遺失物管理センターの鏡くんは、決して間違わない

亜久

第1話 赤い傘と、見えないシミ

 僕の仕事はシンプルだ。

 世界からこぼれ落ちた「何か」を拾い上げ、それを帳簿という名の墓標に刻み、あるべき場所へ送る。それだけのことだ。


 大学の北校舎、そのまた裏手の薄暗い一角にあるプレハブ小屋。

 「遺失物管理センター」。

 それが、僕――鏡(かがみ)というしがない大学生が、週に四日を過ごす城の名前だった。


「鏡くーん! 大変! これ見てよこれ!」


 静寂を愛する僕の城に、けたたましい侵入警報が鳴り響く。

 ドアを勢いよく開けて飛び込んできたのは、同じバイト仲間の塔子(とうこ)だ。文芸学部の二年生で、まあ、一言で言えば「元気」が服を着て歩いているような女だ。


「……ドアは静かに開けろと言っているだろ、塔子。ここは図書館並みの静粛さが求められる場所なんだ」

「えー、誰もいないじゃん。それより見て! 今日の『迷子』!」


 塔子が手に持っていたのは、一本の赤い傘だった。

 コンビニで売っているような安物じゃない。柄の部分には洒落た装飾が施され、生地もしっかりとした深紅の傘だ。

 ただ、1つだけ問題があった。


 その傘は、無惨なほどにひしゃげていた。


「これ、正門の植え込みに刺さってたの! 見てこの折れ方! すごくない!?」

「ほう」


 僕は持っていた缶コーヒー(ブラック)を一口啜り、もう一本の缶コーヒー(激甘)を、いつものようにカウンターの隅――書類の山の影へコトンと置いた。

 塔子は自分の水筒を持参しているから、僕が二本買ってくる理由を聞いたことはない。喉が乾きやすい体質だと思われているのだろう。


 僕は傘を受け取り、事務的に観察を開始した。

 中骨が三本、完全にへし折れている。柄の部分も不自然に湾曲していた。


「昨日は夕立があったからね。きっと、すごい強風だったんだよ」

 塔子が目をキラキラさせながら推理を披露し始めた。

「でね、私の予想! これは『愛の証』なの!」

「愛?」

「そう! カップルが相合傘をしてたの。でも突風が吹いて、彼氏が『危ない!』って彼女を庇った瞬間に、傘が風を受けてバキッ! 濡れた肩を抱き寄せ合って、二人は雨の中を走っていく……。ああ、青春だねぇ!」


 塔子はうっとりと頬に手を当てている。

 幸せな頭だ。ミステリー小説の読みすぎで、脳みそがピンク色になっているに違いない。


「……残念だが、却下だ」

「えーっ! なんでよ! 夢がないなぁ鏡くんは!」


 僕は眼鏡の位置を直し、淡々と事実を述べた。

「よく見ろ。骨が折れている方向が逆だ。風に煽られたなら外側に反り返るはずだが、これは『内側』に向かって折れている」

「え? ほんとだ」

「つまり、これは風圧で折れたんじゃない。傘を閉じた状態で、何か硬いもの……たとえばガードレールやコンクリート、あるいは『人』なんかを、フルスイングで殴打した結果だ」


 僕の言葉に、塔子がひぇっ、と身を引いた。

「な、殴った……? 武器にしたってこと?」

「あくまで可能性の話だ。だが、この歪み方は尋常じゃない。相当な力が加わらないとこうはならない」


 僕は傘を少し開いてみた。

 バサリ、と赤い生地が広がる。

 その内側に、黒っぽい、赤錆のようなシミが点々と付着していた。


「うわ、なんか汚れてる。泥かな?」

 塔子が顔をしかめる。


 泥、か。

 まあ、そう見えるならそれでいい。

 鉄の錆びたような独特の臭いが鼻をかすめた気がしたが、僕はあえて呼吸を浅くした。


 このシミの広がり方。そして骨の折れ方。

 僕の脳裏に、1つの映像が浮かぶ。

 雨の夜。激昂した持ち主が、相手の頭部めがけてこの傘を振り下ろす。一度、二度、三度。骨が悲鳴を上げ、折れ曲がり、飛び散った液体が内側の生地に付着する――。


「……で、どうする? これ」

 僕の想像など知る由もなく、塔子が首を傾げた。

「持ち主、探しに来るかな? 結構高そうな傘だし」


 僕は手元の「遺失物管理台帳」を開き、ボールペンを走らせた。


 【遺失物No.1023】

 【品名】傘(赤・婦人用)

 【拾得場所】正門植え込み

 【状態】破損著しい。汚損あり。


「来ないよ」

 僕は断言した。

「こんなに壊れてちゃ使い物にならない。それに、もしこれが『ただの事故』で壊れたんじゃないとしたら……持ち主は、一刻も早く手放したかったはずだ」


「むぅ……。鏡くんってば、またそういうドライなこと言う。もしかしたら、思い出の品かもしれないじゃん」

「思い出だけで雨は凌げないさ」


 僕は『廃棄』の欄にチェックを入れ、事務用のスタンプを手に取った。


「規定により、破損が著しく衛生上問題のある物品は、即日処分とする。……いいな?」

「はーい。わかりましたよーだ」


 塔子はつまらなそうに唇を尖らせ、自分の席へと戻っていった。


 僕は傘を畳み、その生地に付着した赤黒いシミを、もう一度だけ指でなぞった。

 少しだけ、湿っている気がした。


 もしこれが事件の証拠品だとしたら、警察に届けるべきかもしれない。

 だが、誰も「事件だ」とは言っていない。

 塔子は「風で折れた」と言い、僕は「ゴミだ」と判断した。

 そこに嘘はない。


「まあ、そういうこともあるよな」


 僕はいつもの口癖を呟き、ダンッ! と小気味よい音を立てて、書類に『処分済み』のハンコを押した。


 僕の仕事は、拾ったものをあるべき場所へ送ること。

 ゴミはゴミ箱へ。

 忘れられた事実は、闇の中へ。


 カウンターの隅に置いた激甘のコーヒーが、誰にも飲まれないまま、静かに汗をかいていた。

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