最後尾

テレビ画面に大きくアナログ時計が映し出される。時刻は十一時五十九分五十五秒。秒針は滑らかに十二の文字を目指す。五十六、五十七、五十八、五十九……短針、長針、秒針が重なり、ポーンという気の抜けた電子音が鳴った。

「お昼のニュースです」

今週を総括するように目立ったニュースがピックアップされている。世界各地で起きる天災のニュース。再生医療の新たな技術のニュース。激化する内戦のニュース。記憶を読み取る機械のニュース。

世界の死者数は年々増加の一途を辿っている。国際社会が高齢化したのではなく、様々な外的要因で命を落とす人が目立つようになってきたのだ。不運の連続にしては度が過ぎている。口には決して出さないが、そのように思っている人は多い。このままのペースで死者が増加すれば、三年もしないうちに人類は滅亡する、などという噂も真しやかに語られている始末だ。

テレビを消して、俺は部屋を出た。長い廊下を足早に渡り、目的の部屋の前に立つ。ドアベルをコンコンとドアに打ちつけた。

「どうぞ」

歯切れのよい返答に応じ、ゆっくりと扉を開ける。老人は微笑みを湛え、丸いテーブルを挟んで向かい合う椅子の一方に座っていた。

——今日はオセロか。

「本日もよろしくお願いいたします」

俺は深く頭を下げた。

この屋敷に来て早一週間。この環境に適応しつつある自分に正直戸惑っている。


俺に与えられた仕事は、身寄りのない老人の話し相手だった。午前中は併設された研究所から来る医師や研究者に従い、複数の検査や運動をこなす。そして、他に重要なスケジュールのない午後にはこうして俺が老人の居室を訪れる事になっているのだ。

老人は俺を一目見た時、亡き孫に似た雰囲気を感じ取ったようで、その事を凄く喜んでいた。

老人は、在りし日の祖父と同じく末期の大腸癌に侵されていた。


「何を考えているんだい?」

長考が眼前の勝負に由来するものではないと見抜いた老人が俺に優しく聞いた。

「私なんかで良かったのでしょうか?」

老人は苦笑する。

「君はもう少し自信を持った方が良い。そうだな……君は、儂が最後にした質問は覚えているかな?」

「自分が運が良いかと思うか、でした」

「では、それに君がなんと答えたかは?」

面接の場で大見得を切ったのだが、今となってはそれが恥ずかしく思えてきた。

「……運は良くないと思いますが、私はそれでも満足しています、と答えました」

老人は目を細めて笑った。

「少し、昔話をさせてくれ」

そう言って湯呑みの茶を啜る。

「儂は、どんな些細な順番待ちであれ、決まって最後の一人だった。列に並んでおると、必ず誰かが前に割り込んできたのだ。後ろにおった者は、それを見てしれっと儂の前に入り直すか、さもなくば悪態をついて他の列に移るかのどちらかだった」

「それは……災難でしたね」

もし自分が眼前の老人の立場だったら。そう考えると思うように二の句を継ぐ事ができない。

「だが、待ってさえいれば最後には必ず与えられたのだ。割り込みは茶飯事だったが、その所為で食い逸れた事はない。難儀な星の下に生まれてしまったが、そういう意味ではまだ有情なのだろう」

前半戦は優位に進めていた筈だったが、いつの間にか盤上は殆ど白い石に覆われていた。

「君は、この話を聞いて儂は運が良いと思うかな?」

中途半端な忖度は却って失礼だと思い、考えを正直に伝える事にした。

「運が良いとは言えないと思います」

老人が最後の一手を指した。

「儂もそう思う。だが、儂はこの数奇な運命に満足しておるのだ。君と同じでな」

それから数回対局を重ねたが、老人はそれ以上多くは語らなかった。


オセロを片付けている最中、ふと部屋を出る前に見たニュースが頭を過った。ここ数年、人類の大量死に呼応するようにブレイクスルーが起きている。その中でも特に発展の目覚ましい二分野は、奇しくも隣接する研究所にて研究されている。何気なくその事を話すと、老人は企んだような笑みを浮かべた。

「儂の好きな言葉を教えてあげよう。『求めなさい。そうすれば与えられる。』だ」

老人がベッドの脇にあるボタンを押すと、カーテンが閉まり、ベッドの正面に大きなスクリーンが降りてきた。サイドテーブルに置かれていたタブレットを配線に繋ぐと、スクリーンに大きな時計が映し出される。時刻は十一時五十九分を示していた。

「研究所のロビーの写真だ。実物を見たことがあるが、存外に大きくて見応えがあった。機会があれば君も見に行くと良い」

「私が見ても良いものなのでしょうか?」

スライドの隅に記された「社外秘」の文字。

「君だって歴とした関係者だ。それに、機密情報を不用心に置いておる方が悪い」

そう言って老人は子供のように笑った。

次のスライドには研究所のフロアマップが表示されていた。五階建ての施設は、その大部分が青とオレンジに塗り分けられている。

「この色分けがな、それぞれのセクションを表しているそうだ。青色が生科学のセクション、オレンジが情報工学のセクションなんだと」

「近年の発見が、ここでも活かされているのですね」

「ここで行われた研究の内、儂に試して確かな効果があったものが世に出るようになっておる。また、近頃は学際的な研究にも着手しており、なんでも機械と臓器の融合にも挑んでおるのだそうだ。将来的にはより高性能な人工臓器を、体の負担を遥かに低減した上で利用できるようになると聞いておるよ」

前半の発言は不味いと思ったのか、取り乱した様子の老人が少々強引に話題を変えた。

「このグレーの部分がその学際的な研究を行うセクション、という事ですか?」

三階の端のあたりに、どちらにも属していない会議室があった。

「いや、まだ正式には独立していないそうだ。休憩室か物置か、おそらくそんな具合だろう」


研究所の簡単な説明を終えると、老人は少し休ませてくれと言ってベッドに横になった。

「ご説明ありがとうございました。そして申し訳ありません。ご無理をさせてしまったようで……」

「儂がしたくてやったのだから謝らんでくれ。それに、礼を言うのは寧ろ儂の方だよ」

老人は俺から湯呑みを受け取ると中の茶を美味そうに飲んだ。

「儂は今まで、耐え忍ぶ事こそが最上の美徳であると信じ、他者を想う心など持ち合わせていなかった。この歳になってようやく、施しに悦びを見出す事が出来たように思う」

この瞬間、俺がなぜ選ばれたのかを鮮明に理解した。目の前の老人は俺と同じ罪悪感を抱えているのだ。

「どうやら、気を遣わせてしまったようだな」

黙り込んだ俺の胸の内を見透かすように老人が言った。

「申し訳ありません」

「どれ、言ってみなさい」

俺は、この老人に隠し立ては無用なのだという事を今にして悟った。

「……自戒をこめて言いますが、いくら後悔しても過去を変えることは出来ません」

「祖父君の一件を悔いているのだな」

「やはりご存知でしたか」

俺は当時、大好きだった祖父が衰弱していく現実を直視できず、終ぞ病室に見舞う事が出来なかった。俺はこの老人に尽くすことでその事実からの逃避を図っているのだろう。老人は喉の奥でクックと笑った。

「儂も、君と同じなのだろう。我が子らの代わりを君にさせる事で、過去の埋め合わせを試みているに過ぎない。それを、与える悦びだなどと偽っておるのだな」

「失礼ですが、ご子息は……?」

「一年前に、事故で逝ってしまったよ。一家諸共な」

「そうでしたか……」

老人はベッドに体を深く沈め、徐に窓の外を見遣る。

「きっと、儂らに必要なのは神の赦しなのだろうな」

太陽は薄雲に覆われて見えなかった。

「申し訳ありません」

「謝る事はない。それに、与え手からすれば欺瞞に満ちた行いでも、受け手がどう捉えるかはその受け手次第だ。儂は、君が毎日来てくれる事を嬉しく思っておるし、その気持ちに偽りはない。同様に、力を尽くしてくれている研究所の面々にも甚く感謝しておるよ」

老人は安堵したように大きく息を吐いた。

「なんだか、ようやく肩の荷が降りたような気分だ。だが惜しむらくは我が子らとの日常の最中にこの境地に至らなかった事だろう。ならばいっそ、順番通りに儂が先に逝けていればどれほど良かったことだろうか……」


会議室の壁に塩ビパイプが十字に組まれ、そこに等身大の人形が結束バンドで磔にされている。人形の頭には有刺鉄線で編まれた歪な冠が戴かれていた。誰かが気まぐれに作った礼拝堂擬きだが、今では職員の大半がここを訪れる。

作業服を着た男性が放心してパイプ椅子に座っていた。その隣に、白衣の男性が勢いよく腰を下ろした。

「前から思っていたんだが、こんな粗末なものじゃ却って神の怒りを買ったりしないだろうか」

廃材の十字架を眺めながら、やつれた顔のエンジニアが隈の濃い科学者に言った。科学者は白衣のポケットからタバコの箱を取り出すと、タバコを一本咥え、もう一本をエンジニアに差し出した。エンジニアは礼を言ってそれを受け取り、科学者の口元に自分のライターを持っていった。

「寧ろ、科学者とエンジニアが心から神に縋っている事実を評価してもらいたいね」

それは皮肉でも何でもなかった。礼拝堂に足繁く通うこの二人は、神による救済を心から祈っているのだ。

「それもそうか」

エンジニアはゆっくりと紫煙を吐くと、足元に置いていたコーヒーの空き缶に灰を落とした。

今は亡き所長に、あの老人が人類最後の一人になるだろうと言われた時は全く信じられなかったものだ。

何の因果か、何においてもあの老人の順番は必ず最後になるのだという。駅のホームでも、飲食店の入店待ちでも、そしておそらく死の順番でさえも。老人が生命の危機を脱しない限り、人類を襲う死の勢いが止まることはないのだ。

老人には、永く生きていてもらわなければならない。たとえ、いかなる手段を用いたとしても——。

終末時計の秒針は滑らかに、そして着実に十二の文字を目指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シェフ(じゃない)の気まぐれサラダ(じゃない) ましろ @Ya_Mashiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ