ガラスのダイヤモンド

待夜 秋那

ガラスのダイヤモンド


 月の光さえも届かない、暗く深い闇夜に呑まれた山々。木々が生い茂る大自然の迷宮は、闇を一際濃く見せる。


 人の手が加わっていない静けさに包まれた森に、規則正しいとはいい難い無数の足音が響く。

 落ち葉を踏み鳴らし、砂利をり、まるで亡者の行進が如くゆっくりとした足音が、闇夜に呑まれた木々を僅かに揺らす。


 ──ぴたり、と。足音が止まった。一瞬の静寂の後、砂利を擦る音となにかが地面に下ろされたような重い音がまばらに闇夜に響き渡る。


 そして、所々から聞こえる喘ぐような息遣い。キュッ、となにかを捻り緩める音。僅かな水の流れる音。水をすするような、舐めるような音。


 火器を抱え、背嚢はいのうを背負ったまま、地面に腰を下ろした二十数名の迷彩服姿の若人わこうどは、虚ろな瞳に僅かな光を灯し、遥か先まで続く闇を見つめていた──。



 * * *



 出口いでぐち 真人まことは、心の弱い人間だった。

 学生時代から嫌なことからは目を背け楽な選択肢を選び続けてきた出口にとって、“きつい”や“辛い”はとても耐え難い苦痛だった。


 なにか目的があるわけでもなく、ただ惰性で過ごした高校三年間。叶えたい夢や目標のなかった出口が少しの憧れと好奇心、そして気紛れで選んだ進路は──陸上自衛隊だった。


 それなりに勉強ができた出口は一般陸曹候補生、いわゆる「バッジ付き」と呼ばれる、入隊直後から“二等陸士”の階級を与えられる、そこそこ頭が必要な限られた枠に合格した。

 ── 一般的な枠である自衛官候補生は入隊直後は文字通り「候補生」であるため階級がなく、三ヶ月の前期教育修了の後に自衛官となり二士の階級を与えられることになる。


 高校時代、大した努力をせずとも文武共に上位の成績をキープし続けていた出口は「俺には他の奴らにはない才能があるんだ」と、根拠のない自信とプライドを持って、自衛官としての第一歩を踏み出した──。



 * * *



「──出口ィ! キサマこの程度のペースでなにをキツそうなツラしとんかぁ!? 他の奴らは走れとるんぞ! キサマ“星付き”が候補生バッジなしに負けてどうするんか!」


「お? お? また今日もの公演の始まりかぁ? えぇ!?」



 ──キツい。苦しい。辛い。もう、やめたい……。



 大した覚悟もなく自衛隊に入隊した出口にとって、前期教育の生活は正に── “地獄”だった。

 時間により統制された生活、徹底された集団行動、そして毎日の厳しい体力錬成。全てが出口にとって未体験の領域。


 ──しかし、未体験なのは他の同期も同じこと。だが出口はこれまでの楽な選択のが回ってきた、というべきか。他の同期と比べても明らかにこの生活に順応できずにいた。

 まだ、自衛隊の「じ」の字も学ぶに至っていない現状ですら、出口と他の同期との差が浮き彫りとなっていた。


 結果、入隊して一週間程度で出口は「ガラスメンタル」のレッテルを張られ、更には体力錬成の度にキツそうなをすると、教官たちから「役者」というあだ名をつけられる。

 ──そうしてできた出口の通称が「ガラス役者」だった。


「……チッ、仕方ねーな。早足はやあーし……全体ぜんたーい、止まれぇ! 回れぇ……右っ! 出口アイツおせぇけんのぉ、ちょっとするぞ!


 ……腕立て伏せの姿勢、用意よぉーいっ!!」


 教官の一人が、出口の遥か前方を走っている同期たちを止め──出口の方向を向かせると、腕立て伏せの姿勢を取らせた。

 足元は、太陽によって照りつけられた砂利道。熱く尖った無数の砂利が容赦なく手のひらに食い込み、同期たちが苦悶の表情を浮かべる。


 同期の視線が、出口に刺さる──責めるような、鋭い視線が。

 出口は、足が更に重くなった気がした。加えて心臓も痛む気がする。


 胸を抑え、覚束おぼつかない足取りでふらふらと走る出口のケツを、後方にいる教官が叩いた。


「出口! 演技はええんじゃ! シャキッと走らんか! 顔上げぇ! 前見てみぃや! 同期なかまがキツい思いしながらお前を待ってくれとんのぞ!?」


「お前、星付きやけんって良い気になっとるかもしれんけどなぁ、ガムシャラに走るなんてことは馬鹿でもできるんだよ! お前は馬鹿にすらなれてねぇ! 馬鹿以下だ!!」


 ──そう。足が重いのも、心臓が痛むのも、全てだけだ。

 キツいのは事実だ。だがそこで踏ん張るのが嫌で、自らの弱い心がに過ぎない。そして、教官たちはそれを見抜いている。


 ──惨めだ。情けない。自分は、こんなにも弱い、馬鹿にもなれない人間だったのか。

 出口は、自らを鼓舞するように左胸を──心臓を叩く。砕けそうなガラスのハートを、無理矢理震わせる。

 同期を、教官たちを見返さんと全身に力を込める。


 その日を境に、出口は「強くなる」と心に決めた──。



 * * *



 ──時は流れ。前期と後期、計六ヶ月の教育期間を終え、出口は普通科連隊への配属となった。

 その頃には、出口は元より持ち合わせていた素質を十二分に発揮し、座学体力共に上位の成績を有するようになっていた。ガラスのハートを鋼の檻へと押し込めて、出口は強くなった。自分は自衛官だと胸を張れるような、精強な肉体と精神を持つに至った。


 そして更に年月は経ち、階級も陸士長となったある日──。


「…… “レンジャー”、ですか。自分が?」


「ああ。お前ならいける、と思ってな。まずは素養試験からだが……どうだ、出口?」


 課業後の小隊しょうたい部屋。

 営内居室えいないきょしつ── “営内者”と呼ばれる、駐屯地で生活してる隊員たちの部屋──へ戻ろうとしていた時、出口は営内班長である宮脇三等陸曹から、そう声を掛けられた。


 出口は「そう、ですね……」と逡巡しゅんじゅんしながら、ちらと宮脇の戦闘服の左胸を見やる。

 そこに縫いつけられているのは「勝利」の象徴たる月桂冠と「不屈の精神」の象徴たる金剛石ダイヤモンドを意匠とする徽章きしょう──レンジャー徽章。


 陸上自衛官において最大のほまれであり、同時に陸上自衛隊で最も過酷といわれる教育課程──それが“レンジャー”だ。

 当然、出口も“これ”に憧れを抱いていない訳がない。だが──。


「しかし、班長。自分はまだ陸士ですよ? レンジャーに挑戦するのは、些か早い気がします。それに、近々陸曹試験もありますし……」


「確かにな。レンジャーに挑戦するのはほとんどが陸曹だ。俺だってそうだった。けどな、若さ・・ってのは他に代わらない大きな武器だ。特にお前は体力もあるし頭も良い。十分、レンジャーでも通用する力を持っていると思う。 ……それにお前、まだ通信とかの特技モス取ってないだろ? 陸曹試験の前にひとつ大きな資格ぶきを持つ、ってのも悪くないと思うけどな」


 宮脇の言葉に、出口は「確かに」と頷く。

 ──正直、レンジャー教育課程というものに不安や恐怖を覚えない、といったら嘘になる。出口は自衛官となってまだ三年だ。宮脇はああ言ったものの、自分にはまだ経験も知識も、そして実力も足りていないと思っている。


 ──だが、出口にとって理想の自衛官像そのものである宮脇からの推薦に、首を横に振る気はなかった。

 そしてなにより、かつて“ガラス役者”と呼ばれた自分がどれだけ強くなったのか──それを最高の舞台で発揮できる、そんなチャンスを逃す手はない。


 静かに左胸を叩き、自らを鼓舞する──出口の決意は固まった。


「……分かりました。自分、挑戦します!」


「そうか……! 分かった、中隊長には俺が言っておく。また、素養試験の日程が決まり次第追って連絡するから。 ……長々と引き留めて悪かったな、お疲れさま」


「いえ、とんでもないです。こちらこそ、声を掛けて頂きありがとうございます。 ……では、お疲れさまでした!」


 軽く右手を上げる宮脇に、出口は敬礼を返す── “ガラス役者”と呼ばれていた頃の自分が今の自分を見たら、一体どんな顔をするだろうか。

 そんなことを考えながら、出口は踵を返し小隊部屋を後にした……。



 * * *



「……俺は「腕立てをやれ」とは言ったが「震えろ」とは言ってないぞ。 ──なんだ、寒いのか? じゃあ、暖めてやるよ」


 ──静かな、だが凄味のある教官の声。そして鳴り響く無機質な笛の音。


 出口は血が滲むほどに唇を噛み、笛の音に合わせて震える腕に力を込め上下させた──かれこれ何十分、何時間、腕立て伏せを続けているのだろうか。それすら分からなくなってしまっていた。


 レンジャー教育は、出口の想像を遥かに上回る過酷さであった。

 二等陸曹の学生長以下、二十七名の学生。その中で陸士長は出口を含め僅か四人──だが、教育が始まってしまえば学生間の階級の差なんて関係なかった。陸曹だろうと陸士だろうと、皆等しく“学生”なのだから。


 教育隊が児戯ママゴトだったと思えるほどの、秒単位まで時間により統制された生活。理不尽だと叫びたくなるような内務点検、そして度を超えた反省。

 血反吐を吐くような体力調整。ロープ橋、バランス登降とこう、リペリングに水路潜入、生きた蛇を調理して食べることで有名な生存技術……どの訓練も、学生たちにとっては未知の領域。


 未体験かつ過酷な訓練の毎日に、出口は自らのガラスのハートを押し込めた鋼の檻が、まるでメッキの如く剥がれ落ちていくのを感じていた。


手前てめえら、なにを情けない姿勢取っとんじゃあ! ちゃんとやってる奴はやってんだよ! この程度で悲鳴上げる奴ぁ帰れ! 手前らには無理だ!!」


 静かな教官の声とはまるで違う、助教の怒号が響き渡る──教育開始一週間で学生の間で“鬼助教”のニックネームをつけられた、奥田三曹だ。

 その左胸にはレンジャー徽章に加え、翼とパラシュートを意匠とした陸上自衛隊最強の部隊の証──空挺くうてい徽章が縫いつけられている。


 奥田の言葉に、学生達は震えながらも「レンジャー!」と声を張り上げ、威勢のいい返事をする──これは、レンジャー教育における返事だ。あらゆる命令に対して、肯定の意で「レンジャー」と返す。否定は存在しない。レンジャー教育では教官助教の命令には絶対服従だ。


 ──今行われている反省の腕立て伏せ、そして先述した訓練。は序の口に過ぎない。

 一ヶ月半に及ぶレンジャー行動の一般訓練が終わると、作戦行動──想定訓練が始まる。これがレンジャー教育課程の本番だ。たかが腕立て伏せで、悲鳴を上げている暇などない。


 出口は歯を食い縛り震える全身に力を込め、ひび割れ掛けたガラスのハートを奮い立たせた──。



 * * *



 ──そして、レンジャー行動の一般訓練が終わり、レンジャー教育の本番である想定訓練開始の日となった。

 第一から第九まである様々な作戦状況に、これまでの一般訓練で身につけた体力、技術力、知識──そして精神力をもって挑み、与えられた任務を遂行していく、ほぼ実戦に近い訓練だ。


「状況開始前にひとつだけ……俺はな、二言目に“気合”だの“根性”だの言う奴は信用しない。そういう奴は決まってなにも考えていないからな。しかし……手段を尽くし、知力を絞り、それでも駄目だ──そんな時にをいうのは“気合”や“根性”である、ということも同時に理解している。


 ──これからの数々の状況。諸君らがこれまでの訓練で培ってきた技術、知力……そして強い心。それらを見せて貰いたい。以上」


 教官の言葉に、学生たちは「レンジャー!」と声を張り上げる──想定訓練、状況開始だ。


 徐々に厳しくなり、時間的にも精神的にも追い詰められていく行動予定。想定の段階を踏むごとに削られる水分と食糧。作戦の難易度も次第に高くなり、不眠不休の時間が続く。

 総重量四〇キロを越える装具を身につけ、背嚢はいのうを背負い、八九式五・五六ミリ小銃、五・五六ミリ機関銃“MINIMI”、個人携帯対戦車弾“RAMラム” 、それぞれ己の火器を持ち、森林、山地──道なき道を歩き続ける。



 * * *



 ──砂利を擦る音と共に、迷彩服の若人が立ち上がる。五分の僅かな小休止を経て再び隊列を整え行動を始める。

 最終想定、最後の山地行動だ。


 出口は、虚ろな瞳で前方を歩く学生同期を見据える──他の陸士長たちは皆、離脱リタイアしてしまった。自分のガラスのハートも何度砕け掛けたか分からない。

 ──だがその度に「お前ならいける」とレンジャー教育に推薦してくれた宮脇の言葉を思い出し、自らの左胸を叩いて踏み留まった。


 ふ……と、ぼうっとした明かりが見えた──自販機だ。

 赤い色のそれには、コーラ、コーヒー、スポーツドリンク……多種多様な飲み物が、まるでこちらを手招きするかのように並んでいる。

 ──だが、ここは自衛隊が所持する演習場の山奥だ。自販機そんなものなど、存在する筈がない。


 ……あぁ、また・・か。と、口内に滲んだ唾を乾いた喉奥に押し込み、出口は首を横に振る──そう、幻覚だ。極限状態の目に映る、弱い心の具現。

 他にも自らが所属する駐屯地の門、両親の住む実家、休日によく利用するハンバーガーショップ……もう何度見たか分からない。


 出口は震える拳を握り締め、自らの心臓を叩く──あと、少しなんだ。負けるな俺。と、心中で自らを鼓舞する。


 そして、力強く一歩を踏み出し──出口の身体は前のめりに崩れ落ちた。



「……レンジャー出口? 大丈夫か!?」


「おい、R出口! どうした!」



 ──同期なかまたちの声が聞こえる。けど、身体に力が入らない……。


 背中に突然激痛が走り、踏ん張ることができなくなった出口は、背嚢の重さに負け押し潰されるように倒れてしまった──まるで、が自分の中でへし折れたような気がした。


「……どうした! 出口、おい聞こえるか!?」


 ──助教の一人が、小走りでこちらに向かってきた。“鬼助教”、奥田だ。

 怒鳴られる。そう思った出口は、なんとか力を振り絞り上体を起こす。すると、直ぐに奥田が身体を支えてくれた。


「おい、手前てめえらは先に行け。出口は俺がる」


 そのまま奥田が素早く指示を出し、学生たちは小さな声で「レンジャー」と返すと前方へ向き直り再び歩き出す。

 ──遅れる。置いて行かれてはダメだ。そう思った出口は、咄嗟に立ち上がろうとする。が、奥田の手に制された。


「おい、出口。とりあえず装具と背嚢下ろせ」


 有無を言わさぬ様相で奥田にそう言われる。出口は首を横に振りたかったが、ぐっと飲み込み「……レンジャー」と静かに頷いた。


 痛む背中に顔をしかめながら、出口は背嚢と装具を下ろし小銃も置く。

 すると奥田は出口の背中に触れ、首筋から腰に掛けて指でなぞっていく──強い痛みが走り、出口は思わず「ぐっ」と呻いてしまった。


「……なるほど。背骨の一部が潰れてやがる。圧迫骨折って奴だな」


「骨折……っ!?」


 奥田の言葉に、出口は槌で頭を殴られたような衝撃に襲われた──怪我等で行動できなくなった学生は、強制的に所属する駐屯地に帰隊させられる。

 それはつまり──離脱リタイアを意味する。



 ──ここまできて、離脱おわりなのか。そんなのは、絶対に嫌だ。


 ──辛いのは、もう懲りごりだろう? やっと終われるんだ、もう止めようよ。



 出口の頭の中で、ふたつの声が同時に響いた。

 強くありたい、鋼の檻の自分。

 ガラスのハートの、弱い自分。


 ──目眩がした。この期に及んで、弱い自分が首をもたげるなんて……と、出口は自分自身にショックを受ける。

 様々な感情が脳内でグチャグチャになり思わず頭を抱える出口の肩を、奥田が優しく叩いた。


「……ここに教官はいねえ。手前を診たのは俺だけだ。本来なら帰隊かえすところだが……もう最後だ。手前が“やる”ってんなら、俺はその意思を尊重する。 ……やるんなら、自分の力だけで立ち上がれ」


「自分、は……」


 出口の声が震える。両目からは、涙が溢れ出す──自分の惨めさに、どうしようもなくなってしまった。


「じっ自分は……弱い人間です。前期の頃は“ガラス役者”なんて呼ばれた……ガラスのメンタルの、弱い人間なんです……! そんなっ、自分でも……強くなりたいって……思って、ここまで……! でもっ……ここまできたのに……! もう止めたいだなんて思って……っ!!


 そんな自分が……レンジャーなんて──」


「──出口っ!!」


 ──奥田の鋭い声によって、出口から溢れ出た言葉かんじょうが止められた。鉄帽テッパチの上から荒っぽく頭を掴まれ、無理矢理正面を向かされる。

 迷彩柄に塗られたドーランが涙に濡れて酷く滲んだ出口の顔を、奥田は真剣な表情で見据えた。


「……出口。強い人間ってのが、どんな奴か知ってるか? ──それはな、自分の“弱さ”を知ってる人間だ。自分の“強さ”だけを誇示し驕り高ぶる人間……そんな奴の強さなんて、所詮はまやかしでしかない。という時に、なにもできやしない。


 ……手前はさっき、ガラスのメンタルがなんだか、っつったけどな。本当にガラスメンタルなの奴が、こんなところまでこれっかよ? 手前は自分が弱いことを知って、それでもとしている。それこそが……本当に強い人間って奴なんだよ。


 ──分かったか、出口。手前は強い人間だ! もっと自分に自信を持て!!」


 真っ直ぐぶつけられた言葉に、はっと目を見開く──初めてだった。他人から「お前は強い」と言われたのは。


 ──これまで、必死に強い自分でありたいと思ってきた。ガラスのハートを鋼の檻へと押し込めて、理想の自衛官像を目指して。だが奥田の言葉で気づかされた。ガラスのハートの、弱い自分を受け入れてこそ、で強い自分であれるのだと。


 出口は袖で涙を拭う。痛む背中に歯を食いしばり、両足に力を込める。左胸を──心臓を叩き、自らを鼓舞する。

 もうメッキの檻は必要ない。決して砕けないガラスのハートを拍動させ、奥田の支えを借りることなく自らの足で立ち上がった。


「よし……立てたな。歩けるか?」


「……レンジャーっ!!」


「よぅし、いい返事だ! ほら、装具と銃持て。背嚢は俺が持っちゃる」


 奥田が、笑顔を見せた。夜の闇の中でもはっきりと見えた奥田のその笑顔は、教育が始まって以来初めて見るものだった。


 出口が装具を身につけている間に奥田は約四〇キロある背嚢を軽々と背負うと、小銃を手に取り出口に差し出す。

 出口はそれを力強く受け取り、負い紐を首に掛けた──背中は痛む。だが、問題なく歩ける。前に進める。


 「よし、行くか!」という奥田の声に頷き、出口は力強く一歩を踏み出した──。



 * * *



「……出口三曹・・っ!」


「ん? どうした?」


 ──レンジャー教育課程から、二年。

 その後無事帰還することのできた出口は、晴れてレンジャー隊員となった。


 ただ、背骨の圧迫骨折の後遺症により自衛官の基本である「気をつけ」の姿勢を取りにくくなってしまった。

 それでも陸曹試験に合格し教育を終え、今年の春に三等陸曹の階級を持つに至っていた。


 そして、三曹になった出口は「新しいことに挑戦したい」と、今はラッパ特技の教育の真っ最中だ。

 ラッパとは、自衛官の生活を統制する日課号音を吹奏する重要な特技だ。音楽には明るくない出口は、初めて触る楽器に四苦八苦しながらもこの教育を楽しんでいる。


「出口三曹って、レンジャーなんですよね。すごいなぁ、心も体もダイヤモンドみたいに強い! 絶対勝利! ……ってことなんでしょ?」


 そう陽気に語り掛けてくるのは、新田にいだ まい陸士長。

 ラッパ特技教育に助教として参加している、ラッパ特技モスを持った女性自衛官WACである。


 教育の関係でよく食事を共にするようになった新田にそんなことを言われ、出口は「そう、だなぁ」と首を傾げる──ちなみに、現在地は食堂だ。昼食のチキンステーキを箸で切り分けながら、出口は笑う。


「他の人はそうかも知れないけど、俺のレンジャー徽章のダイヤモンドは、ガラス製なんだよ」


「え? ガラス製? どういうことですか?」


 自身の徽章を指先で小突きながらの出口の言葉に、新田はきょとんと首を傾げる。

 その可愛い仕草に、出口は「ふふっ」と笑みを零し、チキンステーキを口に運ぶ。それを咀嚼し飲み込んでから、また口を開いた。


「俺はガラスメンタルだからね。弱っちいんだ、徽章これを持ってても、ね……だから、ガラス製。ガラスのダイヤモンドさ」


「えー? でも、強くないとレンジャーになれないんじゃないんですか?」


「うん、確かにね。けど強いだけじゃ、レンジャーにはなれないんだよ」


「そうなんですか? じゃあ、他になにが必要なんですか?」


「そうだね……」


 出口は天井を見上げる──今でも鮮明に思い出せる、奥田の顔。奥田の言葉。

 そっと、左胸に手を添える。かつて何度も叩いた、ガラスのハート。そこに掲げた、弱さと共に知った本当の強さの証、レンジャー徽章ガラスのダイヤモンドをひと撫でする。


 ──暫し思い出に浸った出口。気づけば、口元が緩んでいた。

 そんな出口を不思議そうに見つめる新田。出口は視線を新田に戻し、笑みを浮かべ口を開く。



「……必要なのは、自分の弱さを受け入れること、かな」



 



 ──fin.

 

 

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