妹は首輪付き、相棒は吸血鬼。――俺の「愛してる」は、すべて嘘でできている。

こん

第1話 硝子の朝食

朝、目が覚めると、口の中が鉄錆のような味がした。

 不眠症特有のけだるい頭痛が、こめかみを鈍器で叩くように脈打っている。


「……最悪だ」


 俺、カイは、ひび割れた天井を見上げながら独りごちた。

 カーテンの隙間から差し込む光は、灰色に濁っている。俺の視界が悪いのか、それともこの街の大気が汚れているのかは分からない。

 ただ確かなのは、今日もまた、憂鬱な一日が始まったという事実だけだ。


 重い体を起こし、リビングへと向かう。

 キッチンからは、トントントン、と軽快に包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。

 香ばしい味噌汁の匂い。焼けた鮭の香り。

 ごくありふれた、平和な日本の朝の風景。


 ――ただ一点、料理をしている少女の首元を除けば。


「あ、おはよう。お兄ちゃん」


 フライパンを持ったまま振り返った少女――ナギが、花が咲くような笑顔を向けた。

 十七歳。高校に通っているはずの年齢だが、今は不登校気味で家にいることが多い。

 白いエプロンがよく似合う、清楚で可憐な義理の妹。


 その細い首には、どう見ても装飾品には見えない、無骨で重厚な『金属製の首輪』が嵌められている。


 ジャラリ。

 彼女が動くたびに、鎖の触れ合う冷たい音が鳴った。


「顔色が悪いよ? また眠れなかったの?」

「……まあな。いつものことだ」

「もう。ちゃんと寝ないと駄目だよ。私の管理不足だと思われちゃうじゃない」


 ナギは頬を膨らませながら、手際よくテーブルに朝食を並べていく。

 ご飯、味噌汁、焼き鮭、卵焼き。

 完璧な栄養バランスだ。


「はい、召し上がれ。今日の卵焼きは、ちょっと甘めにしてみたの」


 ナギが期待に満ちた瞳で俺を見つめる。

 俺は箸を手に取り、黄色い塊を口に運んだ。


 甘い、らしい。

 あるいは、しょっぱいのかもしれない。

 だが、俺の舌には、砂を噛んでいるようなジャリジャリとした感触しか伝わってこない。


 三年前のあの日。

 俺は妹を止めるために、自分の「感情」と、それに付随する感覚の多くを焼き切った。

 今の俺は、笑うことも、泣くことも、美味しいと感じることもできない。ただの精巧な人形だ。


 だから、俺は表情筋を器用に操作して、口角を数ミリだけ上げる。


「ああ……美味いよ。ナギの料理は完璧だ」


 嘘をつく。

 息をするように、自然に。


「えへへ、よかったぁ!」


 ナギが嬉しそうに身をよじった。首輪がガチャンと鳴る。

 彼女はこの首輪を嫌がっていない。むしろ、俺に管理されている証として誇りにすら思っているフシがある。

 ……狂っている。

 だが、その狂気でしか繋ぎ止められない関係が、今の俺たちだった。


 その時だ。


 ガシャァァァァァァァンッ!!


 突然、リビングの窓ガラスが粉々に砕け散った。

 爆音と共に、キラキラと輝く硝子の破片が朝食の上に降り注ぐ。


「きゃっ!?」

「……はあ」


 ナギが悲鳴を上げ、俺は深いため息をついた。

 割れた窓枠から、一人の少女が飛び込んでくる。

 着地と同時に、カツン、とブーツが床を鳴らした。


 色素の薄い金髪に、血のように赤い瞳。

 年齢は十五歳ほどだろうか。華奢な体躯には、似つかわしくない軍用のタクティカルベストを纏っている。


「……腹が減った」


 侵入者――ノアは、開口一番そう言った。

 彼女は硝子まみれになった焼き鮭を一瞥し、興味なさそうに鼻を鳴らすと、俺の方へと歩み寄ってくる。


「カイ。充填(ごはん)、して」


 彼女の赤い瞳が、ギラリと俺の首筋を捉えた。

 そこに流れる血を、そしてその奥にある「感情エネルギー」を欲している目だ。


「ちょっと! 何やってるのよこの泥棒猫ッ!!」


 ナギが激昂して立ち上がった。

 彼女の瞳の奥で、どす黒い力が渦を巻く。首輪のリミッターが作動し、警告音のような低周波が部屋に響く。


「私の作った朝ごはんに硝子が入ったじゃない! それに、お兄ちゃんは食事中なの!」

「関係ない。私は、カイの血がないと動けない」

「だったらそこで干からびてなさいよ! どうして玄関から入ってこないの!?」

「鍵を開けるのが面倒だった」


 ノアは無表情のまま言い放ち、俺のシャツの裾を掴んだ。


「カイ、早く。貧血で倒れそう」

「お兄ちゃんに触らないで! その薄汚い手をどけて!」


 ナギが包丁を構え、ノアが牙を剥く。

 リビングに殺気が充満する。

 一触即発。いや、既に災害級の喧嘩が始まっている。


 俺はこめかみを押さえた。

 ガンガンと頭痛が増していく。

 硝子の破片が混じった味噌汁を見つめながら、俺は冷え切った心で思う。


 今日もまた、ろくでもない一日が始まった、と。


「……二人とも、静かにしろ。頭に響く」


 俺の声は、二人の怪物の耳には届かなかった。

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