ファジア

あめなの

第1話:機械、原理、世界

地下鉄の駅のホームの端まで行ってみることにした。


きっかけがあるわけではない。


進入音が鳴る。電車はゆっくりと停止する。


そして電車は再び動き出す。


先頭部ホームの壁に「関係者以外立入禁止」と書かれた鉄の扉がある。


入ろうか?




扉の向こうは閉鎖された狭い空間だ。鉄製のスキャフォールドが足元でうねる。ドゥドゥドゥドゥ、ドゥドゥドゥドゥ。列車の鋭く、乾ききった轟音が鉄の迷路へ溶け込み、吸収されていく。地下は柔らかな有機体となり、背を鉄構造に預けて呼吸する。そうして、うねる。


道は右へ、直線的に続いている。両脇には直径およそ1メートルほどの円筒形タンクが並んでいる。その振動する表面に手を触れる。滑らかなコンクリート、荒い呼吸音。タンクの隙間ごとに単眼のLED光が点灯している。遥か遠い天井へと落ちる白色が、物と物との境界を露わにする。


およそ10メートルほどの通路の突き当たり、左側にエレベーターがある。床と同じくらい古びた鉄製のエレベーターだ。扉が二つに割れる。逆三角形が幽かに光る。私は中へ入る。扉が閉まり、降下する。真っ白な光が、黒く錆び、硬く折れ曲がった刃物のような砂粒に反射して、空気中に拡散する。


エレベーターは動作を止め、扉が開く。無数の白い円筒形タンクが精密に配置されaされている。電線と機械とタンクを繋ぐパイプが絡み合い、床、天井、壁の1cm²を切り分けている。その隙間から、目をこする鉄の結晶化した塵が孵化し、空間の内部を隅々まで塗りつぶす。タンクは激しく代謝し、震えている。機械は電気を食べ、電気を産む。


すべての線は上を向いている。私は自然と天井を見上げる。その中央を、巨大な3メートル四方の機械が占拠している。コンピュータ回路のマルチプレクサを連想させる。それは全知の人工知能の眼球のような、単眼の赤色灯で空間全体を監視している。背面はなく、すべてが機械部品の半透明インターフェースだ。過剰に発光するそのインターフェースだけが、闇に触れて消去する。点滅する、侮蔑するレッドライト。水蒸気のように深い赤色の光が流れ、深海火山水族館の雰囲気を醸し出す。


私は鉄の気勢に押し潰されるように前へ進む。ここは地下鉄を動かすための磁場を生成する場所だ。ここには人は入らない。


空間の端の隅に、ピンク色のクレーンゲーム機がある。エッジの塗装が剥がれている。機械の皮膚を削り続ける砂に擦り減り、錆びた痕跡が曖昧に残っている。


その中に、少女がいる。


少女は制服を着ている。目は真っ黒だ。頭を少し左に傾け、折り畳んだ膝に顔を半ば埋め、ガラスに肘を重ねている。少女はゆっくりと頭を上げ、私の存在を認識し、凝視する。


「こんにちは。ここで何をしているの?」


……


「そうなんだ。君はどこから来たの?普通の人なら、ここには入らないはずだけど……」


少女は絵のように微動だにしない。声だけが私の耳に響く。


「それなら理解できる。よかった、私たちは互いを理解できる。」


ここはどこ?


「ここはね、ずいぶん昔に事実上放棄された施設だよ。地下鉄の機械室だったけど……完全なセルフ・レギュレートシステムのおかげで、整備が不要になったんだ。」


セルフ・レギュレートシステム?


「うん、そう。文字通り、自分が自分を運営するシステム。外部管理者の助けなしに、自らエラーを発見し、分析し、修復する。ここに導入された当時は、かなり画期的だった。でもその発展のせいで、管理者や保守が不要になって、今はジェネレーター本体とアペンデージ機械だけが残っている、というわけ。」


なるほど。元々、地下鉄の機械室ってこんな感じなの?


「うーん……それは違うね。ここの地下鉄は少し特別だから。30年くらい前、都市行政は『超磁石』という新技術を使って、この地下鉄を作った。常温で動作可能だなんて!この国も随分技術が進歩したよ。4号線は特に中心部だから、先に新技術を導入したかったみたい。」


超磁石って……どうしてそんなものを?


「ああ、知らなかったみたいだね。この列車、鉄道の上を走ってないんだ。」


鉄道の上を走ってない?


「うん。地下鉄の駅と線路が巨大な磁場を生成して、重力を無視して動ける。だから、この磁石体ユニットには不思議な機械が溢れているんだ。」


なるほど……毎日乗っているのに、一度も気づかなかった。少し注意して見ていれば、すぐ分かったはずなのに……


「そういうこともあるよ。現代人はほとんど皆、日常に酔って生きているから、よく見る能力をほとんど失っている。洞窟から出られない魚の目が次第に退化するのと同じ。私たちは、目まぐるしく変化する環境に適応するよう設計されている。起こる変化をいちいち全部認識していたら、精神が耐えられない。だから鈍感になるよう、一定の視角で環境を見るよう、進化してきた。そうでなければ、絶対に生き残れないから。」


少女の説明に続く長い沈黙。私は彼女の言葉を理解しようとするが、機械の間を流れる赤色の何かの気配が思考を塞ぐ。だから私は、ただ反芻する。


「でも君は違う。君はここを見つけた。ここは、よく見なければ絶対に辿り着けない。」


そうか……褒め言葉として受け取っていいのかな?


「もちろん。私はずっと待っていた。誰かが私を見つけてくれるのを……誰かが私を理解してくれるのを……」


……


「機械の話をしよう。さっき言ったように、4号線の列車には鉄道がない。宙に浮いているからね。どうしてそれが可能かというと、実は列車そのものが巨大な磁石なんだ。ジェネレーターも同じ。ジェネレーターはタンクから情報、つまりエネルギーを得て、内部の巨大な磁石を回転させる。すると、列車が動くトンネルにEM FIELDが形成される。そうするとこのトンネル全体が一つのソレノイドになって、列車の運動が活性化される。


この巨大な『作動』を可能にしているのは、やはり機械たちの緻密な設計だ。天井にある機械がメインだけど、他の機械も重要だよ。例えば、あそこにあるタンクみたいな機械。」


彼女が指した方を見る。無数のタンクの中で、近くにある円筒形タンクへと近づく。


「この機械はね、何かを保存するためのものじゃない。過程としてどこかに到達するための『プロセスユニット』でもない。ほら、無数のタンクがパイプで全部繋がっているでしょ?それぞれを異なるセンサーだと思えばいい。一つ一つのタンクユニットが、異なる信号を送っている。タンクは単なる容器じゃない。ユーザー入力に反応して二酸化炭素や酸性物質、蒸気を運ぶためのものでもない。全部が異なる『独立ユニット』で、タンクから来る入力データを使って、あの巨大な天井の『ジェネレーター』が動作する。脳のニューロンみたいに、タンクは自分自身から生成された入力をパイプを通して他のタンクと通信する。信号をやり取りする。情報を時間に基づく共有コードに暗号化して、互いに送る。一方向じゃない。過程じゃない。第一段階のタンクが第二段階に送って、最終的にジェネレーターに接続される……そういうものじゃない。方向はない。タンクはすべて水平構造で、対等なんだ。」


私はタンクの表面に手を置く。錆びて見える外観とは不釣り合いな滑らかさ、シルトクレイが緻密に整列した結晶格子のような外殻、その皮膚の内側にタンクは存在している。少女が示したタンクには、長方形の大きなラベルが貼られている。頻繁に点滅するシート広告標識のLEDインターフェースが文字を崩し、記号を判別不能にする。私は目を細め、集中する。Fujiro-018。


部品に名前を付けるなんて……私は他のタンクを調べる。


Imaki-139。

Subaru-028。

Takashi-277。


漠然と予想していた通り、タンク一つ一つに、それぞれ異なる名前が付けられている。見えない圧力がネジを締めるように、空間を歪める。


いや、でも考えてみれば、おかしくはない。私たちは機械や部品、実在しない理論、楽器などに人の名前を付ける。オームの法則、スタインウェイのピアノ、クイーン・エリザベス級戦艦、ニホニウム……きっと似た概念だ。4号線の建設には数兆単位の金がかかっただろうから、出資者や企業の名前を寄贈したのだろう。少し、京都千本鳥居みたいに。


少女は、このタンク一つ一つが一種のセンサーだと言った。どこへ情報を収集しているのだろう……と考える。方向も、情報も異なる無数の数と形と大きさと長さのタンクが、どうやって一つのジェネレーターへと繋がり、供給するのか。急に気になった。


「ああ?このジェネレーターはね、列車を動かす主動力だ。セルフ・レギュレーションシステムの中核部品で、列車の運動を『設計』する。方向も性質も異なるタンクの情報暗号を一つに束ね、共通の『言語』を与える。公共の『言語』から逸脱した部品があれば、混沌とした情報から必要な分だけ抽出し、新しいタンクを活性化する。逸脱を防いだり、排除したりはしない。その権限がないから。そうやってエラーを管理する。


ただし……一つ注意点がある。タンクもそうだけど、ここの機械は特別だ。単純なインプット・アウトプットのシステムだと誤解しないで。タンク同士の情報交換は、ジェネレーターにエネルギーを供給するためじゃない。同じくジェネレーターも、列車を動かすために磁石を回しているわけじゃない。これらの『部品』や『機械』は、あくまで自分自身を存在させるため、自分固有のインプットとメカニズムを世界に流すため、影響を及ぼすために存在している。結果的に私たちは列車を動かすために部品を使っているけれど、実際には部品は自己原理に従い、物理法則に従って動いているだけ。Fujiro-018にとっては、列車が動くかどうかなんて、どうでもいいことなんだろう。」


……


私は再び、ジェネレーターの永遠の眼を見上げた。整列したアレイ、視線、身体感覚が麻痺するほど人工的なLEDの光が、正確な長さで時間のテープを切断し、貼り直す。一定の周波数の揺らぎが……予測を外れた運動など不可能だ。


一定の周波数の揺らぎが

一定の周波数の揺らぎが

一定の周波数の揺らぎが

あ、ああ


違和感の青白い刃が脳を切り裂き、血に電気を混ぜる。


少し怖い……理由は分からないけど、怖い。


「もう行くの?」


うん。そろそろ行かなきゃ。明日の予定も詰まっているし……


「そう。じゃあ、行って。私はここに居続けるから……また来て、話してもいい。」


私は素早く視線をエレベーターへ向ける。私を待っている。上昇を待っている。ここには私しかいないから、エレベーターは私を知っている。だから、エレベーターは私を待っている。


そんな気がする。

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