読み終えたあと、なぜか台所を見回したくなりました。
一番心に残ったのは、中華鍋を見つめる場面です。道具を前にした静かな時間なのに、人の気持ちまで映しているようで、不思議と引き込まれました。「使うこと」と「語ること」の距離を、こんな身近な題材で描けるのかと驚きます。押しつける言葉は一つもないのに、読み終える頃には自分の暮らしや選択をそっと振り返っていました。料理の話だけでは終わらない、生活そのものを見つめ直すエッセイです。
派手な展開ではなく、小さな発見がじんわり心に残る作品なので、ぜひ一度読んで、この静かな余韻を味わってほしいと思いました。
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私が小学生だか中学生だったかの頃にもありましたねぇ、中華鍋ブーム。
確かその時の火付け役は「ためしてガッテン」だったような気がします。
番組の口車に乗るようにして、ウチの祖母も買っちゃいましたよ、中華鍋風フライパン。
割と長い事使っていたような気がしますが、あれって結構重いんですよね。
次第に祖母も「重くて疲れる」と言って使わなくなりました。
代わりに使うようになったのは、ステンレス製の軽いフライパン。
やっぱり普段使いするようなものなので、取り回しがいいものの方が勝手が良いのでしょうね。
手入れも楽そうでしたし。
で、結局できる料理の味もそんなに大して変わらなかったりするので、結局は実用性を優先した方がいいのでしょうね。
プロ好みの道具というものは、人を何者かに変身したかのような錯覚を産ませます。
中華鍋ならば、さしずめ中華料理のプロといったところでしょうか。
同じような例は包丁だったり、コーヒーミルだったり、サイフォン式のコーヒーメーカーだったり、岩塩だったり、鉄製のスキレットだったり……。
でも、めんどくさかったり、勿体なかったりで、なんか使いづらかったりして。
そう、結局道具だけでは何者にもなれないのです。
筆者様は本作で、そのような気付きを得て、独特の表現でそれを言語化しております。
何かと凝り性な人ほどこの現象に当てはまるのではないでしょうか。
ちょっと自分を見つめ直すつもりで、本エッセイをお目通しください。