスペースと人員を配置できるようになるからだ。……それと、ガリウス。君のところの馬車の荷台、あのアオリを5センチ削れ」
「はぁ!? なんでそんなことを……」
「この街の門の幅と、街道の轍の平均的な間隔を計算した結果だ。その5センチを削るだけで、旋回性能が向上し、路地裏での離合時間が平均3分短縮される。1日100便走れば、300分の短縮だ。……時間は、金なんだよ」
ユウサクの声には、一切の迷いがなかった。
彼はすでに、【全域在庫把握】と【最適解算出】を使い、この街全体の「物流の澱み」を可視化していた。
「……あんた、ただの運び屋じゃないな」
ガリウスが、畏怖の混じった表情でユウサクを見上げる。
194センチの巨躯から発せられるのは、武力ではなく「知の暴力」だった。
「言ったはずだ。コンサルタントだと。……まずはこのギルドを、私の『テストケース』として立て直させてもらう」
ユウサクは窓の外に目を向けた。
その視線の先には、北の荒野――アルシュタット辺境伯領へと続く道がある。
「勇者たちが飢えに気づく頃、私はこの街の物流を完全に掌握しているだろう。……物流は、一度回り始めれば、誰も止めることはできない」
ユウサクの口角が、わずかに吊り上がった。
それは、新しいシステムが正常にブートしたことを確認した、エンジニアの微笑みだった。
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