シュトーレンに祝福を

ひばかり

補習

 放課後の三年二組の教室、廊下側の窓から中を覗くと彼女は一人席に着き、物憂そうに窓の外を眺めていた。約束の時間にはまだ早いがむしろ好都合、さっさと終わらせて帰ることにしよう。


 ふと教室の入り口を見上げるとなんだか違和感、あれだ、明らかに挟まっている。黒板消しだ。また古典的ないたずらをする。しょうがないな、引っ掛かってやるか。彼女は背中で笑っているようだ。



 ガラガラ、ポフッ。頭の上に見事に落ちてふわりと白い粉が舞う。甘い匂い。甘い匂いだと!? 何かがおかしい。


「きゃはっ、引っ掛かったね!」


 彼女は指をさして満面の笑み。


「うん。たしかに引っ掛かったけど想定と違うよ、これなに?」


「シュトーレンだよ!」


 バカか!? いやバカだろう。言うまでもないことだ。


「クリスマスはもう終わったんだよ。教室の入り口にシュトーレンを仕掛けてはダメでしょう? 黒板消しにしなさい!」


 まさか黒板消しにしなさいと突っ込むことになるとはな。教師になる前には想定すらしていなかったことだ。


「和三盆にしたんだ、先生好きでしょう? 和三盆」


「食べるのはね。頭にかぶるのは苦手かな」


「早く拾って! 三秒ルール」


 急いで和三盆でコーティングされたそれを拾い上げる。そこそこの重量感。見まがうことなきシュトーレンだ。


「どうするの? これ」


「そこのお皿に載せてよね。後で一緒に食べようよ。落っこちて床についちゃったコーティングのところを剥がせば大丈夫」


 教卓の上にご丁寧に紙皿と果物ナイフが用意してある。準備のいいことだ。おしぼりもある。


「おしぼり一個もらってもいい? 髪の毛を拭きたい」


「どうぞ。ねえ、びっくりした?」


 おしぼりで髪の毛を拭く。整髪料と和三盆が混ざって実に気持ちが悪い。冬場でまだよかった。夏場なら虫が寄ってきそうだ。


「うん。そのバカさ加減にね!」


「しょうがないじゃん。バカだから補習なんだよ」


 そんなわけがない。彼女は俺と違って頭がいいのだ。テストで赤点を取ったのはわざとに決まっている。


「補習はもう終わり。ちゃんと来てたからね。でもどうしてわざと赤点なんて取ったの? 面倒くさいことをしないでよ」


 本当に面倒くさいことをしてくれる。赤点の生徒がいると教科担当の評価も少し下がってしまうのだ。


「久しぶりにゆっくりお話したいって思ったからだよー。ねっ、お兄ちゃん!」


 そんなこと言って。


「学校では、先生と呼びなさい」


「いいじゃんか、誰もいないんだし。だってお兄ちゃん、実家にも全然帰ってこないし、ずっと元気ないじゃん。こうでもしないと話もできないし」


 確かに最近の俺は落ち込んでいることが多い。ずっと心配してくれてたんだな。

 

「そっか。心配かけてごめんね。でも赤点なんて取ったらダメでしょ、三年なんだし」


「大丈夫。推薦じゃなくて普通に受験するから。大学どこにしよっかな、東京か京都かー。お兄ちゃんはどっちがいい?」


 この子は何処へでも自由に行けるんだな。羨ましい限りだ。


「どっちもいいと思うよ。好きな方にしな」


「じゃあ京都かな。まだ近いからね。お兄ちゃんは寂しくないのかな? 今までみたいに私と会えなくなるんだよ」


 そりゃあ寂しいに決まっている。でも大人になるということはそういうこと。無敵の時間にも終わりが来るんだ。


「寂しいよ。でもしょうがない」


「うーん。そうだ! じゃあ、お兄ちゃんも一緒に行こうよ! そうだ 京都、行こってね」


「無理だよ」


「この学校、もう嫌いなんだよね? 辞めちゃえばいいじゃん。それでさ、兄妹で一緒に住んでさ、本屋に爆弾を仕掛けに行くのはどう? 檸檬のね」


 突飛なことを言う子だ。何を考えてんのだか。

 

 さて、もう帰ろう。家に帰ったところで俺を待ってる人はもういない。たまには実家に帰ってやるか。


「うん。考えとく。じゃあ帰ろうか。今日は一緒に実家に帰るよ」


「やったー! あっ、シュトーレン忘れてたじゃん。食べてみようよ」


「ああ、そうだね。せっかくだし」


 紙皿の上に載せられたそれを切ってみる。ぎっしりと詰った感じ。シュトーレンってこんなのだっけ。よく考えたら食べたことがなかったな。一欠片つまんでみる。うん、マズい!


「なにこれ? マズいよ。シュトーレンってこんなのだっけ、プディングっていうかハギス?」


「あれー、おいしくなかったかー。ごめんねー、お兄ちゃん。もういいや、帰ろっか」


 そういって残りを雑にゴミ箱に捨ててしまう妹。それでいいのか?


 妹は一緒に帰れるからか何だか嬉しそうにしている。俺もほんの少しだけ元気が出た。たまにはこういうのもいいだろう。







―――――――



 三月末、京都の大学に見事に現役合格を決めた妹は、早く追いかけて来るようにと言い残して、慌ただしく旅立って行った。



 俺は勤めていた学校を辞めて実家に戻り、しばらくゆっくりしながら今後の身の振り方を考えることにした。長い人生、こんなモラトリアムもいいだろう。俺が使っていた部屋は長い間物置状態になっており、掃除するのも億劫なので、一時的に妹の部屋を使わせてもらうことにした。


 引っ越しで荷物は持って行ってしまったから、何もないもぬけの殻の部屋なのであるが、ベットの下に使いかけの大学ノートが一冊落ちていた。妹が大学で必要なものだとあれなので、中身をチラッと見てみる。どうやら日記代わりに使っていたもののようだった。



 ⋯⋯⋯⋯。


 あー、これはダメだわ。梶井基次郎リスペクトなのね。とりあえず見なかったことにしよう。




 俺のモラトリアムは長くなりそうだ。

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