第3話


目的は、更なる防衛のための資材、そして安定した電力――「発電機」の確保だ。

佐藤は公園の外へと足を踏み出した。郊外の街並みは、かつて彼が知っていた姿とは似ても似つかぬ惨状を呈している。アスファルトは、至る所で地割れを起こし、ひっくり返った軽自動車が四輪を天に晒して虫の死骸のように横たわっていた。

かつての生活の喧騒は完全に死に絶えた。聞こえてくるのは、遠くの路地でゾンビが引きずる足の裏の不気味な摩擦音と、風に舞うコンビニ袋が乾いた音を立てて転がる音だけだ。電線の鳴る音さえ聞こえない、不自然なほどの静寂。


「……文明が止まってから、そう時間は経ってねぇな。酸化も許容範囲内か」


佐藤は、路上に乗り捨てられたミニバンの前で足を止めた。車体には脱出を試みた際についたであろう凄惨な指紋の跡が残っているが、そんな「物語」に佐藤は興味を示さない。魔界の荒野で数多の戦場跡を見てきた彼にとって、これは単なる「放置車両」という名の不法投棄、あるいは「浮いた資材」に過ぎなかった。整理整頓(5S)がなされていない風景は、現場監督としての佐藤の神経を逆撫でする。


「あーあ、整理されてねぇ現場ほど、ろくな事故が起きねぇんだ。イライラさせんなよ、マジで……」


苛立ちを隠すように、佐藤は腰のベルトから【超硬合金製のバール】を抜き放った。それは魔界のドワーフ工が、現場監督(サトウ)のために「こいつがあれば魔王城の扉も抉じ開けられる」と豪語して打った逸品だ。彼は迷わず給油口のカバーにその鋭利な先端を突き立てた。

── ミリミリ、ッガシャアッ!!

金属が悲鳴を上げ、ロック機構ごとカバーが強引に剥がれ飛ぶ。露出した給油キャップを、魔界の過酷な現場で鍛え上げた鋼のような握力だけで捻り切った。


「……お、よしよし。まだ生きてるな、こいつは」


鼻をつくのは、死臭ではない。揮発したガソリンの、あの鼻に抜ける懐かしい刺激臭だ。

魔導蓄電槽(バッテリー)のエネルギーは、インベントリの容量を激しく圧迫する「魔石」を消費する。しかも魔石は魔界の現場で支給される「消耗品」であり、佐藤の持ち出し分は残り少ない。枯渇すれば、彼が持つ「魔導家電」の多くはただの重い鉄屑と化す。一方、日本の路上に転がる廃車は、佐藤の目には無限に広がる「無料の石油備蓄基地」にしか見えなかった。

佐藤はインベントリの奥底、雑多な端材の隙間に突っ込んでいた【魔界産・耐蝕ゴムホース】を取り出した。かつて魔王城の地下、劇物混じりの汚水を汲み出すために現地調達した、ドラゴンの腸の繊維を編み込んだ代物だ。日本のガソリンごときで溶けるようなヤワな造りではない。ホースの中間には、佐藤が廃材のバルブを組み合わせて自作した、手のひらサイズの「手動吸引ポンプ」が装着されている。


「……日本に帰ってきてまで、また、この泥臭ぇ作業をやることになるとはなぁ」


佐藤はホースの先端を給油口の奥深く、ガソリンが溜まっているタンクの底へと慎重に送り込んだ。カツ、とタンクの底に触れる確かな感触。


「……よっしゃ、当たりだ。まだたっぷり残ってやがる。残量確認、ヨシ!」


佐藤はポンプを力強く、一定のテンションを保ちながらリズミカルに揉んだ。

── シュポッ、シュポッ……。

透明な管を通って、琥珀色の液体が逆流防止弁を押し上げ、勢いよくせり上がってくる。佐藤はあらかじめ地面に置いていた、インベントリから出したばかりの【20Lの魔界産金属携行缶】の口へホースを突っ込んだ。

── トトトトト……。

重力に従い、サイフォンの原理でガソリンが移し替えられていく。佐藤はその間も、バールを片手に周囲の不安全要素(ゾンビ)に目を光らせていた。


「おい! そこの、産廃! ガタガタ揺れるなっつってんだろ! 火花が散ったらどうすんだよ。現場は火気厳禁だって、ガキでも知ってんぞ!」


近くの廃車の中に閉じ込められ、窓ガラスを叩いて暴れるゾンビに、佐藤は冷ややかな、それこそ資材を汚すカラスでも見るような視線を送る。

やがて、携行缶が心地よい重みを帯びた。佐藤はホースを引き抜き、慣れた手つきで末端をウエスで一滴残らず拭い、インベントリへと戻した。


「魔石に比べりゃエネルギー密度は低ぇが、汎用性はんようせいはこっちが上だ。何より、日本の機械は無理をさせなきゃ悲鳴を上げねぇ。仕様通りにカチッと動く。俺見たいなおっさんは、そういうのが一番好きなんだよな」


給油口を閉める手間さえ惜しみ、佐藤は満タンになった携行缶をインベントリのスロットへ放り込んだ。だが、そこで彼は眉間に皺を寄せた。「残量ゲージ」が警告の色を見せている。

インベントリの中身は、魔界での15年間の重労働の結晶だ。一枚で日本の豪邸が建つであろう魔金剛石のタイルや、最高級の外壁材、オリハルコン製の鋼。

だが、今の日本で「現場」を再建し、生き抜くには、これらを「整理」して、日本の規格品を受け入れるスペースを作らねばならない。


「……ったく、背に腹は代えられねぇか。整理整頓(5S)ってのは、時に捨てる勇気も必要だって、いつも若ぇのに言ってたっけな……」


やがて、目的地のホームセンターへと到着した。

目の前に広がっていたのは、かつて休日の家族連れで賑わったであろう大手店舗の変わり果てた姿だ。

自動ドアは無残に粉砕され、強化ガラスの破片が入り口付近にダイヤモンドの屑のように散らばっている。その白濁した輝きの上に、乾いて黒ずんだ血痕が、凄惨な点描画を描いていた。


「……こりゃあ、ひでぇ。資材も何もかも滅茶苦茶じゃねぇか」


足元には、逃げ惑う客が落とした軍手の束や、ひっくり返ったペンキ缶から流れ出した白い液体が、乾いた泥のようにこびりついている。


「まるで、不安全状態のバーゲンセールだな。管理責任者出てこいよ、くそっ」


一歩、店内に足を踏み入れる。

直射日光が届かない奥深くは、死の静寂と、木材と防腐剤、そしてわずかな死臭が混ざり合った「かつての日本」と「今の地獄」が入り混じる独特の空気に支配されていた。

暗がりの向こう、園芸コーナーで、赤いエプロンをつけたままのゾンビが数体、力なく徘徊している。

彼らは安全靴がガラス片を踏みしだく音を聞きつけ、喉を鳴らしながら、かつての接客スマイルを忘れた無表情で向きを変えた。


「……ったくよぉ、資材調達の邪魔だぞお前。悪いが、そこをどいてもらう。残業させるなよ」


佐藤は肩に担いでいたバールを、いつでも振り下ろせる位置へと下ろした。

彼の視線は、もはやゾンビを見てはいない。そのさらに奥――工具・機械売り場のコーナーに並んでいるはずの、HON〇AやY〇MAHAといった一流メーカーのロゴを冠した、信頼の「発電機」の影だけを追っていた。


「片付けるぞ。……これは、安全第一の為の『排除』だ。恨むなよ!?」


佐藤の目が、暗がりの中で現場監督特有の鋭さを帯びて光る。

グゥ、という喉を鳴らす音と共に、赤いエプロンのゾンビが襲いかかってきた。

かつては「いらっしゃいませ」と客を迎え入れていた手が、今は不浄な鉤爪となって迫る。

だが、佐藤の動きに無駄はない。


「動線確保。……邪魔だ、どけっ!」


最短距離。

肩から振り下ろされた【超硬合金製のバール】が、空気を切り裂く。

鈍い音と共に、ゾンビの頭蓋がヘルメットを被っていなかった代償を支払わされた。

一人、また一人。

佐藤にとって、これは「戦闘」ではない。通路に転がった産廃を、適切な処理場へと放り込むための「片付け」だ。

そして、佐藤はついに目的の棚へと到達した。


​「……お、いたいた。……ああ、これだよ、これ。この無骨なフォルム、たまらねぇな……」


佐藤が防災コーナーで見つけたのは、単なる「機械」ではない。それは、精密機械を動かすための絶対的な信頼の証だった。

​防災コーナーの最奥に鎮座する【ホ〇ダ 5.5kVA 正弦波インバーター発電機】。

赤い筐体は、暗闇の中でもなお、日本が誇る工業製品のプライドを失わずに鈍く光っている。

​佐藤は震える指先で、筐体に貼られたメーカーロゴと、その横に刻まれた「JIS」の文字をなぞった。魔界のどんな秘宝よりも、この三文字の方が、佐藤にとっては遥かに価値がある。

「……しかも正弦波インバーターじゃねぇか。分かってんじゃねぇか、この店の担当者はよぉ」

魔界の動力源は「ノイズ」の塊だった。魔石から取り出す魔力は波形が乱れ、繊細なタイプの魔導工具はすぐに焼き付くか暴走する。

だが、この「正弦波インバーター」を搭載した発電機は違う。

商用電源――つまり、かつて日本の壁のコンセントから流れていたものと同じ、歪みのない綺麗な「S字の波形(正弦波)」を作り出す。

「これなら、インパクトドライバーも、測定器も、パソコンも、壊れる心配(リスク)なしで回せる。矩形波(くけいは)の安モンじゃねぇ、正真正銘、現場の『A級電源』だ……」


​一般の発電機が作り出す荒っぽい電気(擬似正弦波や矩形波)では、マイコン制御の精密機器は誤作動を起こす。だが、インバーターで制御され、JIS規格に裏打ちされたこの正弦波なら、日本の誇る精密技術をそのままの性能で発揮させることができるのだ。


​「……おいおい、新品(さら)かよ。オイルも入ってねぇ、ピカピカの箱入り娘じゃねぇか。最高だ、拝みてぇぐらいだよ。魔界のあの、魔力供給が不安定で、一分ごとに電圧が変わるクソみたいな環境とはおさらばだ」


​魔界の現場では、魔導師の体調一つで電圧がブレ、大切な工具が火を噴くことも珍しくなかった。

だが、こいつは違う。燃料を食わせ、手順通りに紐を引けば、設計図通りの仕事を淡々とこなす。

「魔石に比べりゃエネルギー密度は低ぇが、汎用性と安定性はこっちが上だ。何より、日本の機械は無理をさせなきゃ絶対に悲鳴を上げねぇ。いい子だな、お前は……」


​佐藤は愛おしそうに発電機を抱え上げると、インベントリの整理を開始した。


「……悪りぃな、魔界のガーゴイル像。お前、重いしデカいんだよ。今の日本じゃ価値はねーし、ここで退場だ」


他にも一枚で城が建つほどの価値がある「魔金剛石のタイル」を床にドサリと捨て、空いたスペースに新品の発電機と20Lの携行缶をねじ込む。

さらに資材コーナーへ向かうと、そこには佐藤の心を癒す「単管パイプ」の山があった。


「48.6ミリ……。これだよ。この均一性、この安心感。見てるだけで酒が飲めるな」


魔界の資材は個体差が激しく、現場で削って合わせるのが当たり前だった。だが、日本のJIS規格品は違う。どれを手に取っても、完璧に同じ規格、同じ強度。


「たまらん。この『予測可能性』こそが、安全管理の極意なんだ。職人泣かせのツンデレ仕様だが、施行管理(おれたち)にとっては天国だぜ」


佐藤は、【JIS規格の単管パイプ】、強固な【直交クランプ】、さらに棚から未開封の【エンジンオイル】、【点火プラグ】、【延長コード】、そして【防虫用の養生テープ】等を次々と「調達」していく。監督としての嗅覚が、必要な資材を瞬時に選別していく。


「……さて、予定(工程)より少し早いが、今日はもう上がらせてもらうか」


出口へと向かう途中、ふと、飲料コーナーが目に入った。

割れたショーケースの奥、常温になったまま奇跡的に残っていた「それ」を見つけた瞬間、佐藤の頬がわずかに緩んだ。


「……おまけのボーナス、ってとこだな。これも立派な『必要経費』だ。誰も文句は言わねぇだろ」


佐藤は黄金色の液体が詰まったアルミ缶を手に取り、インベントリのスロットへと丁重に収めた。

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