赤目の白犬

倉沢トモエ

 山深き道をゆき、かくれ里を離れて数日。折り悪く激しい雨が降った。

 ただ、辿ってきた道筋の匂いも跡もこれで流れ去ったので、追手の目をくらますのにはさいわいだった。


「これでは敵のいぬどももたまりますまい。

 もうじき雨も止みましょう。さすればまた国境くにざかいへ向かって……」


 小童こわっぱながら此度こたびわれの手下に任ぜられた百太郎が生意気なことを言う。


「だが百太郎、狗どもが追うことをやめるわけではない。狗としての鼻が利かずとも、人としての狡猾な知恵と目がある」


〈狗〉とは敵国の領主が抱える忍びである。

 つまりは我らの同業であるが、我や百太郎とは違い彼奴きゃつらは山犬おおかみの一族で、自在にその身を獣に変ずる。そのため正しくは〈魔犬〉と呼ぶ。〈狗〉は陰口である。


「それが身に染みているところでござる」


 我らは今、蓑をまとい雨に紛れ山の木々に潜んでいる。蜘蛛渡りの術を用いて枝から枝へと渡っているところだ。戦続きの世で、打ち捨てられたあばら家のひとつに身を潜めていたが、吹き矢の遣い手が追って来た。おそらく狗であろう。


「なに、百太郎の粥を食いきったところだったので、ありがたかったぞ」


 道々草を摘み木の実を拾っていた百太郎が、囲炉裏で味噌入りの粥をこさえてくれたのが今宵身を養った最後となった。


「鷹雄様、早く国元へ戻りましょう。さすれば拙者、もっとうまいものをこさえましょうぞ」


 狗どもの多くは雨にて神通力が一刻いっとき消えるという。いかに山犬おおかみに姿を変え猛ろうとも、雨に当たれば人の姿に返る者どもだ。


「山犬の脚に追われるのは手ごわいが今なら所詮人の脚。身軽さではわれらに分がありましょう」


 我らはつとめを終えて帰参の途中である。狗どもの首領・赤目の白犬を手傷を負わされながらもたしかに討ち取った。


「そう。かくれ里の秘湯で傷も癒えてからは、鷹雄様、拙者などよりもお身柄が軽いようですぞ。なによりで」


 そこで我らは黙った。

 下から礫が飛んできた。弱った雨脚の中で投げられたものではあるが、技が鈍い。

 どうも狗が一匹で追いついてきたものらしい。技の鈍さから相手の腕前を見繕って、罠のたくみの百太郎が縄を用い蜘蛛糸の術で絡め取った。それから木の上へ引き揚げるのは簡単だった。


「……!」


 釣りあげられて狗はひどくうろたえている。


「はは、いくら狗とはいえ人の姿では人並みだのう」


 枝に腰を据え、縄を支えながら百太郎が言った。縄の一端は頭上の枝にかかっており、百太郎が端をさらに引けば狗の顔は我らの目前まで引き上げられた。


「た、鷹雄様!」


 振り絞る声に、聞き覚えがある。

 百太郎も気づいたらしい。


「霧丸」


 狗ではなかった。

 百太郎の修業仲間、我らの身内である。


「まて」


 まだ縄を解いては早い。闇の中ゆえ顔をあらためておらぬ。


「何があった。霧丸」

「城へ戻ってはいけませぬ」


 不審な点が多い。


「なぜ」

「鷹雄様、ご湯治でも癒えぬものがございましょう」

「なんと」

「鷹雄様。消えぬ魔犬の咬みきず跡がお身にございましょう」

「……」

「ふふ、魔犬の咬み創を受けた者の末路よ」


 霧丸の声が変わった。

 雨が止む。

 雨雲が割れて月光が差した。


 見れば目が紅く光り、髪がみるみるうちに白く長くなった。


?」


 霧丸の声色を使っていた者は半人の白い獣に姿を変えた。

 鋭い爪で縄を切り裂き、百太郎の居た枝をへし折ったのだが、百太郎も簡単には落ちない。隣の枝へからくも移った。着ていた蓑はばらばらに散った。


「討ち損じたか」


 我は白犬と向かい合ったまま飛び降りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る