小説:副島
枝吉
小説:副島
<!-- 副島(校正刷・第3稿/他人の声つき) -->
<document id="proof_3">
<title>副島(校正刷・第3稿/他人の声つき)</title>
<p>私は中学一年の初期、ほとんど喋らなかった。</p>
<comment by="校正者A">「喋らなかった」より「喋れなかった」の方が正確では</comment>
<p>……いや、喋らなかった。選択だった。たぶん。</p>
<p>別に人が嫌いだったわけではない。</p>
<comment by="校正者B">言い訳に聞こえる。削ってもいい</comment>
<p>削らない。私はこの一文にしがみついている。</p>
<p>私は教室の隅で、窓の外を見るのが好きだった。</p>
<comment by="校正者A">「好きだった」? 逃げてただけでは</comment>
<p>逃げていたのかもしれない。逃げていると、よく見えることがある。</p>
<p>そんな私に最初に話しかけてきたのは、だいたい変な人だった。</p>
<comment by="校正者B">「変な」の定義を</comment>
<p>定義できないから変なのだと思う。</p>
<p>ある人は、私の名前を覚えなかった。</p>
<p>そのくせ林間学校で同じ班になると、「副島の本性を暴いてやる」と言ってきた。</p>
<comment by="校正者C">この人、好きなんでしょ</comment>
<p>ちがう。たぶん。勢いがすごかっただけだ。</p>
<p>ある人は、始業式の最中に話しかけてきて、私が怒られた。</p>
<comment by="校正者B">不憫</comment>
<p>不憫だが、面白かった。私は怒られるという経験を、あのとき初めて「イベント」として受け取った。</p>
<p>ある人は、「このクラスにミツイシって人いる?」と聞いてきた。</p>
<p>いなかった。</p>
<comment by="校正者A">なぜ聞いた</comment>
<p>知らない。設計図のようなものを書いていた。世界は彼の方にだけ開いていた。</p>
<p>ある人は、初対面で顎を掴み、喉仏を殴ってきた。</p>
<comment by="全員">犯罪</comment>
<p>犯罪だと思う。でも私は笑ってしまった。笑ってしまったことが、いちばん変だ。</p>
<p>私は彼らが少しずつズレていて、少しずつうるさくて、少しずつ面倒だったことを覚えている。</p>
<p>でも嫌いにはならなかった。</p>
<comment by="校正者A">なぜ</comment>
<p>たぶん、彼らはいつもこちら側に踏み込んできたからだ。私は一度も踏み込まなかったのに。</p>
<p>私は聞いていた。彼らは話していた。</p>
<p>それだけの関係で、十分だった。</p>
<comment by="校正者B">結論が弱い</comment>
<p>そうかもしれない。だから私は、今も書き直している。</p>
<p>私は普通だ。</p>
<comment by="全員">本当に?</comment>
<p>わからない。たぶん、普通であろうとしている。</p>
<p>私は変人に好かれる。</p>
<comment by="校正者C">それがもう答え</comment>
<status>校正未了</status>
</document>
<section class="narration">
<p>私は叔父のことを語ろうとしている。</p>
<p>とは書いたものの、果たして私が語ろうとしていることが叔父のことなのか、私にはよく分かっていない。それにどうも、私が誰かに語られているような気がしてならない。</p>
<p>この小説は、小説なのかも私には分からないが、中学時代の叔父によって書かれた原稿、および叔父に関する私のスケッチなどで構成されることになる。するとやはり、これは叔父に関する小説なのだ。</p>
<p>テーマ性を明らかにするために、叔父のことをこれから、
<span class="name">副島</span>
と呼ぶことにする。叔父の名は副島雅種であり、その兄の子である私の姓も副島であるが、小説は私の一人称で進めるため問題はないであろう。ただし普段からかれを「叔父」と呼んでいた私が、途端に副島呼びに切り替えることは中々慣れない、ややもすると「叔父」と表記することが今後あるかもしれないが、読者諸君には温かい目で見て欲しい。</p>
<p class="restate">念のため言い換えておけば、私は副島のことを語ろうとしている。</p>
<p>冒頭に引用したものは、副島の中学の卒業文集の原稿である。変人に好かれるという特質、その変人たちとの交流による副島の人間的な成長について書かれており、副島を語る上で重要なテキストであることに間違いはない</p>
<p>私はこの原稿を、副島の書斎に置かれたノートパソコンから発見したが、そのときのことは後述する。</p>
<p>この原稿を一読した上で読者の注意を引くのは、おそらく校正者の存在である。三人の校正者A、B、Cが、原稿にコメントし、副島はこの校正に対してコメントを残し、書き直した形跡が見られる。いわば副島と校正者の対話により成り立つこの原稿には、校正稿と題がつき、終末には校正未了とある。つまりこの原稿は完成稿でない。</p>
<p>また、この校正者なるものが副島の親か、兄弟(つまり私の父である可能性も含まれるわけだが)か、教師か、はたまた副島自身なのかは、この原稿のみからは読み取ることができない。</p>
<p>また、小説的観点から見れば、本稿はメタフィクションということになり、古くはボルヘスにその萌芽が見られ、スタニスワフ・レムが架空の本の書評などを書いて踏襲し、日本では筒井康隆、円城塔らが執筆している。叔父の書斎にはこれらの作品が多く並んでいたし、副島がそれを読むところを幼少期の私は目撃している。であるからして、うら若き副島が冬休みの嗜みとしてメタフィクション風の原稿をおろしてみたというのが、一般の読者にとって最も納得できる見解であろう。</p>
</section>
<document id="sketch_1" role="memory">
<p>小学校の頃の話だ。</p>
<p>
私は勉強をしなかった。正確に言うならば、家で勉強をしなかった。
宿題も、予習も復習も。学校から帰ったら、タブレットはそのまま閉じて、
外に出るか、天井を眺めていた。残念ながら私の家には、副島のように蔵書はなかった。
</p>
<p>
でも私は、テストでは毎回満点を取った。
授業の最後にタブレットに送られるテスト問題には、
選択式と短文入力式が含まれ、制限時間は10分だった。
授業を聞いていれば、たいていはそのまま解けた。
</p>
<p>
最初こそ、先生が褒めてくれるのに喜んだ。
「すごいね」「よくできてるね」「どうやって勉強してるの?」
これにほとほと困った。勉強なんかしていなかったからだ。
</p>
<p>
遅れてクラスに、私の成績の良さが知れ渡る。
「毎回満点じゃん」「家でめっちゃ勉強してんでしょ」「ガリ勉じゃん」
誰かが言って、誰かが笑う。
</p>
<p>
笑いは軽くて、悪意は薄い。
でもそれは確かに境界で、私はそこから外に出されたのだった。
</p>
<p>
あるとき誰かが言った。「副島、浮いてるよね」
</p>
<p>
浮いてるとはつまり、沈んでいないのだった。
でも、飛んでもいないのだった。
それは、どこにも接していないということ。
</p>
<p>普通になりたい。そう、私は思った。</p>
<p>
ある夏の日、私は副島に打ち明けたことがある。
かれは海の見える家に住んでいた。白い壁、窓が多く、風がよく通った。
両親に連れられて、夏休みによく私はその家を訪れた。
</p>
<p>
副島は本を読んでいた。話すより読むほうが多かった。
お陰で暇な私は、かれの書斎にある本を手に取ることになった。
かれはしきりに奇天烈な小説を薦めてきたが、私はエンタメ小説を好んだ。
</p>
<p>
そのときも、副島は縁側で本を読んでいたように思う。
普通になりたいんだと私が言うと、副島は本を閉じた。
栞は、挟んでいなかった。
</p>
<p>「どうして?」</p>
<p>
私は、答えられなかった。
頭にはたくさんの言葉が巡ったけれど、
どれも正解ではないように思った。
</p>
<p>「普通って、便利な言葉だよ」</p>
<p>「便利」</p>
<p>「説明しなくていいから」</p>
<p>
それから、叔父は言った。
「でも君は、その普通を考えている。
その時点で、君は普通ではいられない」
</p>
<p>
慰められたのか、突き放されたのかさえ、私には分からなかった。
ただその、ものすごく静かな物言いは美しかった。
</p>
</document>
<narration>
<p>
やや唐突ながら引用した上記のスケッチ1で描かれている対話は、
私と副島との交流のうち、最も象徴的なものである。
</p>
<p>
副島の原稿および記録や証言に度々現れる「普通」というワードを、
幼少期の私がすでに副島に投げかけていたことは、
ある種の符合であるようにも思われる。
</p>
<p>それは、</p>
<ul>
<li>運命的か。</li>
<li>遺伝的か。</li>
</ul>
<p>私は、その両方を肯定したい。</p>
<p>もっとも、これは私の言い方だ。</p>
<p>副島なら、こう書いただろう。</p>
</narration>
<manuscript author="副島" mode="hypothetical">
<analysis>
<item>語り手は、幼少期にすでに「普通」という語を使用している。</item>
<item>この語は、後述の原稿においても反復される。</item>
</analysis>
<analysis>
<item>反復は偶然か。</item>
<item>継承か。</item>
</analysis>
<final>
<item>両者は排他的ではない。</item>
</final>
</manuscript>
<narration>
<p>彼はきっと、そう書いた。</p>
<p>だから私は、そうは書かなかった。</p>
<p>――と、こう遊んでみたところで。</p>
<p>叔父はもう、この世にいないのである。</p>
</narration>
<testimonies about="death">
<testimony who="近隣住民(当日朝)" style="spoken">
ええと、私が見たのは、その日の朝なんですけどね。
いつも通る道なんですよ、あの家の前。
海のほうに抜ける細い道で、白い壁の家があって、
ほら、窓が多くて、風が通りそうな、あの家です。
で、門がちょっと開いてたんです。
いつもは閉まってるから、あれ?って思って。
でも別に、騒ぎがあったとか、音がしたとか、
そういうのは、なかったです。
叔父さん――ええ、副島さんですよね、
その人が縁側に座ってるのが見えて。
いつも本を読んでる感じで、だから最初、
ああ、今日も読んでるな、くらいに思ったんです。
ただ、ちょっと姿勢が変で。
こう、背もたれに寄りかかるでもなく、
しゃんと座るでもなくて、
途中で時間が止まったみたいな座り方で。
声をかけようかとも思ったんですけど、
知り合いってほどでもないし、
まあ、いいかって、そのまま通り過ぎて。
あとから救急車が来たって聞いて、
ああ、あれか、って思いました。
苦しそうには、見えなかったです。
寝てるみたいでもなかった。
ただ、もう、動いてない人、って感じでした。
それだけです。
</testimony>
<testimony who="母" style="spoken">
あの人ね、ずっと無理してたと思うの。
体のことじゃなくて、頭のほう。
ほら、あの人、黙ってるでしょう。
何も言わないから、何も考えてないみたいに見えるけど、
逆なのよ。ああいう人ほど、ずっと何か考えてるの。
私、一回だけ聞いたことあるの。
「最近ちゃんと寝てる?」って。
そしたら、「寝てるよ」って言ったけど、
その言い方がね、もう、寝てない人の言い方だった。
だからね、私は思ってるの。
心臓とか、脳とか、そういう名前のつく場所じゃなくて、
考えすぎた結果なんじゃないかって。
そういう死に方も、あると思うのよ。
</testimony>
<testimony who="父" style="spoken">
死因は心不全って聞いたけどな。
医者がそう言った。
まあ、年も年だったし。
酒も飲んでたし、タバコも吸ってたし。
特別なことじゃない。
それよりさ、
本が散らかってたって聞いたけど、
あれ、誰が片づけたんだ?
</testimony>
<testimony who="主治医" style="spoken">
診断書上は、急性心不全です。
ただ、「急性心不全」というのはですね、
原因の名前ではなく、結果の名前です。
心臓が止まった、というだけの話で。
なぜ止まったかは、分かりません。
分かる場合もありますが、今回は分からない。
それだけです。
</testimony>
<testimony who="私" style="spoken">
私は、何も見ていない。
見ていないけれど、
あの人が縁側でひっそりと死んだのだ、という話を聞いたとき、ああ、と思った。
止まるなら、あそこだと思った。それは本の途中で、風の途中で、言葉の途中で。
だから、死因が何であれ、あの人は、あの人の場所で死んだのだと思うのだ。
</testimony>
</testimonies>
<narration>
<p>
この証言録は、副島の死から数日も経たないうちに、
私が書き留めたものである。
</p>
<p>
したがって、筆致はやや感傷的である。
ただ、それくらいの文章が紛れ込んでいても、
副島はおそらく咎めなかっただろう。
事実、私は今だって感傷的なのだ。副島がいなくなってから、私は、考えなくてもいいことを考えるようになった。それは多分、かれが考えてくれていた部分だった。かれの声を聴くと、文章を読むと、呼吸が一拍遅れるように感じた。だれの言葉でも、そうはならないと思った。これを恋と呼ぶのなら、それでいい。
だから私は、副島の死後、かれの家を訪れた。かれの言葉を、求めていたのかもしれなかった。
以下にその顛末を記したスケッチ12を引用しよう。
</p>
</narration>
<document id="sketch12">
<narration>
<p>電車は無人運転で、静かだった。窓に海が続いていた。</p>
<p>
叔父の家は、前来たときと何も変わっていなかった。
鍵の位置も、玄関の匂いも、風の通りさえ。
ただ、本人だけがいないのだった。
</p>
<p>私は書斎に行った。</p>
<p>机の上に、ノートパソコンが置かれていた。</p>
<p>開くと、暗い画面に薄く私の顔が映った。</p>
<p>ログイン画面が表示され、パスワードを入力した。子供の頃から見ていて、覚えていたのだ。</p>
<p>デスクトップは妙に整っていて、ファイル名も簡素だった。</p>
<p>だが一つ、特異なファイルがあった。</p>
<p>それが
<code>graduation-entry.draft.html</code> という名前のファイル――その「校正稿」、すなわち小説冒頭に引用した原稿である。</p>
<p>読み終えて、私は顔を上げた。そのとき背後の本棚から、本が崩れ落ちる。この出来事に何か暗示的要素を見出すことはできない。本は私の後頭部に当たる。落ちた本を、丁重に本棚に戻しながら。</p>
<p>そのとき、その声を聴いたのだ。</p>
<testimony who="?" style="spoken">
<p>大丈夫?</p>
</testimony>
<p>それは紛うことなき、叔父の声だった。</p>
</document>
<section id="sketch-5" data-sketch="5" style="font-family:serif; line-height:1.9; color:#222; background:#fdfcf8; padding:2em;">
<p>昼過ぎの光が縁側と廊下を白くして、家の中に埃の粒がゆっくりと浮いている。厚く気怠い、夏の午後である。<br>
ふと、冷蔵庫を開ける。
<strong>「……ない」</strong>
</p>
<p>書斎の扉は少しだけ開いていて、中から、キーボードを打つ音。一定のリズム、乾いた音。<br>
書斎の前に立ち、中を覗く。</p>
<p>副島はノートパソコンに向かっていた。机の上には分厚い本が積まれ、メモが何枚も挟まっている。ペン立てには色とりどりのペンが無造作に立っており、日の光を眼鏡の縁が反射している。時折考え込むように眉をひそめ、そのたびに古い椅子がきしむのだった。</p>
<p>「叔父さん」<br>
控え目に声を掛ける。副島は読書や仕事の最中に私が声を掛けても、怒ることはなかった。<br>
かれは少し遅れて顔を上げた。「なに?」<br>
「アイス、なくなってる」<br>
「……そう」</p>
<p>副島は画面に目を落としてから、ノートパソコンを閉じて立ち上がる。その所作の一つ一つに、私は思わず見入る。それはまるで、何かの儀式のようなのだ。</p>
<p>「じゃあ、買いに行ってくるよ」<br>
「えっ」<br>
「薬局行こうかな、安いからね」<br>
その言い草は、いつもより庶民的で、嬉しくなる。</p>
<p>「でも、大丈夫なの?」<br>
「なにが」<br>
「叔父さん、方向音痴でしょ」<br>
「なんで知ってるんだ」<br>
「経験則」<br>
「……さすがに近所で迷うことはない」
「でも、ついていくよ。いいよね?」
副島は少し考えてから、「勿論だ」と答える。</p>
<p>副島の後をついて、家を出て、細い路地に入る。これが商店街に通じているのだ。<br>
靴紐を結ぶためにしゃがみ込む。<br>
顔を上げて、私ははっとする。</p>
<p style="font-size:1.2em; font-weight:bold;">
「叔父さん……?」</p>
<p>副島がいないのだ。さっきまで、前にいたはずなのに。</p>
<hr>
<div style="background:#111; color:#eee; padding:2em; border-radius:12px; box-shadow:0 0 30px rgba(0,0,0,0.4);">
<p>路地を抜けて、商店街に出る。向こうに、薬局の看板が見える。白地に赤い文字。角張ったフォント。あれだ。</p>
<div style="text-align:center; font-size:1.4em; letter-spacing:0.2em;">
<span>走る。</span>
<span>走る。</span>
<span>走る。</span>
</div>
<p style="text-align:center; font-style:italic; opacity:0.8;">
repeat(repeat(repeat(走る)))
</p>
<p>息が切れる。だが、たどり着けない。看板は、同じ場所にある。遠くに、赤く浮いたままある。</p>
<p>もう一度、走る。今度はさっきより速く。腕を振るって、足を上げて。<br>
でも、たどり着けない。風景だけが横にずれる。横の家並みが変わる。電柱の番号が変わる。看板の距離は縮まらない。</p>
<p style="font-size:0.9em; opacity:0.7;">
走る。/走る。/走る。/戻る。/走る。/戻る。/走る。/戻る。
</p>
<p>私は止まった。そこは路地だった。さっき見た家だ。さっき見た塀だ。さっき見た影なのだ。私は戻ってきていた。</p>
<p>目を閉じて、その場に座り込んだ。息が荒い。心臓がうるさい。ただ、何かが通り過ぎるのを待つしかなかった。</p>
</div>
<br>
<p style="text-align:center; font-size:1.4em; font-weight:bold;">「大丈夫?」</p>
<p>すぐ側で、声がした。目を開けると、かれがいた。
「どこにいたの」</p>
<p>「すまない」と副島は言った。「説明は難しいんだけど、私はそういう、逸脱を引き寄せる体質でね。いわゆる怪異というか」</p>
<p>私はすぐには納得できなかった。
副島は続けた。「まさか引き離されることになるとは思わなかったんだ。油断した」
ただ、戻ってきたことだけが確かだった。</p>
<p>商店街に出て、薬局でアイスを買う。<br>
小さい公園。ブランコとベンチと、乾いた砂場があるだけの。</p>
<p>「もうどろどろだよ」<br>
「叔父さん、何のアイスが好き?」<br>
「バニラ」<br>
「即答。てか、普通だねえ」<br>
「だからいいんだよ」<br>
「……そだね」</p>
<p>「そんなこと言いながら、君はいつも、変なことばかり考えていそうだ」<br>
「それは叔父さんもでしょ」</p>
<p>「いや、私は普通だ」</p>
<p style="font-style:italic; opacity:0.8;">
その口ぶりには、いくらかの諦めが滲んでいるように思った。
</p>
</document>
<document id="sketch12">
<narration>
<p>私は、一瞬何が起きているのか理解できなかった。叔父が生きているのか、それとも幻なのか。胸の奥がざわついた。</p>
</narration>
<testimony who="?”="校正者B" style="spoken">
<p>落ち着いて。僕は校正者Bだ。</p>
<p>この声は、叔父そのものではない。私たち校正者は、この原稿に封じられた副島のコピーなのだ。開かれた瞬間、可聴化される――つまり、君の耳に届くようにされているだけだ。</p>
</testimony>
<narration>
<p>一度、頭を抱えたくなるような話だった。</p>
<p>声は、確かに叔父そのもののように聞こえる。しかし、それが物理的に存在しているわけではないというのだ。</p>
<p>心臓の鼓動が早くなる。これは現実なのか、あるいは原稿の中の幻なのか。</p>
</narration>
<testimony who="校正者B" style="spoken">
<p>混乱するのも当然だ。まず、その原稿の最後にある、リンクを開くことを勧めるよ。君の助けになるはずだ。</p>
</testimony>
<testimony who="校正者A" style="spoken">
<p>いや、開かないほうがいい。</p>
<p>不用意にリンクを開くと、余計なことになるかもしれない。</p>
</testimony>
<testimony who="校正者C" style="spoken">
<p>まあ……どちらでも、君の判断次第かな。</p>
</testimony>
<narration>
<p>三者三様の声を耳にしながら、私は少しずつ現実を理解しつつも、混乱の余韻を抱えたまま、リンクを開く決意をした。それは、副島がその向こうで待っている気がしたからかもしれなかった。</p>
</narration>
<!-- 副島(記録と証言) -->
<document id="records">
<title>副島(記録と証言)</title>
<record cam="2" time="08:14">個体S、着席。窓方向を向く。発話なし。</record>
<record cam="2" time="08:17">後方個体D、Sに接近。発話あり(内容不明)。</record>
<record cam="2" time="08:17:05">教員、注意。対象はS。</record>
<testimony who="教師">静かな生徒です。トラブルは起こしません。ただ、なぜか巻き込まれます。</testimony>
<record time="11:32">個体A、「本性を暴く」と発話。笑い声あり。S、0.8秒沈黙後、眉をひそめる。</record>
<testimony who="同級生">副島って普通じゃん。でも周りに変なの集まるよね。</testimony>
<record time="14:05">後方個体E、「ミツイシ」と発話。紙面に不明な図形を描写。S、2秒凝視。</record>
<testimony who="別クラス">あの設計図の人? あれ副島じゃなかった?</testimony>
<record time="09:41">個体F、Sの顎部に接触。喉部に打撃。S、笑い声(短)。周囲、静止。</record>
<testimony who="通行人">いや、あいつやばいでしょ。副島じゃなくて。</testimony>
<analysis>
<item>Sは自発的接触を行わない。</item>
<item>Sは接触を拒否しない。</item>
<item>Sは記録上「普通」と分類される。</item>
<item>ただし周辺に逸脱個体が集積する傾向あり。</item>
</analysis>
<final>S:normal? / abnormal? / medium</final>
<note>本記録は事実のみを含む。意味は含まない。</note>
</document>
<document id="soejima_branch_dictionary_rendered">
<narration>
<p>私はその下のリンクをダブルクリックして開く。</p>
</narration>
<document id="branch_dictionary_v2">
<title>副島(分岐辞典・崩壊版)</title>
<entry id="soejima">
<word>副島</word>
<def>名詞/状態/装置。</def>
<def>教室の隅に存在する静止物。</def>
<def>変人を引き寄せる空白。</def>
<def>普通であろうとする失敗。</def>
<examples>
<item>副島がいると、誰かが変になる。</item>
<item>副島は原因ではない(※諸説あり)。</item>
</examples>
</entry>
</document>
<narration>
<p>「装置」という言い方に、私はちらりと不快感を抱く。私はこの家で、叔父と人間として接してきたからだ。</p>
<p>しかし確かに、副島の特性を考えてみれば、その世界に対するあり方を見れば、かれは確かに、人間とは言い難い。</p>
</narration>
<document id="strange_person">
<entry id="strange_person">
<word>変人</word>
<def>副島に接触することで観測される存在。</def>
<classification>
<type>A型:過剰発話</type>
<type>B型:侵入(物理)</type>
<type>C型:意味破壊(「ミツイシ」)</type>
</classification>
<note>副島がいなければ、彼らはただの人。</note>
</entry>
</document>
<narration>
<p>なるほど、副島が存在することで変人は観測され、そして原稿を読んでいる私は、その観測者であると言える。</p>
<p>そこまで考えて、私は気付く。ここが副島の書斎ではないことに。ここは、</p>
<p>「……教室……?」</p>
<p>黒板の両脇にドア。向かいの窓からは霊園が覗かれ、基本7×7で椅子が配置されている。私は教壇に座っており、右手一番後ろに、誰かが座っている。ああ。副島だ。</p>
</narration>
<branching>
<start>
<scene>私は教室にいる。 副島である。</scene>
</start>
<observers>
<observer id="A">校正者A:やめろ。この世界に干渉したって何にもならない。</observer>
<observer id="B">校正者B:いや、話しかけるべきだ。機会は二度とない。</observer>
<observer id="C">校正者C:よく見てよ。 誰もいないじゃないか。</observer>
</observers>
<interface>
<option id="talk">話しかける</option>
<option id="ignore">無視する</option>
<option id="none">そもそも存在しない</option>
</interface>
</branching>
<narration>
<p>私は教壇から立ち上がって、副島の居る方へ行く。</p>
</narration>
<route id="talk">
<action>私「……」</action>
<reaction>副島「え?」</reaction>
<result>会話、発生せず。</result>
<update dictionary="会話" value="試み"/>
</route>
<narration>
<p>「え?」</p>
<p>いつの間にか、教壇に戻ってきている。再び眼前に文字が立ち上がる。</p>
</narration>
<route id="ignore">
<appearance>すると、別人が現れる。 記録や証言の言葉を借りれば、別個体である。</appearance>
<action>「副島の本性を暴く」と発話する。</action>
<result>副島、暴かれる対象を持たない。</result>
<update dictionary="本性" value="空欄"/>
</route>
<narration>
<p>再び教壇に戻っている。今の個体は、変人A、過剰発話型であろう。私が話しかけなかったことで、変人Aが副島に接触したと考えられる。なるほどこれが、別世界の干渉を免れた、副島の正しい世界であるのだろう。</p>
<p>再び選択肢が浮かび上がり、私は最後の一つを選択する。</p>
</narration>
<route id="none">
<action>変人は誰にも接触できず、世界は平坦になる。</action>
<effect>というより、副島が存在しないために変人も存在しない。</effect>
<effect>平坦な世界は退屈で、誰も覚えていない。</effect>
<update dictionary="副島" value="必要悪"/>
</route>
<narration>
<p>校正者たちの言は、三者三様ながらすべて正しかったのだ。校正者が副島のコピーであることを考えれば、当然かもしれない。ただ、私は「必要悪」という言葉に引っかかる。この文脈でいえば副島はたしかに「必要」ではあるが、「悪」ではないと思ったからだ。ここに副島の僻みが入っているように思えなくもない。</p>
</narration>
<entry id="normal">
<word>普通</word>
<def>誰もがなりたがり、誰も定義できないもの。</def>
<synonyms>平均/安全/退屈/透明。</synonyms>
<antonym>副島(※暫定)</antonym>
</entry>
<branching type="recursion">
<scene>私はもう一度教室にいる。 副島である。</scene>
<option>話しかける(ループ)</option>
<option>無視する(ループ)</option>
<option id="close_dictionary">辞書を閉じる</option>
</branching>
<observers>
<observer>校正者ABC「辞書を閉じなさい」</observer>
</observers>
<narration>
<p>校正者の意見が一致する。私の意見も一致している。</p>
</narration>
<route id="close_dictionary">
<effect>辞書が閉じると、言葉は世界に戻る。</effect>
<effect>世界は少しうるさくなる。</effect>
<effect>私は少し喋るようになる。</effect>
<update dictionary="成長" value="微量"/>
</route>
<final_entry>
<word>私</word>
<def>副島を読んでいる存在。</def>
<def>副島を観測している変人。</def>
<def>副島の次の分岐。</def>
<note>この辞書は未完成である。 完成すると、私がいなくなる。</note>
</final_entry>
<narration>
<p>原稿、或いは辞書を閉じた。言葉は辞書に戻る。世界は少しうるさくなっている。でも、私は一言も喋ろうとはしていないのだった。</p>
</narration>
</document>
<document id="soejima_integrated">
<title>副島</title>
<prologue>
あなたにはもう分かっているかもしれない。私には後から説明する癖がある。だから私は、叔父のことも、こうして語っている。
叔父はただの叔父だ。書斎で何かを書く。甘党。バニラ派。方向音痴。庶民的。怒らない。
自分から普通だと言う。少し変わった、多分、優しい大人。それが、表に見える叔父だった。機能としては、多分違う。
</prologue>
<p>副島は普通です。</p>
<p>副島は普通です。</p>
<p>副島は普通です。</p>
<comment>(※三回書くと事実になります)</comment>
<log time="08:14">副島、座る。</log>
<log time="08:14">世界、ずれる。</log>
<log time="08:15">変人、生成。</log>
<dialogue>「このクラスにミツイシいる?」</dialogue>
<dialogue>「いない」</dialogue>
<dialogue>「じゃあ設計図書くね」</dialogue>
<section title="設計図">
<flow>□→□→副島→□→笑い→□</flow>
<note>(どれも意味ではない)</note>
</section>
<fragment>顎。</fragment>
<fragment>喉仏。</fragment>
<event>イベント発生。</event>
<state>周囲、静止。</state>
<action>副島、笑う。</action>
<comment>(笑ったことはログに残らない)</comment>
<analysis>
心理的には、叔父は怖がらない。諦めている。普通にはなるない。普通を信じ切れない。それでも普通だと言い張るしかない。
じゃあ、私は。
</analysis>
<p>副島は普通です。</p>
<p>普通の人は三回も言いません。</p>
<classification>
<type>変人A:侵入型</type>
<type>変人B:過剰発話型</type>
<type>変人C:衝突型</type>
<type>副島:空白</type>
</classification>
<p>空白は内容を吸う。</p>
<p>空白は騒音を集める。</p>
<p>空白は自分の形を持たない。</p>
<dialogue>「副島の本性を暴く」</dialogue>
<p>暴かれるべき本性は存在しない。</p>
<p>存在しないものは何度でも暴かれる。</p>
<observer>
私は。 私は、見てしまう。 ずれた瞬間に気づいてしまう。 そして意味を考えてしまう。
私は観測者で、同時に被験者だ。 巻き込まれて、あとから翻訳して、体験に意味をつける。
私がいなければ、逸脱は起きていないのと同じだ。 少なくとも、誰にも認識されない。
だから私は、異常を怖がるし、混乱するし、でも目を逸らさない。 わかろうとする。
</observer>
<logic>副島=普通?</logic>
<logic>普通=平均?</logic>
<logic>平均=安全?</logic>
<logic>安全=退屈?</logic>
<logic>退屈=死?</logic>
<logic>死=普通?</logic>
<note>(ループ検出)</note>
<log time="08:14">副島、座る。</log>
<log time="08:15">世界、ずれる。</log>
<log time="08:16">読者、混乱。</log>
<p>副島は普通です。</p>
<comment>(※この文は自動生成です)</comment>
<comment>(※この文はあなたの声です)</comment>
<comment>(※この文は誰の声でもありません)</comment>
<epilogue>
叔父は受け入れる側で、私は問い続ける側だ。 それだけの違いなのに、たまにその距離はとても遠い。
叔父は世界の内部に溶けている異常で、 私は世界の外縁でそれを見る意識だ。
だからたぶん、この二人は対ではない。 非対称の二点だ。
叔父がいなければ、世界は平板で、 私がいなければ、世界は意味を持たない。
二人がいて、はじめて物語が成立する。
</epilogue>
<final_state>
<label>【最終状態】</label>
<status>副島:normal? / strange? / medium?</status>
<status>状態:未確定</status>
<status>理由:世界側のバグ</status>
</final_state>
<system>終了。再起動しますか?</system>
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