バラの娘、戦火を越えて

第1話

彼女は頭から長い生成色の布を被り、片手で胸元へ止めていた。

人の多い市場を小走りで進む。


(ここはまだ、食べ物かあるのね。果物のすっぱい、良い香りがするわ)


遠くに黒雲が見える。

あれは彼の国で起こっている、命が搾取されている色だ。


彼女は眉を潜めた。

見ないように顔を背けても、これまで見てきた景色は、心に鮮明に残っている。


(1人でもいい、多くの命を守ってほしい)


それは彼女の祈りであった。





青空に花びらが舞う。

ひらひらと揺れ落ちる花びらを見ているのが幸せだった。


木陰ですわって、本のページをめくる長兄のインビエルノ。

目があうと短い黒髪を揺らして、青い目を細めて微笑んでくれた。


1番下のシエロは、手先が器用で

花と葉を巧みに編んで、私の頭に乗せて、にっこりと笑顔を見せてくれた。


次兄のアスールは、姿を消したと思ったらすぐに帰ってきて、きれいな薄紅色の花束を作ってきてくれた。


「アスール、私も花束ほしい! これよりきれいな花で!」


と拗ねてみせる、唯一の女の子プラータは、私の手をひいて、


「もっときれいな花束を、作りましょ!」


と私を立ち上がらせた。


幸せだ。

とても幸せ。

私の人生の中で、これ以上うつくしい思い出はない。


この情景を、他に誰が覚えているだろうか……。

──あの人たちは、覚えてくれているだろうか。




王族は祈りを捧げる。


コルテシーア国に、

コルテシーア王に、

コルテシーアの平和に、

コルテシーアの……戦勝に。


このところの、いや、現在16のロサが小さかった頃から、コルテシーア王は各国に侵攻していた。

それは幼かったロサの目にも焼き付いている。


まるで妖魔の行列だ。

紫色の気を立ち上らせて、足は大地を削り、植物の根を引きちぎった。

鼓舞する声が中まで響き渡り、内蔵が破裂してしまうのではないかと、恐れおののいた。


そっと、しゃがんでいた肩に優しい手が置かれる。

ロサのいちばん近しい使用人のベルタだ。

自分も恐ろしいのだろう、手が震えている。


「中に入りましょう、ロサさま」


それを、コルテシーアの王族は、いちばん安全な大きな聖堂で、贅を尽くした服を着て、これ以上のない美しい所作で、祈るのだ。

王の侵攻と、……勝利を。


バルコニーには多くの民衆が集まっていた。


黒髪に黒い目を持つ、優しい顔立ちの、インビエルノ第1王子、


第2王子、はっきりとした金色の髪をなびかせる、濃い青色の目をしたアスールが大きく腕を振る。


第3王子シエロは、柔らかそうなふわふわの金髪を揺らして、空色の目を柔らかく細めて小さく手を振った。


中でも民衆の声が大きく上がるのは、アスールの妹、プラータが、現れた時だ。

彼女は恐れ多くも、月の女神ですら顔を隠すといわれている、

銀色の髪をしたコルテシーア唯一の血の通う女神、


「ドニャ・ルーナ!!」


誰かの第一声で、民衆が叫ぶように彼女の愛称を呼び続ける。

プラータは美しいドレスに身をつつみ、刺繍をこらした白い手袋をまとった細い腕を、豊かな銀の髪を揺らして、振り続けた。


音もなくインビエルノが、ベランダから中へと入った。

それを見返ったシエロが、パタパタと後を追う。

袖をつかんでくるシエロに、インビエルノはやさしく微笑した。


アスールは民衆にくるりと背を向け、去り際に忌々しいといった表情でプラータをちらっと見た。

プラータは気づかず、民衆に両手を降っている。


誰もいないことに気づいたのはそれからしばらくで、プラータは最後に両手を降ってベランダを離れた。


ついと目が合う。

プラータはかつかつとロサに近づいてきて、


「何? その表情は?

我が国の血が流れているわけでもないのに、よくここ(聖堂)にいるわね? 本当に図々しい女だわ!」


早口で言った。

表情はついさっきまで民衆に向けていたものとはまったくの正反対だ。


「プラータ、やめなさい。ロサは王族も同じだ」


しんとした聖堂に響くインビエルノの声はすでに威厳を持ち始めている。


「インビエルノお兄さまも、この女に騙されて。見てご覧なさい。

茶色の目に茶色の目。どこにでもいる平凡な女だわ!

召使いの服でも着たら、きれいに紛れてあなただということもわからないでしょうね!」


「プラータ! いい加減にしろ!」


「アスールお兄さま……」


アスールは不機嫌な顔をしたまま、ロサの手を取った。

そのまま聖堂の裏口へと歩いていく。

ロサの手に、白い手袋の感触が心地良かった。


「もう! アスールお兄さまもどうして!? あの女は本来ならただの奴隷よ! それがお父様が──」


「プラータ。父上のご判断を侮辱する気か?」


インビエルノの静かな、しかし怒りを含んだ声色に、プラータはさっと顔を青ざめさせた。


「おまえは表口から出ろ。民衆は一目『ドニャ・ルーナ』を見たいと集まっている。応えるんだな、我が国の民たちに」


そう言い捨てて、インビエルノはシエロを連れて、アスールとロサの後を追うように、ゆっくりと歩いた。心配そうに、小さく振り返ったのはシエロだけで、その空色の瞳も、すぐにまつ毛の影を落とさせた。


ややあって、民衆の声が上がった。

プラータが表口から姿を表したのだろう。

「ドニャ・ルーナ!」


声がひと際おおきく、戦勝の祈りよりも天に届きそうだと、ロサは思った。

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