episode.4
「ッ……!」
崖下に落ちゆく小石に目を遣ると、底は闇に包まれていた。何も見えない闇の中に小石は消滅した。
なぜかは分からなかったが、その闇の中を覗きたくはなかった。スマホのライトで照らせばかろうじて見ることはできるだろうに、どうしてかそうする勇気が出なかった。
「ハッ……ハッ……」
酷い動悸がする中、僕は崖を背にして逃げ出した。
ダメだ……! あそこには近づいてはいけない。近づいてはいけなかったんだ。幽霊ってのは……本当にいるのか……!?
ザッザッザッ
ただがむしゃらに走り続け、僕の周りには荒れた息と地面を蹴る音だけが流れた。冷たい空気が頬を刺す。視界が点滅するように痛い。
早く山を出なければならない。テントに……できることなら街にでも行かないと……! 龍斗には悪いが、アイツを探すのは後回しだ。すまない……本当にすまないが……
「ッ!?……ゔっ」
瞬間、生ぬるい息が僕の口から吐き出された。背中から腹にかけて、何か異常なまでに熱い感覚が貫いていた。
ドク……ドク……
視線を落とすと何か分からないが、銀色の細い板が僕の腹を後ろから突き刺していた。……包丁? ……どうして……こんなものが……
「なんで今日は二人も来たんだ? あ?」
振り返ると、僕のすぐ背後には見知らぬ老いた男が立っていた。そしてその男は手に包丁を握っているのが見えた。
「ゔっ……あぁ……」
男は僕の身体から包丁を引き抜き、顔面を勢いよく殴りつけた。僕は抵抗もできずに地面に倒れ込み、そのまま光を失った。
ジワジワと土が赤く染まっていった。僕の身体は次第に熱を失い、外気との境界が無くなるようだった。
「……?」
いつからか、僕の身体は地面に倒れる感覚を忘れていた。男に引き摺られ、移動させられていたのだ。
ザザザザザザ……
重く鈍い音が地面から流れていた。僕は……どこに運ばれているんだ……?
薄い意識の中、疑問と恐怖だけが僕の心の中にはあった。どうにかして生き延びることはできないか? どうにかして、この男から逃げ出すことはできないか……?
けれど力が入らない。目を開くことも簡単ではない。立てもしない。歩けるわけがない。
数分もしないうちに、地面を引き摺る音はしなくなった。なんだ……? どこかに到着したのか……?僕は力を振り絞って目を見開いた。
「ッ……!!」
「後でちゃんと回収してやるからよ。とりあえず死んどいてくれ。まだ眠いんだよ」
一瞬、僕の身体は宙を舞った。月光が眩しいせいで、老人の顔を確認することは最期まで叶わなかった。
ただ一つ、確かなことはあった。あの男は幽霊などではない。幽霊が、僕の身体に干渉することなどできるわけがないのだから。
ゴッ……ガツッ…………グシャ……
鈍い音を奏でながら翔也の身体は崖下に落ちていった。頭から、胸から、四肢から……全身から血やら肉やら骨やらが溢れ出した。
「カッ……ヒュ…………」
呼吸ができなかった。肺が潰れ、肉体もかろうじて限界を留めている程度だったのだから、その一瞬だけでも生きているのが不思議なほどだった。
男はその様子を確認しないまま、その場を後にした。土を踏む音は次第に遠のいていった。
月明かりだけが翔也の身体を暖かく包んだ。星の輝きだけが、彼の最期を見届けた。成仏できない二つの魂が、届かぬ声で謝罪した。
「う……あ……ぁ……」
重力に逆らえずに首は横に倒れる。薄く暗い視界の中、目の前の景色だけが、最期の僕に焼きついた。
そこには肉が抉れ、骨が突き出し、眼球も溢れていた“何か”が転がっていた。……いや、見るも無残な姿に変わってしまった“龍斗だった”ものだった。
2018年7月28日、家族からの通報により田中翔也(21)および唐沢龍斗(21)が音信不通になったことを確認。消息不明、現在捜索中。
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