第2話
それからしばらくして──
黒雲が涙を落とすまいと、必死に堪えているかのような夜だった。
星々の光は見えない。
ひょう、と音を立てて夜風が黒いスカートを揺らした。
弔いの金が鳴る。
教会で一番高い、そしてそのいちばん高い場所で、僧侶たちがその重い鐘を打ち付けて、町中の空気を黒雲よどませていた。
皇帝陛下薨去。
各国を統一せんと軍の先頭に自ら立ち、どこまでも勇敢で剛腕で強かった。
ロサとコルテシーア王の出会いは、幼い日の戦場に戻る。
戦場で私を拾ってくれた。
いや、拾うつもりなど無かったのかもしれない。
ベルタのがくがくと震える背中ごしに、血まみれの衣服をまとったロサは、敗戦の王族ただ一人の生き残りだった。
「お許しください! 姫は、ロサさまはまだ幼いのです! どうかどうか、お慈悲を!」
ベルタの、喉を切り裂くような叫びが響いた。
しかしそこに応答できる生きた人間は誰1人いなかった。
槍の切っ先で衣服をひっかけられ、宙ぶらりんになった幼いロサに、先の王は問うた。
──血まみれの汚い王族の生き残り。ウジ虫のように助けを乞うか?
それともたった一人生き残った恥さらしな王女として、矜恃をまっとうするか?
幼いロサは奥歯をギリギリと噛み締めて先の王に唾を吐いた。
「生きてやる……! 生きてやる! 生きてやる!」
まるでたった1人の、それも幼い少女の声とは思えないほどの、はっきりした声だったと、後のベルタは言った。
「コルテシーアが何!
コルテシーア王が何よ!?
誰が死んでなんてやるもんか!」
叫んだ喉から血が飛び散って、石段の色を染めた。
コルテシーア王はそれを、無表情で、滲った。
彼がこの出会いを覚えているのか、ロサは知らない。
コルテシーアに来てからも、彼とふたたび会うことなどなった。
それからコルテシーア王は、この大国で、ロサをコルテシーアの王子王女と同じように育てさせた。
王が子供たちに会いにきたことはない。
それについては、他の何にも変えられないと、国を滅ぼされたこととはまた別に、恩義めいたものを胸に抱いていた。
その皇帝陛下が亡くなる。
あの妖魔のように恐ろしい人だった王が。
いまだに信じられずに、ごうと音の鳴る空を見ていた。
「ロサさま、お部屋で暖かい飲みものでもいただきましょう。ベルタがお傍についておりますから」
ベルタの心配そうな顔に抗う気持ちなどなかった。
ベルタの案内で部屋へ入ろうとした時、激しい音と共に、唐突に扉が開いた。
豪風に彼の金色の髪が遊ばれる。
腕から血が流れ。青いシャツが紫帯びていた。
「ロサ!ロサはどこだ!」
ロサは腕で風を防ぎながら、ドアを開けっ放しのアスールに近づいた。
「!? どうしたの、アスール! 陛下の遺言を開いているところじゃ……!」
眉根を寄せた、その下に、サファイアの色をした目が、ぎらりとロサを見つめたあと、その手をとった。
怖い、と思った。
強い力だが、冷たい手だった。
扉に向かって歩き始める。
「まって! アスール、そこは親族だけの、国のこれからを決める場所でしょう?
私なんかが入れる場所じゃないわ」
「いいから! 今だけ俺の言うこと聞いて!」
アスールはいつもこうだ。
ロサにやってほしいことがあると、いつもこう言う。
──今だけ俺の言うことを聞いて!
それをきくたびに「もうっ、今度はなあに?」と付いていって、カエルを投げつけられたこともあったけれど。
「ここはっ、ここはダメ……私は部外者よ!」
ロサは先の王の血を引いていないのほ周知の事実だ。
ロサさま! と強い口調で走ってきたベルタが、ロサの盾になる。
アスールは急に顔色を落とした。
「ベルタ、すまない。ロサは俺が絶対に守る。だからここで、しばらくの間、信じて待っていてくれ」
ベルタは強い視線をアスールへと送った。
「……必ずでございますよ、アスール王子殿下」
ベルタの真摯な願いに、アスールが頷き、強い力でロサを部屋へと放りこんだ。
背後でがちゃん! と重々しい扉の鍵が降ろされた。
複数の目が、驚いた後、責めるようにロサに集中した。
(なぜこの場にお前がいる?)
彼らの心中は容易にわかる。
喉が、緊張にひゅっと音を立てた。
部屋にいたのは、遺言を持ってきた先の王の側近・宮廷書士、
長兄インビエルノ、
その妹プラータ、
末弟シエロ、
そしてそれぞれの母親4人と、
慎重に選び抜かれた重臣たちだ。
(こんな子がこんな重要な場に、いったい何をしに来たと言うのだ)
ロサ自身もそれを感じた。
自分だけ異物感であるような、胸が痛いような恐怖心に駆られていた。
アスールを見上げる。
厳しい横顔で、その場の全員に視線を見つめている。
ロサの手を掴んだ手は、力を込めたままだ。
まるで、大切なものを守る盾のように。
(なぜこの場に私をつれてきたの……怖いっ……)
アスールはつかつかと靴音を立て、アズールの隣に作らせた席に、ロサを座らせた。
ちらと上目遣いで部屋を見回す。
テーブルの真表にいるのは宮廷書士だろうか。
つきでた大きな鼻に、細い眼鏡をかけ、積んである巻物に手をやっていた。
すぐ横に座っているのはインビエルノ。
葬儀のための立派な真っ黒の衣装に、だけど顔色は悪かった。
その横にアスールとロサ。
アスールも黒い服を着て、眉根を寄せて宮廷書士の動きを見ている。
向かい側にすわるのは、末弟のシエロ。
この緊迫した空気に完全にのまれ、俯き、遠くからでも震えているのがわかる。
できることなら、シエロの隣にすわって、手を握ってあげたかった。
その隣はプラータ。
銀の髪を指に絡めて、つまらなそうな顔で、もう片手でワインを飲んでいる。
異様だったのは、空席になった王座の横に、左右2つ席が用意されていたことだ。
バラの娘、戦火を越えて 雪 @hinacek
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