第5話 「成長を、意識してしまう日」

 その違和感に、名前を付けるなら……

 そう、たぶん、「気づいてしまった」だ。



 春の終わり。

 夕方の風が、少しだけ湿っている。


 高校二年になった俺は、

 部活帰りのまま、いつもの公園を横切ろうとしていた。


 近道。

 それ以上でも以下でもない。


 ……はずだった。


「かずおに~ちゃん。」


 呼ばれて、足が止まる。


 声は、いつも通り。

 なのに。


 振り返った瞬間、

 胸の奥が、かすかに跳ねた。


 砂場の前に立っていたのは、愛結だった。


 小学六年生。

 塾の帰りなのか、ランドセルは背負っていない。

 代わりに、肩に掛けたトートバッグ。


「おかえり!」

「ああ……ただいま」


 言葉が、少し遅れた。

 それだけで、

 自分が動揺しているのが分かる。


「今日、暑かったね~」

「そうだな」


 他愛もない会話。

 なのに、視線が落ち着かない。


 背が、伸びた。

 声が、落ち着いた。

 仕草が、前よりゆっくりになっている。


 愛結って……前から、こんなだったか?


 自分に問いかけても、

 答えが出ない。


「ねえ」


 愛結が、砂場の縁に腰を下ろす。

 いつもの位置。

 いつもの距離。


 なのに。


「かずおに~ちゃん、座らないの?」


 言われて、

 初めて自分が立ったままだと気づいた。


「あ、ああ……」


 少し離れた場所に腰を下ろす。

 無意識に、距離を取った。


 まったく……何やってるんだ、俺。


「もうすぐね、中学生になるの」


 愛結が言う。


「そうだな」

「制服、似合うかな~って考えてる」


 そんな話、前にも聞いたはずなのに。


 今日は、

 言葉がやけに現実味を帯びて聞こえる。


「中学校……楽しみか?」

「うん」


 頷き方が、

 少しだけ大人びている。


「でも、ちょっとね、怖いかな」


 そう言って、笑った。


 その笑顔に、

 胸の奥が、また跳ねた。


 沈黙。


 風が吹いて、

 砂場の砂が、さらりと音を立てる。


 愛結が、いつの間にか長くなった髪を指先で掬って耳に掛ける。

 ただそれだけの動きだったのに

 その仕草が、

 どうしてか、やけに目に入った。


 見ちゃいけないものを、

 見てしまった気がする。


 慌てて視線を逸らす。


 いや……違う。

 何もおかしくない。


 ただ、

 成長しただけだ。


「ねえ、かずおに~ちゃん」

「ん?」

「最近さ」


「私って、変わった?」


 核心を突かれて、

 息が詰まる。


「なんで、そう思う?」

「なんとなく……かな」


 砂を指でなぞりながら、言う。


「周りの子も、なんか変わってきてるし……」


 言葉の選び方が、

 もう小学生じゃない。


 俺は、しばらく考えてから答えた。


「なんか……成長した……かな」


 それが、限界だった。


「ほんと?」


 ぱっと顔を上げる。


「うん」


 嘘じゃない。

 でも、

 それ以上は言えなかった。


 愛結は、少し照れたように笑う。


「そっか~。なんか、うれしい」


 その一言で、

 胸が、ぎゅっと締め付けられた。


 この感覚を、

 どう処理すればいいのか分からない。


 守る側。

 年上。

 近所のお兄ちゃん。


 今までの立場が、

 急に不安定になる。


 って、俺はいま、

 何を意識したんだ?


「さて、そろそろ帰るか」


 自分から切り上げた。


「え、もう?」

「暗くなるからな」


 理由としては、正しい。

 でも、本音は違う。


 これ以上、

 ここにいたら、

 自分が何を考えるか、分からなかった。


 並んで歩く帰り道。


 肩が触れそうで、

 触れない距離。


 今まで、

 何百回も通った道なのに。


 今日は、

 やけに長く感じる。


「ねえ」

「ん?」

「また、今年も聞いていい?」


「何を?」


 分かっているのに、聞き返す。


「彼女にして、って」


 当たり前みたいに。


 俺は、足を止めた。


 答えが、すぐに出てこない。


 否定も、肯定も、

 どちらも重い。


「ん……その話は」


 少しだけ、声を低くして。


「中学生になってからな……」


 これは逃げだ。

 でも、今はそれしかできない。


 愛結は、少しだけ目を細めて、

 それから頷いた。


「うん。そうだね」


 納得している顔。


 それが、

 逆にきつい。


 家の前。


「じゃあ、またね」

「ああ」


 手を振る。


 背中を向ける直前、

 愛結が、振り返った。


「ねえ、かずおに~ちゃん……」

「なに」

「今日のこと……」


 一拍。


「忘れないでね?」


 意味は、分からない。

 でも。


「ああ……」


 そう答えるしかなかった。


 部屋に戻って、

 ベッドに倒れ込む。


 天井を見ながら、

 さっきの公園を思い出す。


 同じ砂場。

 同じ距離。


 なのに。


「もう……俺、やばいな」


 小さく、呟く。


 年齢差という盾が、

 音もなく、砕けた気がした。


 愛結は、

 何も変えていない。


 変わったのは……

 それを見てしまった、俺の方だ。


 その事実だけが、

 胸に残って、

 静かに、熱を持っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『約束は、今度こそ本物』 ~幼馴染と十年越しの恋~ しゆう @togetogetogeji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ